日本からの催事の中止のお知らせが続々と届く中、ここアンダルシアでは、今のところ影響なくフェスティバルが続いています。ただ、スペインでのコロナウイルスの陽性者が軒並みイタリア帰りの人達なので、フェスティバル後半から来西予定のイタリアからの参加者には影響が出るかもしれません。

ここスペインでもそうですが、イタリアでも日本と違って挨拶の仕方が"濃厚"なので、それだけ感染のリスクが高いでしょうが、過剰の恐れてストレスを感じないように、ということも繰り返し言われています。

今回のフェスティバルは、バイレ(踊り)公演が中心、というより、毎年開催されていた18時や24時からのカンテ(歌)やギターコンサートが非常に少なくなっています。しかし、その分、いつも時間が重なって断念していたオフ・フェスティバルのプログラムにアクセスしやすくなりました。

84050720_3010875335638556_2656994578942394368_n.jpgオフ・フェスティバルの企画で、充実した内容で人気なのが"La Guarida del Angel (ラ・グアリダ・デル・アンヘル)"。毎日、17時、19時、21時、23時、24時半から、6?20ユーロでプログラムが用意されており、特にフェスティバルのメイン劇場での公演が終わってから間に合う23時からの公演には人気のアーティストが出演しています。また、プログラムの裏面に印刷してしまったがために、意外と気づかれていないすぐ近くの"El Patio de Anita"でも、明日27日から、地元ヘレス出身のアーティストのカンテコンサートが企画されています。フラメンコの原点であるカンテ。オフ・フェスティバルで補えそうです。

さて、連日素晴らしいバイレ公演が繰り広げられているビジャマルタ劇場。日曜日の夜、観客を熱狂させたのは、セビージャの名門フラメンコファミリー、ファミリア・ファルーコの当代の次男、エル・ファルーの公演「POR UN SUENO」。兄ファルキート、弟エル・カルペタの3人兄弟の中でも、幼い頃から一番やり手な感じで、早逝した父に代わって若くして家長となった兄を支え、当時まだ3歳だった弟や生まれたばかりの妹の面倒も良くみていました。ファルーが11歳の時に彼のクラスを受けていましたが、大人よりも説得力のある教え方に、すっかり惚れ込んだものです。

そのファルーも今や30歳を超え、ファミリアから離れて独自の作品を発表するなど、様々な変化をしてきましたが、そのキャリアの中でも最も影響力があったのが、5年前に急逝したギタリスト、パコ・デ・ルシアとの日々だったのでしょう。下記映像は、パコ・デ・ルシアのツアー時ものです。かなりかっこいいので是非ご覧ください。フラメンコというのはこういうものだという、一つの指針にしていただきたい映像です。

2010年に、パコ・デ・ルシアに呼ばれて、ツアーのメンバーに。そこからさらに名実ともにフラメンコ界のスターとなり、自身のカンパニーでのツアーもスタート。マドンナの誕生パーティーに呼ばれて踊るほどに。そんな時に、突然のパコとの別れ。230220FARRU_03.jpgマエストロとしてだけでなく、友人としても尊敬し慕っていたパコを失った悲しみは深いものでした。そして、パコから言われた言葉:「お前が夢に出てきてね、踊って、歌って、ギターも弾いてるんだよ。これこそ、お前がやるべきことなんだよ。」それを実現するこの作品「Por un sueno(=夢)」を2017年に初演しました。

そもそも、真のフラメンコダンサーは、上手い下手は別として、フラメンコが歌えます。ギターが弾ける人もたくさんいます。踊りは、カンテ(歌)やギターを感じて生まれてくるもの。だから、歌詞も書く人もいます。昔、恐れ多くもファルーの兄、ファルキートのプライベートレッスンを受けることになったのですが、バスが止まり遅刻してスタジオに着いたら、ファルキートはイラつくこともなく「レトラ(フラメンコの歌詞)を作っていたから、大丈夫だよ」と言ってくれたことがありました。

230220FARRU_05.jpg幕が開くと、舞台上、下手には椅子の上に立てかけてあるギター、上手には鏡。そして、カンテソロ。カンタオール(歌手)かと思ったら、ファルーです。一曲見事に歌い上げての捌け。続くシギリージャのバイレ(踊り)では、髪の毛の動きまでもが踊りの一部となっているかのような全身フラメンコに満ちた姿。ギターはパコの存在を示唆し、そのギターに捧げるかのように踊ります。

