rosariorivate.jpgこの記事はフラメンコシティオ内「MUSICOS/アーティスト・インタビュー」に掲載された記事の解説付オリジナルバージョンです。お急ぎの方や公演内容を鑑賞当日まで知りたくない方はこちらへどうぞ!)
スペイン南部アンダルシア地方。大航海時代、多くの帆船が新大陸に向かって航海に旅立つ出発点となったグアダルキビル川が流れるセビージャは、かつては港湾都市として、今はスペインを代表する観光都市として多くの人が訪れる場所。そして、セビージャはフラメンコのメッカでもあることでも有名。旧市街からグアダルキビル川を挟んだトリアナ地区は、1560年以降のスペイン国王フェリペ二世によるヒターノ定住政策で、ヒターノの永代居住地の一つとして指定されて以来、多くのヒターノが移り住み、そこでフラメンコ文化が栄えることになった。

IMG_0235.jpgロサリオ "ラ・トレメンディータ"(Rosario "La Tremendita")は、生粋のトリアナっ子。"トリアネーラ"だ。彼女の祖先は高祖父母の時代からトリアナ在住。「トリアナは差別なく、パジョ(非ヒターノ)とヒターノが共生してきた場所。ここにあったのは、カンテ(歌)、空腹、少しの食べ物だけ。そんな中、戦中戦後の貧困と苦しみをお互いが助け合って生き抜いた土地なんだよ」と幼い頃から聞かされていたそうだ。(写真:グダアルキビル川を挟んで左岸が旧市街、右岸がトリアナ地区。)

3月某日。そのトリアナ地区のグアダルキビル川沿いで、お話を伺うことができた。

 聞き手(以下 M)- 生粋のトリアネーラですよね。ご家族のルーツは?
 ロサリオ(以下 R)「父方の高祖母(ひいひいおばあさん)には子供が21人もいて、その全員がトリアナに残って住んだのよ。そして、その皆に子孫がいるわけだから...。」(どれだけ多いか想像つきますね)「母方の祖父母はコルドバ出身。結婚と同時にトリアナに引っ越して来たから、母も、おじやおばも、全員トリアナ生まれ。というわけで、私はトリアネーラって言えるわね。」

毎日5時間の父との特訓でカンテやギターを習得。厳しいプロへの道を歩み続けた少女時代。

rosario1.jpgきりっとした黒髪スペイン美人のロサリオ。そんな彼女でも、観光客の多いバルでは、たまに観光客と間違われそうになるとか。しかし、ひとたび口を開いたとたん、地元の人間だと分かるとか。トリアナ独特のアクセントがしみついているのだ。

古くからフラメンコの盛んなトリアナ地区に生まれた彼女がフラメンコと出会うことは、ごく自然なこと。しかし、"プロ"のフラメンコアーティストとなった経緯は、その家族環境にあったようだ。 

 R「曾祖母はカンタオーラのエンリケタ・ラ・ペスカエーラ(Enriqueta la Pescaera)。若い頃は、子育てや夫の反対もあってプロとしての活動できなかったけど、シギリージャ、タランタ、ソレア、カンテ・デ・トリアナ(それぞれフラメンコの曲種名)など、たくさんの録音を残してくれているの。
父方の大叔母のガンディンガ・デ・トリアナ(Gandinga de Triana)は、サエテーラ(Saetera: 聖週間で聖人行列に捧げる歌"サエタ=Saeta"を歌う歌手)。ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Nina de los Peines:カンテの女王とされるカンタオーラ、サエテーラ。1890-1969)と一緒に、セビージャ中心部のシェルペス通りでサエタを歌っていたような人だったの。
叔父はバイラオール(=フラメンコダンサー)、弟はカンタオール(=フラメンコ歌手)、そして父はカンタオールのホセ・"エル・トレメンド(Jose el Tremendo)"。私たち姉弟が小さいころから、いつも父はギター片手に歌っていたし、チョコラテ(El Chocolate)、カマロン(Camaron de la Isla)、フアン・タレガ(Juan Talega)の曲もかけていたのよ。学んだというよりも、生活の一部だったの。だから今でもフラメンコは私にとって、職業というより生き方ね。」

