フラメンコ公演をたくさん鑑賞していると、歌=カンテを聞く機会が当然多くなります。踊りには必ず伴唱でつきますし、カンテだけのコンサート、またギターのコンサートにもカンテが入ります。特に、フェスティバル取材に行っていたアンダルシアのヘレス・デ・ラ・フロンテーラは、カンテのゆりかごとも言われるほど、素晴らしい歌手を輩出している土地。それだけに、耳の肥えた聴衆の中で鍛えられたヘレスのカンタオール/カンタオーラの歌うフラメンコは、言葉を越えて心に響くものがあります。(上写真は、ダビ・カルピオ公演より。左からパブロ・マルティン、ダビ・カルピオ、マヌエル・バレンシア、マヌエル・リニャン)
フェスティバル期間中は、本場のカンテ・フラメンコにどっぷり浸かっていられたのですが、その合間に、コンセルバトリオと呼ばれる音楽学校でフラメンコを習っている若者達のカンテライブを聴きに行ってみました。そこで改めて感じたことは「歌が上手い」ということと「フラメンコが歌える」ということは明らかに違うということ。しかし、フラメンコのカンテをあまり聞いたことのない人にとっては、その違いは非常にわかりにくいと思います。「フラメンコです」と紹介され、フラメンコの曲を歌い、何しろ、歌はうまいのです。すらすらと淀みなく、フラメンコ風にうまく歌っているのです。聴いている人が満足なら、周りがそれに水を差すことはないのですが、発声法も違うし、耳当たりも明らかに違うのです。特にマイクを通すと長い時間それをフラメンコだと思って聴いているのが辛くなります。言葉で違いを表現するのは難しいのですが、声が出てくるところが違うのです。さらに、その曲の持つニュアンスを理解し、自分が今何を表現しているのかを本人が分かっていなければ、言葉を越えて観客の心は動かせません。踊りも同様。曲に合わせてかっこいいポーズを決めて、サパテアードもガンガン打つのはダンスがうまいことにはなっても、プロとしてフラメンコを踊っていることにはなりません。もちろん、遠回りしてでも真剣にフラメンコに取り組む若者たちもたくさんいます。スペイン内外問わず、そういう人たちがこれからも「フラメンコ」を守っていってほしいと切に願う気持ちが湧いてくる経験でした。
さて、フェスティバルでは、ここヘレスのカンタオール/カンタオーラ達のコンサートが3公演行われました。これはかれこれ書くより、実際にお聴き頂いた方がよいでしょう。それぞれ、映像に飛ぶリンクをつけましたので、是非お聴きになってみてください。カンテに関しては、百読は一聞にしかずかも知れません。(右写真:アルフォンソ・カルピオ)
パケーラ・デ・ヘレス(Paquera de Jerez)、エル・トルタ(El Torta)らが暮らし、今もヘレスの中でも濃いフラメンコゾーンであるプラスエラ(Plazuela)のカルピオ家は、カンテの名門のひとつ。
まずは、カンタオール、ミヒータ(Alfonso Carpio 'Mijita padre')の二人の息子、アルフォンソ・カルピオ(Alfonso Carpio/映像はこちら)とホセ・カルピオ(Jose Carpio/映像はこちら)の二人。
そして、同じくプラスエラのカンタオーラ、タマラ・タニェ(Tamara Tane/映像はこちら)とエバ・ルビチ(Eva Rubichi/映像はこちら)。2人とも喉だけで声に変化を付けようしたり、声を作ったりしていません。自分の声で歌っています。体全体がインストゥルメント=楽器のようです。まさに毎日カンテの中で暮らす彼らの歌は、フラメンコの宝とも言えるでしょう。たまたまプラスエラを通りかかったら、カンテが聴こえてきました。なんとカプージョ・デ・ヘレスの声。行ってみるとバルの軒先のテーブルをファミリアで囲んでいて、エバ・ルビチたちもそこにいました。まさにヘレスならでは。
そして、バイラオールのマヌエル・リニャン(Manuel Linan)をゲストに迎えてコンサートを行ったのが、これまたカルピオ家のダビ・カルピオ(David Carpio)。同じく地元ヘレスの実力派若手ギタリスト、マヌエル・バレンシア(Manuel Valencia)との息もぴったり。ベースには、ロシオ・モリーナ(Rocio Molina)の舞台でも活躍しているパブロ・マルティン(Pablo Martin)が入りました。今回のフェスティバルのポスターやプログラムの表紙になっているマヌエル・リニャンのバタ・デ・コラ(Bata de Cola/裾の長いスカート)姿がしょっぱなから登場。バタは本来女性の衣装ですが、これまでにも何人かの男性舞踊手が着用して踊っています。その中でもマヌエルのバタ姿は、ますます板についていて、バタ捌きも見事!ギリシャ神話のケンタウルスのように、上半身と下半身が、それぞれの持つ優れた能力を存分に活かしているような感じです。踊り伴唱の経験も豊富なダビとマヌエルとの掛け合いや絡みもあり、観客をより楽しませてくれました。映像はこちら。
