ようやくアンダルシアらしい青空の見えるようになったへレス・デ・ラ・フロンテーラ。広場ではゆっくりとランチを楽しむ人々。その周りでは、いきなりフラメンコぽい歌を歌い出したり、ギターを弾いて、チップを乞う人もよく見かけます。外国人が多く来る時期は稼ぎ時なのでしょう。かと思えば、突然の暴風雨。今年のへレスフェスティバル前半は、いまひとつお天気に恵まれませんでした。

開幕3日目から、フェスティバルのメイン会場のビジャマルタ劇場では、バイラオーラ(女性舞踊手)の公演が続いています。

JAVIERFERGO_CATEDRAL_01.jpgパトリシア・ゲレーロ(Patricia Guerrero)の「カテドラル(Catedral)」は、昨年のセビージャのビエナルで公演されたもの。作品についてはこちらに以前の記事があります。
今回はビエナルの公演よりも舞台がぐっと広くなり、照明や舞台セットがより立体的になったように思えました。両サイドの脇幕に下から照らされる光で、まるで聖堂の柱があるように見えます。衣装や群舞の動き、そして、パトリシアのスピード感あふれるバイレも、よりのびのびとダイナミックに見え、見ごたえのあるものへと成長していました。さらに一番「あれ?前回と違う!」と思わせたのは、カンタオールが変わったこと。今回は、ホセ・アンヘル・カルモナ(Jose Angel Carmona)。歌声が変わると、こんなにも作品の印象が変わるものかと、改めてバックミュージシャンの大切さを感じました。パーカッションも、パトリシアとはアルカンヘルとアカデミア・デ・ピアチェーレのコンサートから共演しているアグスティン・ディアセラ(Agustin Diassera)に変わっていました。ホセ・アンヘル・カルモナは、このフラメンコ・ウォーカーで、以前クローズアップしてご紹介しました。記事はこちら。以前から注目していたアーティストがどんどん活躍の場を広げて、こうして過去記事も再度ご紹介できるのはとても嬉しいことです。
JAVIERFERGO_CATEDRAL_02.jpgパトリシアのバイレは、今、乗りに乗っているという感じ。体のしなり、ブエルタ(回転)の切れ、スピードに揺らがない動きの力強さ、それは群舞になるといかに彼女が飛び抜けているかがよくわかります。もちろん自分の振り付けだからというのもありますが、一コマ一コマの体、顔、足、腕の位置から創り出される形が美しく決まっています。2代前のアンダルシア舞踊団での活躍後、ソロとしての作品を次々に発表。共演者にも恵まれ、ここ2、3年でトップアーティストの仲間入りをしました。

JAVIERFERGO_PERICET-ESPINA_01.jpg翌日は、オルガ・ペリセー(Olga Percet)の「LA ESPINA QUE QUISO SER FLOR O LA FLOR QUE SONO CON SER BAILAORA」という長いタイトルの作品。「花になりたかった棘、または、バイラオーラになることを夢見ていた花」。舞台監督・演出のカルロタ・フェレール(Carlota Ferrer)との出会いで、フラメンコと舞台劇を混ぜた作品を作ってみた背景には「自分はバイラオーラではあるけれど、舞台に立っている以上、観客とのコンタクトがあってもいいはず。私の声や思いを聞いてもらいたい。」という気持ちがあったようです。女性が経験する様々なドラマや感情の状態をオルガの視線で表現していくというコンセプトがベースです。舞台上には棘のある大きな植物の蔓のようなセットが。まるで彼女自身が赤い可憐な花のようなミニのフリルの衣装でクラシコエスパニョール(スペイン古典舞踊)を踊りながら登場。カスタネットを鳴らし、宮廷の踊り子のようです。

