芸術作品を味わう時、まずは予備知識なし、先入観なしに向き合うというのも鑑賞方法の一つ。一方で、観る前に得た知識が、鑑賞をより味わい深くしてくれることもある。絵画のようにじっくり立ち止まって観ていられるものとは違い、フラメンコの公演は、これは何?なぜ?と思っている間にもショーは進んでいく。


2019年3月、エバ・ジェルバブエナが一年半ぶりに来日する。
今回の作品は「Cuentos de Azúcar ~砂糖のものがたり~」。昨年7月、バルセロナのグレックのフェスティバルで初演し、その後、スペインやフランスなどで公演を続けている新作だ。
27C0D6BD-4AAC-4369-AC8F-5DDCAD2D74C5.jpegこの作品には、NHKの大河ドラマ「西郷どん」のオープニングテーマの歌声が印象的だった奄美の唄者、里アンナが出演する。タイトルの「砂糖」は、奄美が砂糖の原料であるサトウキビの生産地であることから付けられた。エバも実際に奄美大島を訪れ、5日間滞在した。
スペインのフラメンコと奄美の音楽。フュージョンものはちょっと...という方もいるかも知れない。何を隠そう、私もどちらかというとその一人。9月のセビージャ公演を見逃したこともあり、この作品についての知識がないまま、距離を置いていた。日本人でありながら、奄美のことをあまりにも知らなさすぎて、その魅力にすら気づいていなかった。
自分の眼で観ていない公演について解説的な記事を書くことは避けているが、尊敬するフラメンコアーティスト、エバ・ジェルバブエナの作品。より多くの日本の皆様に彼女のバイレ(踊り)や本場スペインのフラメンコの魅力と迫力を感じていただくきっかけを作ることができればと、全編のライブ映像を観させてもらえるならということでスタートした。
この作品についてのインタビューで、エバは「フュージョンはしていない。どちらかに合わせて変えるのではなく、それぞれが本来の姿で存在する方がいいと思った。」と語っていた。実際に映像を観ると、なるほど!たしかに、スペインのフラメンコと奄美の二つの異なる文化の"混ぜ合わせ"ではなかった。カーニャ、カルタヘネーラ、タンゴ、アレグリアスを踊るエバのバイレシーンは、何の混じり気もなくエバのフラメンコだ。そればかりか、一曲一曲に込めているエバのエネルギーは増幅していた。そして、里アンナさんの奄美の歌声も、フラメンコナイズされることなく清廉に響き、奄美への興味も掻き立てられた。
1BBEDFC5-572C-450A-8B80-500D6EEC018C.jpeg観ていくうちに、日本の文化、というより、奄美独特の文化を知らなさすぎることを痛感した。そこで、作品のもう1人の主役である里アンナさんにお話を伺えないかとお願いしたところ、忙しいスケジュールの合間を縫ってインタビューに応じていただくことができた。
日本公演に先立って、スペインのヘレス・デ・ラ・フロンテーラでの公演を実際に観る。3月初旬にそのレポートをフラメンコ・ウォーカーに載せる際にも今回のアンナさんから伺ったお話も取り入れていく予定なので、そちらも是非お読みいただきたい。
インタビューでは、作品に関わる質問に丁寧に答えてくださっただけでなく、エバとの出会いから制作中のこと、そして一緒に奄美で過ごした日々のことも、まるで昨日のことのように楽しく語っていただいた。その様子からも、今回のエバとアンナさんの出会いが異なるジャンルのトップアーティスト同士、良い刺激となり、実りあるものだったことが伺えた。そして、それは作品として見事に結実している。
11の場面から構成されるこの作品。その中には、海、島、伝説、女、生命、愛、別れ、歓び、静寂、激情、夜明け、黄昏、宴...と奄美と人間に関わるエレメントがたくさん散りばめられている。そして、数あるエバの作品の中でも特に身近に感じられるのは、東洋的なものが取り入れられているからだろうか?