5歳から歌い始め、地元では舞台で歌うようになっていたロサリオ。遊びのように楽しんでいるうちに、プロのカンタオーラになりたいと思うようになり、11歳のある日、父にその想いを伝えた。するとその日から、父のスパルタ教育が始まったそうだ。

 R「父はとても厳しくて"本気でカンタオーラになりたいのなら、毎日休むことなく勉強しなければダメだ"と言ったの。それから18歳になるまで、一日も欠かさず、学校から帰るとすぐに部屋に閉じこもって、一日5時間勉強したわ。父が歌うのを聴いて覚えたり、曾祖母の残してくれた録音を聴いたり...」

7年近くにわたり毎日5時間の修行。トリアナという超フラメンコな環境の中で生活していても、これだけの鍛錬を積むことが必要なのだ。アフィシオナード(愛好家)と、プロのフラメンコ歌手の違いはここにあるのだろう。いまだに毎日カンテを聴いて、ギターを弾くことは、自分にとって"必要"なことだと明言する。

11月の来日公演の作品「アフェクトス(Afectos)」では、ギターとカンテの両方を担当している。フラメンコは、カンテにしてもギターにしても、単独でやるのすらとても難しいもの。しかも、女性のギタリストはまだ珍しい。

 M ? ギターは、いつから、誰から習ったんですか?
 R「ギターも父からよ。6歳の頃、父が教えようとしたんだけど、その時はすぐに投げたしたの。いやでね。(笑)だって、ちゃんと音が出るまではすごく難しかったの。父の教え方も厳しかったし、もう絶望的って思った。」

ところがある日、すんなりと音が出るようになってからからは、もう楽しくてしょうがなくなったそうで、今では「カンテよりもギターの方が好き。ギターなしでは生きられない!一生の恋人よ。」というほど。「ギターを毎日持たせてくれないんだったら、歌わないわよ。」というくらい離れられなくなっている。難しいはずのフラメンコの弾き語りも、毎日長い時間をかけて身につけてきたことだから難しさを感じずにできてしまうとのこと。

楽器はギターだけでなく、ベースも習得。本、詩、楽器、そして古いカンタオールの録音に囲まれた生活。
 R「私は一日のうち、生きている人よりも死んでいる人と過ごす時間の方が長いのよ。もう亡くなった人の歌ばっかり聴いているから。それが私の生活。だって自分に必要なことだから。」

真実の人でありたい。真実を歌いたい。私にとってフラメンコかどうかは、そこの真実があるかで決まる。

とても勉強熱心なロサリオ。詩が好きで、自分でも詩を書き、舞台で歌う歌も数多く作詞している。フラメンコの曲は基本的に口伝で、古い物が今でも歌い継がれている。また民謡として古くからあった内容に、フラメンコのメロディがついて歌い続けられている曲もある。それらは「トラディショナル(Tradicional)」とか「ポプラル(Popular)」と称されている。

rosario2.jpgロサリオも父からカンテを習う際には、トラディショナルやポプラルの歌詞を勉強していたが、歌詞の作られた時代と現代とでは生活が違う。幼いロサリオには理解できないこともあったのだ。例えば、カルセレーラ(Carcelera)という牢獄に入れられてしまった悲しみを歌う歌や、トリージャ(Trilla)という脱穀作業から生まれた歌。投獄されたことも、田舎に住んで農作業をしたこともない。他にもフラメンコの歌詞(=レトラ)でよく歌われる内容の、薬物中毒になったことも、母親を亡くしたこともない。

「パパ。私はフラメンコの曲は好きだけど、歌うのなら自分にとっての真実を歌いたいの」と言って、10歳頃から作詞も始めるようになったのだ。ちろんん、既存の歌詞の中でも、風景の美しさ、人の心の喜怒哀楽を歌った内容は自分自身で感じられるので、真実をもって歌えるからと歌い継いでいる。

 R:「常に真実の人でありたい。アーティストとしても。ドラマティックにしてみたり、それらしく真似をしながら歌うことはできない。真実を歌う時には痛みがある。それでこそプーロ(純粋)なんだと思う。」