JAVIERFERGO_PERICET-ESPINA_07.jpgそこへ、ドカドカと靴が投げ込まれたり、この可憐な踊り子がドレスを脱ぎ捨て靴を蹴ってサッカーゴールを決めて大声で騒ぎ出したり、西部劇のガンマン、闘牛士とやんちゃに姿を変えていきます。靴をタイツの中に次々詰め「見てよ、このお尻!」と喋り出したり、しまいには壊れたねじまき人形になって、超スピードのバイレの末、壊れて床に転がる展開。後半も、もう一人のバイラオール、ヘスス・フェルナンデスと雌鶏のようにひょこひょこ踊ったりと、予想外の表現方法で踊っていきます。歌ではミゲル・オルテガ(Miguel Ortega)がロルカの詩の曲を素晴らしく歌いあげていたのが印象的でした。実際にはとても小柄なオルガ・ペリセーですが、そのバイタリティー、勇敢さ、大胆さは巨人並み!そして、クラシコからフラメンコまで舞踊のテクニックも素晴らしいものです。彼女自身、踊り手としてのキャリアの中で多くの苦労をしてきただけに、エモーション=感情を言葉ではなく、舞台で、自分の踊りで表現するということに献身しているようにすら見えます。その踊りっぷりは、下記のビデオでご覧ください。

JAVIERFERGO_M-CARPIO_05.jpg地元バイラオーラで、今年のビジャマルタで看板公演をすることになったのが、マヌエラ・カルピオ(Manuela Carpio)。へレスにはフラメンコの家系が幾つかありますが、違う家系の出身同士で結婚することもあるので、結果的にはどこかで繋がっていて、ヘレス自体が一つの大きなフラメンコのファミリーとも言えます。マヌエラの名字「カルピオ」もフラメンコのアーティストがいる家系。
「ビジャマルタで自分の公演が出来るなんて夢のよう。でも、落ち着いた気持ちです。」と言っていましたが、自分のファミリーに囲まれての公演の前日は、嬉しさからかかなり興奮気味に見えました。ゲストに、カンタオーラのマカニータ(Macanita)、バイラオールのディエゴ・デ・マルガラ(Diego de Margara)を迎え、その他10名の男性アーティスト。幕が開くと、右側にヘレスのアーティスト、左側にはそれ以外からのアーティストが陣取り、交互に歌っていきます。そして盛り上がりを見せたところで舞台中央にセットされた大きな額縁から、マヌエラが真っ赤な衣装で登場。賑々しくアレグリアスを踊り続けます。

JAVIERFERGO_M-CARPIO_08.jpg「ピュアでオーセンティックなフラメンコを見せたい」ということで、看板はマヌエラですが、その他の"ファミリー"であるアーティストたちの出番もたくさん。へレスのギタリスト、フアン・ディエゴ・マテオ(Juan Diego Mateo)のソロやディエゴ・デ・マルガラのバイレでは、へレスの「ソニケテ(フラメンコのスイング感のある音)」を味わえました。それぞれのカンタオール(エンリケ・エストレメーニョ(Enrique estremeno)、フアン・ホセ・アマドール(Juan Jose Amador)、マヌエル・タニェ(Manuel Tane)、ファニジョロ(Juanilloro))にもソロ場面が多く、約二時間という長い公演となりました。いつもなら劇場の一部は、クラスに申し込んでいる生徒たちに自動的に振り分けられているのですが、この日は生徒たちの入場は別料金。一部の招待席を除いては、全ての席が解放されて売られただけに、地元率も高く、出演者のファミリーも客席に大勢いました。それだけに声援や拍手も一段と温かく、マヌエラ・カルピオも最後の挨拶で「もう死んでもいいくらいよ!」と感激していました。

JAVIERFERGO_OYEME_04.jpg日本への来日回数の多いマリア・パヘス(Maria Pages)は、いつものような舞踊団を率いての作品ではなく、バイレは自分一人だけでの公演。一場面だけ、パルマで参加のバイラオール、ホセ・バリオス(Jose Barrios)が踊るシーンがありましたが、あとはソロバイレのみ。舞台セットも特に大掛かりなものはなく、とてもシンプルな舞台でした。公演タイトルの「Oyeme con los ojos」は、メキシコの詩人、ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス(Sor Juana Ines de la Cruz)の詩から採ったもの。「Oye」は"聞く"という意味で、「con los ojos=目で」なので、本来なら"見る"という動詞を使って「Mirame con los ojos」となるところですが、そこは詩の世界。