では早速、アンナさんのお話を交えながら、この作品の見どころについて紹介していきたい。
見どころその1:「エバとアンナ」
15CC07CB-D4C5-44FD-A29B-120DD23AA822.jpegエバ・ジェルバブエナは、グラナダ出身の両親がフランクフルトで働いているときに生まれ、幼くして両親の元を離れ、グラナダで父方の祖父母に育てられた。フランコ体制下で抑圧されて生きてきた祖父母の教育を受けたことは、同年代の子供とは違う感性が育った部分もあったように思う。以前、エバがワークショップで、祖母との話を語ったことがあったが、その内容はフェデリコ・ガルシア・ロルカ(グラナダの詩人/劇作家でフランコ政権によって暗殺された)の書いた作品を思い起こさせるようなものだった。エバから放たれる独特な重み、ストイック感は、彼女の育ってきた環境の中で育まれたものであろう。そしてそれは、フラメンコという芸術の生まれた源流に近いものだ。
私がフラメンコに出会った頃、エバはソロで、"ど"ストレートのフラメンコを踊っていた。舞台用の作品としてではなく、ソレア、アレグリアス、タンゴ...フラメンコの曲種の一曲を踊る中に、完結したドラマと激しく惹きつける魅力があった。媚びることなく、カンテとギターと彼女の内なる感情に突き動かされるようなバイレ。同じ映像を何度繰り返して見ても、毎回感動できた。
その後、カンパニーを立ち上げ、「作品」を創り出していき、エバはどんどん進化していった。ピナ・パウシェをはじめとするフラメンコ以外の分野のアーティストからも栄養を摂ることで彼女独自の「言語」は豊かになり、私たちのまだ聞いたことのない言葉や言い回しも現れてきた。それは、フラメンコの世界だけを観てきた者にとっては、すぐには分かりにくいものもあったが、舞踊界という視点からするとコミュニーケーションの幅は格段に広がっていった。
エバのバイレは、音楽との繋がりが非常に深い。そもそも、フラメンコとはそういうものではあるが、エバの場合は、同じソレアという曲であっても、エバのためにアレンジされたテイストが感じられる。音楽を担当するのは、ギタリストのパコ・ハラーナ。公私ともにパートナーで、エバの言語の一番の理解者である。エバに歌う歌手は、リハーサルなしでも踊りに合わせられるほど、エバの発するコードを理解できる強者たち。繊細な高めの声、太く力強い声、そしてその二声の間を滑らかに出せる声の三声で構成されることが多い。今回の作品では、アルフレド・テハードとミゲル・オルテガ。
AFA2D832-1C5F-465D-908E-A25DBB1589CC.jpegそしてもう一つの声が、エバの創作意欲を掻き立てた奄美の声、里アンナ。
里アンナは、奄美大島の北部の生まれ。歌は祖父から習ったという。習ったというより、生活の中にあった。客人が来れば、歌い回しが始まり、寝るときは祖父はシマ唄を録音したテープをかけていたそうだ。
奄美では、唄を歌う人のことを「唄者(ウタシャ)」と呼ぶ。これはフラメンコの歌手をスペイン語で普通に歌手という意味の「Cantante:カンタンテ」と呼ばず「Cantaor:カンタオール(女性の場合はCantaora:カンタオーラ)」とするのと同じだ。そして、本来唄者は専業とする職業ではなく、それぞれの地区=シマで歌の上手い者が、祝い事や唄を必要と場面で呼ばれて人前で歌い、唄者と言われるようになったそうだ。唄者には、血筋や家系による派閥はなく、実力のみ。フラメンコ同様、楽譜のない世界で学び、どれだけたくさんの歌が即興で繰り出せるかでも唄者としての度量が問われる。
18歳まで島で過ごし、「歌手」を目指して上京。2005年に歌手デビューを果たすが、色々な音楽と出会う中で「唄者」としての道を歩むことを決めた。幼い頃に島で耳から覚えた音からの手探りで三線も身につけ、弾き語りもこなす。奄美のシマ唄を本当に歌える者は限られている。その音楽が発生した地に生を受け、そこで育ち、自然に身についた歌。そして、最も大切なのは、唄者として評価されるに値する"声"を持って生まれたこと。以前、エバのワークショップに参加した時のこと。生徒の1人がフラメンコ独特の「重み」を出すにはどうしたらいいかと質問した。それに対してエバは「来世...かな。」と。持って生まれた資質もトップアーティストの条件なのかもしれない。
日本人として初のシルク・ド・ソレイユの公式シンガーとしても認定された声と歌唱力。一般的な「歌手」と比べると歌う場も限られてくる「唄者」だが、彼女の魅力は存分に花開くこととなり、昨年の大河ドラマでオープニングだけなく女優としても登場したことで、広く奄美の魅力を世に広めることとなった。