ヘレスはカンテだけでなく、ギターも独特の響きのトケ(英語で言うタッチ)があります。2009年にパリージャ・デ・ヘレス(Parilla de Jerez)、そしてその2年後の2011年にはモライート(Moraito)という偉大なギタリストを失ったヘレスですが、ベテランから若手までヘレス出身の多くのギタリストが活躍しています。その中でもトップクラスのギタリストを一堂に集めたコンサート「Un ano sin Paco=パコのいない一年」が、大劇場ビジャマルタで公演されました。パコ・デ・ルシアへのオマージュで、2時間半にも及ぶコンサートとなりました。ヘラルド・ヌニェス(Gerardo Nunez)、アルフレド・ラゴス(Alfredo Lagos)、フアン・ディエゴ(Juan Diego)、ホセ・ケベド "ボラ" (Jose Quevedo "Bola")、サンティアゴ・ララ(Santiago Lara)、マヌエル・バレンシア(Manuel Valencia)ら6人のギタリストが出演。ソロで二曲ずつと三人ずつでのアンサンブルでも弾き、最後は全員がずらりと並んで、圧巻のギター六本での演奏。パコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)が亡くなったのは、まさに去年のこのフェスティバル期間中。きっと天国のパコにもその音色が届いていたことでしょう。ゲストバイラオールとして、セビージャのファルーコファミリーから、ファルキートの従弟エル・バルージョ(El Barullo)が参加しました。このちょうど一週間後、かねてから体調の思わしくなかったバルージョの母で、バイラオーラのピラール・モントージャ"ファラオナ"(Pilar Montoya "Faraona")が55歳の若さで亡くなるという訃報が届いてしまいました。ご冥福をお祈りします。映像はこちら。
ギターのコンサートの全体のプログラムに占める割合は少なかったのですが、その他に、ビジャマルタ劇場では、ヘレスのギタリスト、パコ・セペーロ(Paco Cepero)のコンサートがありました。バイラオールで振付家のハビエル・ラトーレ(Javier Latorre)が演出に入っており、パコ・セペーロと世代の若いギタリスト、そして間に何カ所がバイレが入るという構成。バイラオーラの一人には、ハビエル・ラトーレの娘さんのアナ・ラトーレ(Ana Latorre)の姿が。ゲスト歌手には、ヘレスの隣町、チクラナ・デ・ラ・フロンテーラ(Chiclana de la frontera)のカンタオール、ランカピーノ(Rancapino)の息子、ランカピーノ・チコ(Rancapino Chico)が登場。次の世代との繋がりを大事にするパコ・セペーロらしいコンサートとなりました。映像はこちら。
また、フェスティバル公演会場のひとつである、元教会を改装したサラ・コンパニア(Sala Compania)では、マラガ出身のギタリスト、フアン・レケーナ(Juan Requena)のソロコンサートがありました。フアン・レケーナは、踊り伴奏から始まったキャリアでガンガン鍛えられてきた超実力派。共演した歌手や踊り手の名前は書ききれないほどです。作詞や作曲も行い、ホセ・バレンシア(Jose Vlanecia)やホセ・アンヘル・カルモナ(Jose Angel Carmona)今回のコンサートにはコーラスで参加)ら中堅カンタオール達のアルバム制作にも関わっています。ソロ演奏では、いわゆるトラディショナルなスタイルで曲種を弾いていくのではなく、オリジナル曲中心。しかし、フラメンコギターの純粋な響きを感じさせます。そして、ゲスト歌手レメデイオス・アマジャ(Remedios Amaya)の歌伴奏では、思い切り楽しそうな表情。さすが、踊りや歌とのかけ合い、盛り上げはお手のものです。映像はこちら。
フラメンコは聴いて楽しむものでもあります。耳に嬉しい、カンテ、ギターそしてサパテアードをたくさん聴くことができた2週間のフェスティバルでした。
写真/FOTOS : Javier Fergo All right reserved.
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