JAVIERFERGO_OYEME_01.jpg今回のフェスティバルでも既に何作品かありましたが、詩を舞台に取り入れるという趣向が増えてきています。カンテのレトラ(歌詞)だけでなく、踊り手が自ら語ったりもします。詩は物事を暗示したり、かけ言葉があったり、作者の生きた時代背景や土地特有の情景が暗に使われていたりするので、その言語のネイティブであっても意味を汲み取るのは難しいこともがあります。特にその言語圏以外の外国人には事前知識がないとさらに理解のハードルが高いもの。かといって、公演時に舞台に電光掲示板の字幕をつけたのでは、観客の目はそちらに行き、肝心のパフォーマンスを見てもらえないという危険も含んでいます。この作品の中では、サン・フアン・デ・ラ・クルス以外にもイスラム神秘主義思想の祖:イブン・アラビー(Ibn Arbi)、インドの思想家:ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)、サラマンカ派の詩人:フライ・ルイス・デ・レオン (Fray Luis de Leon)、ウルグアイの詩人:マリオ・ベネデッティ(Mario Benedetti)らの詩から引用して、歌詞として使われています。マリアの作品でいつもテーマになる"女性"。53歳になった身体と心と向き合いながら、今回も女性の様々な姿や感情を描きます。

まずは、無伴奏のマルティネーテ(曲種名)を黒のノースリーブのドレスで踊ります。特徴ある腕の動きが強調され、マリアらしいくねりのバイレが静かに続きました。バイオリンとバイオリンチェロの演奏が多用された音楽。ギターはいつものルーベン・レバニエゴ(Ruben Levaniego)。カンテもマリア・パヘス作品ではおなじみのアナ・ラモン(Ana Ramon)と若手のフアン・デ・マイレナ(Juan de Mairena)。以前、テレビ番組のインタビューの対談をお手伝いした時に、衣装の生地の染色にもこだわっていると言われていましたが、今回も黒と赤のグラデーションが美しく染め上げられたドレスや、かなりボリュームのあるバタ・デ・コラ(裾が長く伸びたドレス)が印象的でした。JAVIERFERGO_OYEME_02.jpg
ホセ・アグスティン・ゴティソーロ(Jose Agustin Goytisolo)の詩「Palabras para Julia」 を自ら朗読し、
La vida es bella, ya veras 人生は素晴らしい いずれわかるよ
como a pesar de los pesares 色んなことはあるけれど
tendras amigos, tendras amor. 友ができ、愛する人もできるだろう
という数節を、客席に向かって全員が声揃えて繰り返しました。素敵な言葉ではありますが、友や愛に裏切られたことのある人にとっては、ちょっと痛い内容。信用していた友人や愛する人に裏切られると人の心は傷つき、素晴らしい人生を台無しになってしまいます。しかし、フレーズを繰り返すことで、それも"色んなこと"の一つとなり、新たな友や愛に出会うということなのでしょうか?

静かな雰囲気から一転しての、ラップ調のタンギージョ。お気づきなった方もいるかも知れませんが、以前の作品(「ミラーダ」だと思います)のものです。コミカルに「Ay,que calor!(あー、なんて暑いの!)」と始まり、バス停でバスを待ったり、乗ると全員が乗客となって、アンダルシアらしいやり取りに会場は湧きました。今回の作品では、踊り手は一人ですが、このように幾つかの場面で、ミュージシャンにも動きをつけて、舞台の空間を上手く埋めていました。その他にも前作からの再利用がありましたが、場面転換も出演者たち自らが椅子の移動で舞台上の配置を変えていくので、テンポよく、シンプルながら上手くまとまっていた作品でした。

写真/FOTO : Copyright to JAVIER FERGO/ FESTIVAL DE JEREZ
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