よくフラメンコの世界で言われる「プーロ」という言葉。「これはフラメンコか否か?」という問いかけ。その答えを出すには、フラメンコを感じる感性を身につけることが必須かもしれない。そうなるまでは、その答えを求めて批評をするよりも、存分に偏見のない眼と耳でフラメンコを自ら体験してほうが良さそうだ。

「ロシオのバイレを見ているとじっとしていられないような、何かが体の中から沸き起こってくる。」バイレ好きではなかったロサリオを魅了した、バイラオーラ、ロシオ・モリーナとの出会い

 M - ロシオは、作品の中で、いわゆる"フラメンコ"と言う言葉から一般的にイメージするような衣装では踊らないこともあるし、彼女独自の斬新なスタイルから「これってフラメンコ?」と言い出す人がいるそうです。ロシオに限らず、自分の知っている範囲でイメージする「フラメンコ」に合致しないと受け入れられず、もっともらしく批判されるのは残念です。

R「いつの時代にも、伝統に忠実なアーティストもいれば、その時代の新しい動きを取り入れる人もいる。人は、今まで見たことのないものや、自分の知らないものへの畏れがあるからね。
例えば、私は朝起きて、フアン・タレガのカンテに合わせてベースを弾くのよ。これをフラメンコじゃないって言える?私は弾いていて、体の中に痛みのような何かを感じる。フラメンコを感じているのよ。
人それぞれ好みはあるよね。このタイプは好きだわ、これはそうでもないわって。それは尊重すべきだと思う。だって、みんなが同じものだけを好むなんてあり得ないから。ロシオが踊る時、ソレアでもタンゴでもペテネーラでも、彼女の足音や体の動きを見ていると、何かが体の中でわき上がって我慢できなくなるような感覚がある。カルメン・アマジャ、マヌエラ・カラスコ、エバ・ジェルバブエナ、古いところではラ・マカロナ。彼女達の踊りにも同じような感覚を覚えない?あれをフラメンコと呼ばずにはいられないでしょう?」

ロサリオはミュージシャン。楽器が好き、音楽が好き。自分でも「私は全身耳みたいな人なのよ」と。そんな彼女が、ロシオのサパテアードは、まるで歌っているかのように音楽を感じると言う。

DSCN1470.JPG踊りの話が出たところで...
 M ? 踊ろうと思ったことは?
 R「ないない!おじさんが教えようとしたけど、全然ダメだったの。人前で踊るなんて、死ぬほど恥ずかしい!」
 M - じゃあ、舞台の最後に踊れって言われないようにしてあるとか?
 R「一つだけ、できるパタ(=ステップ)があるのよ。それだけやったらおしまい!」

ロサリオとロシオの出会いは、お互い17歳の頃。2人は2ヶ月違いの同い年。若いアーティストを集めてのツアー用の公演に呼ばれ、そのリハーサルで顔を合わせたのが初めてだったとのこと。それぞれが別のグループとして参加していたので、その時点は特に接点もなかったが、その後、実際にツアーが始まり、キト(エクアドル)での公演で再会し、親交を深めることになった。(右上写真:ロシオ・モリーナ(右))

 R「初めて会った時の印象は薄かったの。小柄で...そんなに踊れるなんて思わなかった。だけど公演で彼女が踊っているのを見て、目が釘付けになったの。そんなに踊りが好きじゃなかったはずなのに。"これってすごい!普通じゃないわ!"って。それ以来、ツアーの間は、彼女が踊る時は必ず舞台袖から見ていたよ。よく一緒に話すようになって、お互いの考え方も合ったし、彼女の言うことがよく分かって、強い繋がりが生まれたの。それが私のアーティスト人生にも大きく影響することになったわ。」

以来、ロシオは作品の音楽監督をロサリオに依頼するようになり、2人は共に作品制作にも取りかかるようになった。ロシオから多くのことを学んだと言うロサリオ。そしてまた、ロシオもロサリオから多くを学んでいるはず。お互いにいい影響を与えあう最強のコンビとなったのだ。

来日作品「アフェクトス」誕生

昨年に続き、二度目のソロツアーで持ってくる作品は「アフェクトス」。アフェクトスとはスペイン語で「愛情」。対象に対する愛着や情、慈しむ溢れんばかりの愛情というニュアンスだ。

 M - そもそもはどういうきっかけでこの作品は作られたのですか?他の作品に比べて、出演者も少ないし、セットもシンプル。何か狙いがあったのですか?