見どころその2:「歌とバイレの共演者達」
エバ・ジェルバブエナの作品では、エバ1人だけが踊ることもあれば、彼女によってセレクションされた数名のバイラオール(フラメンコダンサー)達が舞踊団として出演することもある。その舞踊団のメンバーは作品ごとに変わるが、これまでにメルセデス・ルイス、メルセデス・デ・コルドバ、マリア・モレノ、ダビ・コリア、エドゥアルド・ゲレーロ、クリスティアン・ロサーノら、現在はソロでも活躍しているアーティストが参加してきた。エバが要求するレベルは恐ろしく高く、たとえお眼鏡にかなってオーディションに受かったとしても、厳しすぎて続かない者もいるらしい。
「Cuentos de Azucar~砂糖のものがたり」で踊るのは、エバともう一人だけ。その役を務めるのは、フェルナンド・ヒメネス。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身の同名のバイラオールがいるが、こちらのフェルナンドは、1985年セビージャ生まれ。セビージャの国立舞踊学校で舞踊全般を学び、フラメンコもセビージャという土地柄、多くのアーティスト達に師事してきた。もちろんその中にはエバの名前もある。2004年辺りからプロとして舞台に立ち始め、アンダルシア舞踊団やその他のアーティストの公演にも数多く出演してきた中から頭角を現し、エバの舞踊団には2008年から参加し始めた。
800CA0BE-FB3B-4F9A-B839-5AAF283D4BC4.jpeg私が初めてフェルナンドと直接話す機会があったのは、2015年、バルセロナでのロシオ・モリーナの「Bosque Ardora」に出演していた時のこと。逞しい身体を晒した上半身裸の衣装で、もう一人の共演者のエドゥアルド・ゲレーロと共に、ワイルドで超絶難関な激しいバイレをこなす、その身体能力の高さには驚かされた。この頃からソリストとしても注目を集めるようになっていった。昨年8月のパンプローナで観たエバの公演にも出演しおり、フェルナンドについて少し書かせていただいた。記事はこちら。(写真:パンプローナでの「Carne y Hueso」でソロを踊るフェルナンド・ヒメネスと左端がミゲル・オルテガ)
今回の作品の中では、エバとの掛け合いの場面とソロを担当。パーカッションに呼応して、後ほど紹介する奄美の伝説の登場人物、岩加那を踊る場面での舞踊テクニックと表現力は圧巻だ。短い出演時間でありながら大きな存在感を残している。
スペインのフラメンコのレベルはもちろん高く、実力のあるアーティストはたくさんいるが、名前が広く認知されるきっかけとなるのは、コンクールでの受賞。とは言え、コンクールや賞と名の付くものも星の数ほどあり、時としてその結果は政治的に左右されたりすることもあるので一概には言えないが、その中でも影響力があり、長い歴史をもつコンクール「Festival Cante de las Minas」通称、ラ・ウニオンのコンクールはスターへの登竜門と言える。フェルナンド・ヒメネスは、2017年にこのコンクールの舞踊部門で優勝。それ以降、受賞者のガラを含め舞台出演がさらに増えて注目を集めている。
54FCB0E0-1AEC-4F1F-8CA7-A064D44004BD.jpegそして、この作品には、他にもこのコンクールの優勝者がいる。カンテ(歌)の2人は、共に歌部門の優勝者に贈られるランパラ・ミネーラの受賞者で、ミゲル・オルテガが2010年に、アルフレド・テハーダはフェルナンドと同じ年の2017年の受賞。両者は、ソロアルバムもリリースしており、彼らの歌もこの作品の聴きどころである。(Foto:Rafael Manjavacas)
その2人の歌手に、今回初共演となる里アンナさんの声について尋ねてみた。
ミゲル「アンナは素晴らしいよ。彼女の声もテクニックもすごいし。彼女がこの作品に出演してくれたことはとても嬉しいよ。彼女を通じて知った奄美の音楽にも魅力を感じたよ。」
アルフレド「今回の共演は、素晴らしい経験だったよ。新しいものに出会えて夢中になったよ。今まで知らなかった初めて聴く音楽から学ぶことも多かったし、歌手としても作曲家としても良い経験をさせてもらえたよ。特に里アンナさんの幾重にも重なるような声は素晴らしい。お互いやっている音楽は違っても、音楽の世界には相通じるコードがあるし、話す言葉は違っても、共感できていたと思うよ。」
見どころ、その3:「作品の各シーンを感じるヒント」