酒場を模したセットでは、ギターを弾いたり踊ったり。時にはコミカルに、踊りという言語で観客をクスッと笑わせたり、湧かせたり。内なるものの表現だけでなく、観客とコミュニケーションもとれるエンターテナーとしての実力も見せてくれました。カンタオーラのマリア・ビサラガとの掛け合いで、スリリングでセクシーなタンゴも。歌えて、弾けて、踊れる、完璧なフラメンコアーティスト。しかも、ルックスも良くグラシア(愛嬌)もある。そんな今のファルーを、天国のパコ・デ・ルシアもきっと目を細めて喜んで見ていることでしょう。そして、パコの言葉のおかげで、私たちもこんな素敵なファルーの作品が観られることになったのです。改めて、マエストロに感謝の一夜でした。

今回はゲストで、母親のファルーカも招待。ファルーコファミリーの祖、ファルーコの娘で父のアルテを直に伝える踊り手です。この日は、アレグリアスを一曲披露しました。

次の日のビジャマルタ劇場での公演は、カディス出身のバイラオーラ、マリア・モレノの「De la Concepcion(デ・ラ・コンセプシオン)」。コンセプシオンとは、マリアの母の名前で、単語としては、コンセプト、または受胎という意味があります。この作品では、その三つの意味が関係していたようでした。

240220MARIAMORENO_01.jpgこの作品でもう一つ楽しみだったのが、演出がエバ・ジェルバブエナであるということ。以前、日本でマリアにインタビューをした時に、いい演出をすることに投資したいと言っていました。エバの舞踊団メンバーでもあったマリア。自分の踊りを知っていて、しかも、エバの作品づくりも見てきて、自分のソロ公演をやるなら、エバに演出を依頼したいと思っていたようでした。どんなに踊りがうまくても、経験があっても、多くのお客さんに見せる公演作品をつくるとなると、一人の頭では限界があるということを本場のトップアーティストたちはよく分かっています。なので、演出、脚本、アドバイザーとして忌憚なく意見の交換ができたり、自分の気づかないことや知らないことをカバーしてくれるブレーン的なスタッフをつけ、彼らへの投資も当たり前なのです。舞台に上がる人だけで作っていては、発表会のレベルは超えられないのです。

240220MARIAMORENO_02.jpg最初の場面は「コンセプシオン」。真っ白なドレスのマリアがモノトーンの世界にいますが、やがてオレンジ色の光が。まるで血が通いだしたように見え、ここで"誕生"を意味しているようでした。ここから、いろんなものを背負う人生が始まるのです。

次のシーンは、父へのオマージュ。闘牛士になりたかったけど漁師となった父。その父の夢を追うかのように、闘牛士の着る短いジャケットに、闘牛で使うもり(銛)を使って踊りました。

次のソレア(曲種名)は、かなり長い一曲でした。振付は特に決めていない、その日その日の即興。毎回違うソレアになる場面です。踊り出すと、ワイルドに変貌するマリアの気迫。静と動のコントラスト。粘りとキレ。エバのソレアも彷彿させる、重みのあるバイレ。観客は固唾を呑んだように見つめ、終わると同時に割れんばかりの拍手が起きました。

240220MARIAMORENO_05.jpg会見でも触れていた、同郷出身のアーティスト、ロベルト・ハエンとの絡みは、明るい港町カディスのユーモアたっぷり。ロベルトが、マリアが着るバタ・デ・コラの衣装を「なんて、重いんだこのドレスは!」と言いながら持ってきて、「マリアー!どこ行っちゃったんだ?」と探し出します。コンパス感溢れる軽妙な語りで自己紹介も始め、舞台端にいるマリアを見つけ、引っ張ってくる。そして、そこから明るいカンティーニャス(曲種名)のバイレへ。自由にのびのびと踊りきりました。

拍手の鳴り止まない中、マントンを捌きながらのエンディングも決まり、見ごたえのある舞台に、客席からも称賛の声が聞こえました。

写真/FOTO : Copyright to JAVIER FERGO/ FESTIVAL DE JEREZ
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