 R「最初は、お互いなんのノルマも課さないで、2人でスタジオにいたらどうなるだろうってところから始まったの。コンセプトに囚われないで、ますはお互い見つめあった。ロシオは踊り、私は歌う。10日間こうして一緒にいて、気の済むまでスタジオに籠って歌い踊るうちに、いろいろなアイデアが湧いてきたわ。そして、これを共同制作の結果として世に発表したいと思うようになったの。」

ロシオと2人、一緒にいることで生まれてくるフラメンコを作品という形にする。しかしそれには、2人を結びつけるためのもう一つの存在が必要だった。

 R「私はカンタオーラでとても野性的、一方でロシオはダンス一筋の人。彼女のバイレと私のカンテを繋ぐ根のような物が欲しかったの。」

そこで、コントラバス奏者のパブロ・マルティンが参加した。

11016837_359247377613239_3699325071175653555_n.jpg低音が好きなロサリオは、コントラバスの出す音が大好き。しかし、ロシオにとっては当初、コントラバスは苦手な楽器だった。
ロサリオ曰く「私にとっては楽しみ。ロシオにとっては挑戦だった。でもね、ロシオは挑戦するのが好きなのよ。」と確信犯的に微笑んだ。

ギタリスト、ヘラルド・ヌニェスのグループを始め、フラメンコ界での実績と実力だけなく、パブロの人柄にも惹かれ、三人はウエルバ(アンダルシア地方ウエルバ県)のスタジオがある家で共同生活を始めた。その期間は、3、4ヶ月に及んだ。そこで培った三人のいい関係が「アフェクトス」という作品に大きく影響を与えた。

 R「ロシオと私、2人だけではただ核があるだけだった。でも、パブロが入ってくれたこととで、作品という形として完成したのよ」

三人で作り上げてみると2時間半にも及ぶ作品。ディレクターのカルロスに見せると、その長さを指摘され、さらに、ひたすら歌い続け、踊り続ける2人にストップをかけた。「これは君たち2人の作品だろ?だったらもっとお互いのことを見なさい。立ち止まって、相手を見るのだよ。」
がむしゃらにエネルギーをぶつけ合っていた2人は、この言葉で冷静さを取り戻せた。たしかに、2人とも余りにも熱中するあまり、相手のことを見られなくなっていたところがあったと気づいたという。そして、作品として内容を整理し、組み立て直すことで完成へと辿り着いた。そして、2012年10月バルセロナでの初演。以来、現在に至るまで50回以上再演を請われる代表作の一つとなった。
そして、R「Cada Afectos, hay una sensacion nueva, hay una experiencia nueva. (それぞれの「アフェクトス」毎に、新しい感覚が芽生える。新しい経験がある。)」

と言う彼女の言葉通り、回を重ねても毎回新鮮な感動とさらなるアフェクトス(愛情)が舞台上に繰り広げられている。

日本大好きというフラメンコ・アーティストの中でも、筋金入りの日本好きのロサリオから日本の皆様へ

 M ? 日本が好きだとうかがっていますが、公演以外で何が楽しみですか?
 R「日本食が大好きだからたくさん食べたい!全部!魚の骨までよ!味噌汁、寿司、刺身、焼き肉、トルティージャ(きっと卵焼きのことですね)、パステレス(ケーキとか甘味のもの)、とにかく全部!そして街歩きもしたいし、皆と話したいし、お寺にも行きたい。日本人の生活を体験してみたいわ。」

 M - では、劇場に来るお客様を待っているものは何でしょう?
 R「来ていただいた皆さんが舞台上でご覧になれるもの、それは真実、音楽、バイレ、本物。その土地が生み出した文化、民衆の伝統、そして、フラメンコを理解する一つの方法。
是非、これをお見逃しないよう、劇場においで下さい。私たちは全身全霊を捧げてお待ちしています。」