タイトルでは「読み解く」とされているが、各シーンは正解を探して読み解く必要はないと思う。それぞれが自由に感じ、想いを馳せるための一助になればと思い、すこしずつ情報を載せることにする。ネタばれのお嫌いな方は、鑑賞後にお読みください。
オープニングは、エバの作品らしいギターのタッチと動きから始まる。
暗闇の中にエバの姿が浮かび上がる。1人だ。しかし、そこには他の何かの存在が...。奄美の伝説の妖怪、ケンムン(またはケンモン)かも知れない。
「Nana de Amami」=奄美の子守唄と名づけられた次の場面では、大島紬の色をイメージした衣装で歌う里アンナの歌声で、舞台は奄美の島へと移動する。坊やに優しく語りかけるような歌声の中、人生の始まりを象徴するかのように時計は進み始める。
B795DF51-DB59-4E55-8521-98A3F94DCE04.jpeg舞台上に作られたサークル(円)は島を表し、その外は海という設定とのこと。エバはインタビューの中で、奄美を訪れた時に"サークル"をたくさん目にしたと述べていた。そのサークル状のものとは何か?!と奄美の風景写真などを探したが見つからない。そこで、アンナさんに伺ったところ、エバが見たサークル状のものは、スタッフが見せた海底の写真、奄美でのおもてなしに使う赤と黒の椀、島での宴会で六調(アップテンポな曲で宴で踊られることの多い奄美の曲)に合わせて円になって踊った場面ではないか、と推測してくれた。この舞台上の円形の"島"の中で、奄美の歴史と伝説をモチーフにしたエバのフラメンコが踊られていく。
「Madre, tierra y caña(カーニャ)」=母、大地、そして カーニャ。カーニャはスペイン語でサトウキビ。サトウキビは江戸時代、薩摩藩が奄美大島で住民に栽培をさせ始め、藩の重要な財源となった。一方で、奄美の民は搾取と強制的な栽培に苦しめられた。ちなみに、この場面で踊られているフラメンコの曲種も"カーニャ"。サトウキビとは全く関係ないが、曲調がこの場面に合っているので、半ば偶然に掛言葉のようになったのだろう。
次の場面では、送り節が歌われる。死別、送別などの別れの歌で、奄美では男が戦いに出る時、浜辺で女が歌って送り出すという風習があったそうだ。奄美の歌のスタイルとして、本来は女が歌い、男が歌う女のために伴奏の三線を弾くもので、それ故に三線は元々の音が高いのだそうだ。そして、シマ唄の歌唱の特徴でもある裏声も、男が女の歌っていた高いキーを出すために始めたと言われているとアンナさんが解説してくれた。
このシーンでは歌うアンナさんは舞台上のサークルの中、つまり島の中にいる。通常は内向きに動かされる手の動きも、送る場面では外向きに。3分という短いシーンながら、美しくドラマティックなシーンだ。奄美の言葉で歌われているので、言葉の意味は分からないが、伝わるものがあるところは、フラメンコのカンテの持つ力と同じものを感じさせる。
続くエバのソロでは、バイレと2人のカンタオールのカンテをじっくり味わえる。鉱山労働者の生活の中で生まれた曲、カルタヘネーラ。。薩摩藩統治時代、サトウキビ栽培で奴隷のように働かされることになってしまった奄美の民の苦しみとも通じるリズムかもしれない。エバのマントン(見た目以上に重さのある大きな布)捌きも見どころのひとつ。
「カンツメ」という場面。カンツメ節という歌もある、奄美大島のカンツメ伝説。カンツメとは女性の名前で、奴隷(奄美ではヤンチュと呼ばれていた)として売られ、豪農の元で働いていた。美しく歌のうまかったカンツメは、主人の宴席に呼ばれ、そこで岩加那という三線のうまい青年と出会った。2人は恋に落ち、逢瀬を繰り返すが、やがて主人の知るところとなり、カンツメを気に入っていた主人、そしてその美しさと気立ての良さに嫉妬していた女主人から折檻を受け、耐えかねたカンツメは岩加那といつも逢引していた場所で命を絶った。その後、何も知らずにその場所に三線を持って現れた岩加那は、いつものようにカンツメと歌い、一夜を過ごす。夜が明けてカンツメが姿を消した後、頭上の木にカンツメの亡骸を見つけるという悲恋の物語だ。エバとフェルナンドの踊り、そしてそれに続くフェルナンドのソロ。この物語をちょっと頭に入れて観ると、より沢山の光景が見えてくるかもしれない。
真っ赤な夕日のようなサークルの中で歌うシーンは、スペイン語のプログラムでは「Tidanu」と記されている。その意味をアンナさんに尋ねると正確には「ティダぬ うてぃまぐれぃ」=太陽の沈む間際という意味だそうだ。
続いて、エバから歌ってほしいとリクエストがあった歌、"ヤンバル"。囃し言葉も入った踊り唄が、タンゴ(フラメンコの4拍子のタンゴ)と行き交う。
