10月11日から3日間、東京新宿文化センターにて「フラメンコフェスティバル」(パルコ主催)が開催されます。日本でよく知られていない芸術分野の来日公演では「本場トップアーティスト」「若手ナンバーワン」などと冠してあっても、実際その世界をよく知っている人にとっては「それ誰?」ということは残念ながら少なくありません。フラメンコに関しては、『フラメンコ』という言葉自体がよく知られているわりには、本場スペインのアーティストの名前は日本では一般的にはあまり知られていない現状です。しかし、今回のフェスティバルに来日するアーティスト達は、正真正銘、フラメンコの本場スペインで高く評価されているメンバーです。
一口に「フラメンコ・フェスティバル」と言っても、開催する土地柄、フェスティバルの主旨、または興行側の意向でその内容は変わってきます。フラメンコは、基本的に「カンテ(歌)」がメイン。スペインやフラメンコが幅広く浸透している国のフェスティバルでは、カンテやギターのコンサートが多くプログラムされ、その合間や最後にバイレ(踊り)の公演という構成が結構あります。ところが、フラメンコはスペインを出ると、言葉の壁があるのも一因なのか「バイレ(踊り)」の方が広まり、外国人にとっては、フラメンコ=踊りというイメージが強く、また人気があるのも確かです。
それを反映してか、今回の日本でのフェスティバルの公演はバイレが主役の公演三本。ベレン・マジャ(Belen Maya)、マヌエル・リニャン(Manuel Linan)、イスラエル・ガルバン(Israel Galvan)、ロシオ・モリーナ(Rocio Molina)。いずれも個性的な踊り手たちです。"個性的"と言っても、ただ他の人と違うことをしているという意味ではありません。それぞれが持つその人にしかない個性=キャラクター、身体的特質、歴史...etcを十二分に活かした表現をしていると思って下さい。特にイスラエル・ガルバンの表現方法はとても"個性的"。イスラエルのバイレを見ると必ず思い出すのは、歌舞伎役者の故中村勘三郎さんが好んだ言葉:「若い人はすぐ型破りをやりたがるけれど、型を会得した人間がそれを破ることを『型破り』というのであって、型のない人間がそれをやろうとするのは、ただの『かたなし』です」。つまり「古典をしっかり学んで自分の型をつくれ。未熟な者が土台も無いのに新しいことをやるな」ということ。この言葉とイスラエル・ガルバンについては以前にもこのフラメンコ・ウォーカーで書きましたが、イスラエル・ガルバンは古典から学んだ型をきちんと身につけ、その型でも人を十分観る者を感動させることができます。その境地に達しているからこそ、今のイスラエルの"型破り"なバイレが彼自身の型としてあるのです。
今年の7月、イスラエル・ガルバンの作品「ロ・レアル(Lo Real)」をグラナダで観てきました。そこには今回のフェスティバルの初日に登場するベレン・マジャも出演していました。一度観ただけでは汲み取れないほどの多くのメッセージの込められた作品。理解するには、スペイン民族の歴史や生活のバックグラウンドの知識も必要な作品でした。そして何と言っても驚いたのがさらに進化したイスラエルの表現方法。指先一本一本から顔の表情、眼差しまでもが何かを訴えかけたり、対話をしたり、自分の置かれた状況を表現する道具として見事に使いこなされていました。映像をご覧になるとその鬼気迫る迫力が少しお分かりいただけるかと思います。振付けをしたイスラエル・ガルバンの才能には驚愕ですが、それを体現した2人の女性舞踊手、ベレン・マジャとイサベル・バジョンにも脱帽でした。
彼女達2人もそれぞれ「型」のある人。イサベルは、セビージャ派バイレを守る大御所マティルデ・コラルの元で基本をみっちり学んできた踊り手。そして、ベレンは、父マリオ・マジャ(Mario Maya)、母カルメン・モラ(Carmen Mora)共にフラメンコの歴史を創った踊り手を両親に持ちながら、自らもバイレの道を探究し続けてきた人。この作品の中では、今までとは違う彼女、というより全く別の人物になっていました。強いエネルギーを持ちながらも死と隣り合わせの危うい精神状態の女を表現しているように感じました。
さて、今回は話をフェスティバル初日に絞りましょう。初日のベレン・マジャとマヌエル・リニャンの「トラスミン(Trasmin)」は、昨年の10月にモスクワで初演した作品。シンプルな構成で、ストーリー性やテーマを考えることなく、カンテ、バイレ、ギターの粋をストレートに堪能できると思います。
ベレン・マジャの来日は、2005年にカンタオーラ、マイテ・マルティン(Mayte Martin)との作品(`Flamenco de camara´)以来。スペインでは何度もベレンの公演は観てきましたし、地方公演に一緒に行きました。そういう経験を通して、個人的に彼女の芸術に対する真摯な姿勢やストイックな探究姿勢を信頼していますので、どっぷりと古典を踊る時も、新しい創作にチャレンジした作品も毎回楽しみに観させていただいています。フラメンコを愛するものの想いを裏切らない踊り手の1人だと思います。
マヌエル・リニャンを初めて見たのは、スペインを初めて訪れた14年前に行ったグラナダのタブラオ。その後何度かスペインで観る機会があり、直近では昨年のセビージャのフラメンコフェスティバル、ビエナルでマヌエルの振り付けた作品を観ました。一ヶ月で50公演を観るというフラメンコ大量摂取の中でも、見事な構成で非常に印象に残った作品でした。マヌエル自身の踊りは、小柄な身体を活かしてスピード感や緩急のある動きをうまく取り入れ、フラメンコの粋のひとつとされる"ペジスコ(Pellizco;ぎゅっとつねられたときに身体がぴくっとする感触)"を感じさせてくれるでしょう。そして出身地のグラナダのバイレの重みや威厳ももちろん持ち合わせています。
その2人のバイレと共鳴するギターとカンテには、今回はアルフレド・ラゴス(Alfredo Lagos)とダビ・ラゴス(David Lagos)が登場します。2人は兄弟で、フラメンコのメッカのひとつ、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(Jerez de la Frontela)出身のアーティスト。兄のアルフレドは2010年に57歳で亡くなったエンリケ・モレンテ(Enrique Morente カンタオール)のギターを務めていました。エンリケ・モレンテはカンテ・フラメンコの世界で様々な新しい試みをして、イノベーションを起こした素晴らしいアーティストでした。そのエンリケに見込まれていたのですから、ギターのテクニックだけでなく、カンテやバイレへの反応力が高く、あらゆる要求に応えられる懐の深いギタリストであることは間違いありません。弟のダビは包容力のある歌声で、多くの踊り手からひっぱりだこ。7月に訪れたフランスのフェスティバルにもバイラオーラ、メルセデス・ルイス(Mercedez Ruiz)の公演のカンテを担当していました。その時の公演もギター、カンテ、バイレだけのシンプル構成。最低限の構成でも、舞台の空間を埋められるだけの実力の持ち主です。
フラメンコ・フェスティバル初日の「トラスミン」。ストレートなフラメンコが生で観られるのがとても楽しみです。幼い頃からバレエやダンスをやり舞踊の基礎や身体トレーニングを積んでいれば、フラメンコを踊り始めても上達は早いし、切れのある動きやポージングは決まると思います。しかし、本来フラメンコはそんなに「キレイキレイ」で「クール」なものではないのです。"フラメンコネイティブ"の底力 ー「何か違う」の「何か」を感じてほしいと思います。
尚、この2人のワークショップを企画しております。既に定員に達しそうなクラスもありますが、興味のある方は情報をご覧下さい。