ここでフラメンコ・ウォーカー特別企画!
「アフェクトス」鑑賞を○○倍楽しめる(?)作品で使われる音楽紹介

スクリーンショット 2015-10-17 16.07.30.pngアフェクトスで使われている曲のほとんどがロサリオの作詩によるもの。またパブロのオリジナル曲もあります。
作品の中には、構成がしっかり決まっている部分と、ある程度自由にしている部分があり、その時々の各個人のエネルギーの状態によって臨機応変に微調整をしているそうです。例えば、ソレアの弾き語りの場面でいつも歌っている歌詞の気分になれなければ、歌詞を変えたり、誰か一人のエネルギーが落ちていると、無意識的に他の2人がそこを補っていたり。実力あるアーティスト達だからこそできる、絶妙なチームワーク。時には、いつもより長く歌ってしまって、あとで「長く歌いすぎよ!」「だって、気持ちよかったんだもん」なんていう日もあるそうです。
公演は大まかに五つのパートに分かれているので、それに沿って書いていきます。

1. Intimo
まず、パブロのコントラバスから始まる。
それに合わせて、ギターと戯れるように踊るロシオ。なぜギターが出てくるか?それは、パブロが弾いている曲は、往年の名フラメンコギタリスト、ニーニョ・リカルド(Nino Ricardo)の曲をアレンジしたものなのです。続いて、ロサリオの歌詞で、ロサリオのアルバム「ファトゥム(Fatum)」に収録されているカンテ・デル・センテニル(Cante del Centenil)。グラナイーナ(Granina)起源のカンテ・リブレ(Cante libre)。さらに彼女のカンテが続き、自作の歌詞と伝承詩(Popular)によるファンダンゴ・アバンドラオ(Fandango Abandolao(。
カンテが終わると、パブロ作曲の音楽で三人の掛け合いが始まる。まさにロシオがコントラバスへの挑戦を克服した最初の場面だろう。

2. En ti mi pulso
「チリビ、チリビ...」から始まるロサリオの囁き、やがてカンテが始まる。ロサリオのカンテを全身で浴びてロシオはバイレで反応する。2人の絶妙なパルマ(手拍子)の掛け合い。ロシオのサパテアード(足音。タップ)。お互いの鼓動が繋がったところで、ロサリオの曾祖母、エンリケタ・ラ・ペスカエラの残したブレリア(Burleria)とロサリオの作ったブレリア。ロシオのサパテアードが音楽だと言っていたのがよく分かる名場面だ。

3.Sal y ponte dama Hermosa
ロサリオによるソレアの弾き語り。その時の気分によって、ソレア・デ・トリアナやソレア・デ・アルカラなど曲も歌詞も変わる。2曲目はペテネーラ(Petenera)。不幸を呼ぶ悲しい女を歌うこの曲種。ロシオがパブロのコントラバスに合わせて踊り出す。続いてロサリオが自作の歌詞によるペテネーラを歌う。

4.Cafe con Ron
ロサリオのカンテによるキューバ起源の曲種、グアヒーラ(Guajira)。
ロシオのバイレソロの後、ロサリオの歌で"カフェ・コン・ロン(Cafe con ron)"という曲。プログラムにはルンバとあるが、インタビューではタンギージョ(Tanguillo)と言っており、聴くと確かにそんな感じ。続いてタンゴ・デ・トリアナ(Tango de Triana)で、歌詞はロサリオ作。メロディーは同じでも、歌う歌詞によって、より真実が込められる。これがロサリオのカンテのポリシーだ。

5.Afectos
最後は、キューバのピアニスト、ボラ・デ・ニエベ(Bola de Nieve)のボレロでフィナーレ。ロサリオがオルゴールのような音の出るアフリカの楽器、カリンバを弾きながら歌い、ロシオがそれに向き合い踊りながら幻想的に終わっていく。

では、当日、劇場でフラメンコを感じて楽しんでください! 
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