33148156-71BE-4279-919B-F067755DC8ED.jpegフラメンコ音楽との共演で難しかった点は?とアンナさんに尋ねると、まず、"コンパス"と呼ばれるフラメンコ独特のリズムやアクセントを掴むことだったと言う。後半、全員が輪になり、フラメンコとアンナさんが絡む場面がある。 ギターのパコ・ハラーナは、以前北インドの音楽とのコラボで驚くほどスムーズに二つの音楽を行き交うアレンジをしていたが、今回も奄美の音楽からフラメンコへの転換が耳に心地よく繋げる見事な音楽を創り出していた。そこでも、アンナさんにとっては、自分の「入り」のタイミングがなかなか難しかったそうだ。フラメンコ達は、自然に身についている感覚でさらりとやってしまうだけに、覚えるにあたっての説明もきっと解り難かったことだろうが、観ている方にはそれを感じさせないところが、インプロビゼーションにも動じない、アンナさんの舞台人としての実力だ。
以降、ラストまではがっつりとフラメンコ。エバのバイレは気迫に満ち、アンナさんも真近で観ていて、感動で涙が溢れそうになることもあったと言う。
ショーの世界には異ジャンルとのコラボ作品が多々ある。その中には、どちらかがただの借物になっていたり、集客を見込んだ抱き合わせに終わってしまうものもある。
この作品は、スペインのフラメンコと奄美大島の唄という一見ただの和と洋のコラボと思われるかもしれない。しかし、フラメンコの知識を持って奄美の唄について調べたり、実際にアンナさんから話をうかがうと、面白いほど両者の繋がりを感じることができた。民族音楽が持つ誕生の歴史や伝承のスタイル。それを引き継いでいる人々の暮らしや姿勢。楽譜のない音楽独特の自由さ。それぞれの根がどこか深いところで繋がっているからこそ生まれる調和の楽しめるクオリティの高い作品だと思う。
そして、最大の収穫は、異国の文化であるフラメンコを通じて、自国ながら未知の世界だった奄美を知るきっかけになったこと。日本の皆さんにスペインのフラメンコを広く知ってほしいという願いを叶えると同時に、フラメンコを通じて日本の美を再認識するという機会を得られるという意味で、日本での公演は世界中のどこよりも意味のある重要な公演となるだろう。
インタビュー後、「奄美からも観にきてくれるんですよ!」とアンナさん。是非、多くの方に、この作品をご自分の目と耳で「生」でお楽しみいただきたい。
尚、今回の来日公演のもう一つのプログラム「Flamenco Cardinal ~フラメンコの粋」【世界初演】は、里アンナさんと太鼓の前田剛史さん以外の出演者による別内容の公演となるとのこと。エバの来日直前に具体的な情報が入ればお届けしたい。
取材協力:サンライズプロモーション東京
Special thanks to 里 アンナ/アルフレド・テハーダ/ミゲル・オルテガ/フェルナンド・ヒメネス
公演情報
05EC11BE-2596-4EB2-88A0-85545A78FF88.jpeg日時
2019年
東京公演:場所 東京国際フォーラム ホールC
3月22日(金) 19:00 「Cuentos de Azúcar ~砂糖のものがたり~」
3月23日(土) 14:00 「Cuentos de Azúcar ~砂糖のものがたり~」
3月24日(日) 15:00 「Flamenco Cardinal ~フラメンコの粋」
SS席 12,000円 [中央ブロック6列目以内保証]
S席 9,500円
A席 7,500円 (全席指定・税込)
U-25チケット 5,500円 (当日引換券・税込)
 ※観劇時25歳以下対象、当日指定席引換、要身分証明書/チケットぴあにて前売販売のみの取扱い。
★超お得❣エバ・ジェルバブエナ来日公演特別優待チケット発売中!
(フラメンコ・シティオメルマガ会員+アクースティカ会員限定!)
 詳しくはこちrから
大阪公演:場所 森ノ宮ピロティホール (大阪府)
2019/3/26(火) 14:00開演「Cuentos de Azucar ~砂糖のものがたり~」
備考
※未就学児童入場不可
お問い合わせ
サンライズプロモーション東京
 0570-00-3337(10:00~18:00)
https://sunrisetokyo.com/detail/1822/

3つの壁の乗り越え方

【フラメンコに行き詰まりを感じている方へ】

フラメンコ(カンテ/踊り/ギター/他)が難しい...
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