こんにちは。
長期休暇中のスローフラメンカ、飯塚真紀inメノルカ島です。
6月から待つこと4か月とちょっと。
オレ!
ついに来ましたよ、私のドゥエンデが!
(鏡のように景色をうつす海)
ハハハハハ、
と思ったけれど勘違い。
実はドゥエンデではなく
鬱だった(苦笑)。
だいたいねえ、
働き者の日本人が5か月ちかい休暇を満喫しようなんて
初めから無理な相談なんだよね。
(生産的なことを)
何もしないで過ごすことが不得意な人種なんだから。
ああ、聞こえてくる。
日本から叱咤激励してくる世間の声が。
遊んで暮らすなんてもっての外!
暇があったら勉強しろー!
仕事しろー!
仕事はおろか、この島には友達もいないから
自由な時間があり過ぎて、
いらないことを考え過ぎてしまった。
落ち込みへの道を自ら選んだようなものだ(苦笑2)。
「魂からの本音ってなんだろう?」
「ドゥエンデってなんだろう?」
みたいな、
答えがあるような、ないような、
そんな問いを考えることに時間を使ってしまった。
考えちゃ分からないっていうのは分かっているんだけど、
考えないって難しいのよー。
あーあ、
この夏の目的だった、
スローフラメンコ探究計画は失敗に終わったか。。。。?
(全く波の立たないある夏の朝の地中海)
イイエ!
今まさに鬱状態にもがきつつも、
探究の試みは失敗ではないと思いたい!
困難は、避けては通れない成長へのお約束の道なのだ!
すんなり上達しないというのが、上達していることなのだ!
壁にぶち当たることなしに成熟することはないのだよ、真紀!
この落ち込みに乾杯(苦笑3)。
私のスローフラメンコアートに磨きがかかるってことよ(自信なげにVサイン)。。。
この1か月ほどの間、
上手く隠したつもりでいた私の短所がぶくぶくと湧いてきた。
トラウマが、不安が、恐れが、不信が、コンプレックスが
私をぐるりと取り囲んで逃げさせない。
そんな状態の私は、
周りの人たちをも巻き込んむ。
自分が発端で傷いた人たちを見て、
更に落ち込む。
悪循環の自己嫌悪。
ああ、
スローフラメンコ人生。
今の私なら、偽りないソレアもシギリージャが最高に表現できるはず。
ん?まてよ。
嘘、偽りなく表せば
痛みをアートに昇華できるものなのか?
そうだろうか?
スローフラメンカとしての今の私は
フラメンコを踊る、という表現方法はとらないから
この痛みの表現手段は言葉と態度ということになる。
そばにいるパートナーに伝え、訴え、出し切った。
(踊らずして)
シギリージャを踊り切ったようなものだ。
だったら、
彼はこの真摯な私のシギリージャに感動して涙したのか?
それはもちろん
NOだった。
感動どころか、
(親子関係ではないけども)
勘当されかねたよ(苦笑4)。
100%出し切ることが
イコール私が探すドゥエンデが降りてくる方法ではないらしい。
自問してみよう、
私ならどんなシギリージャに心が動くのか?
まずは、
表現する事柄が本音、本物であること。
次には、
正面から向き合っていること(そこから逃げていないこと)。
更には、
シギリージャ状態の今に、そこに生きていること。
そう、
このスローフラメンコひとり夏合宿(?)で鍛えようと思っていた、
「今、ここに生きる」
があるかないかだ。
そう思って見直してみると
私のシギリージャには2番目と3番目が欠けていた。
自分のトラウマを正面からでなく、横目に見ている。
受け入れるふりをして、実際はトラウマ君と目線を合わせたくない。
いろいろな理由をこじつけて状況のせいにしようとしている。
つまり逃げ腰。
逃げたら当然「今、ここ」に居ることはできない。
(カタルーニャ地方名物、Pan con Tomate トーストにトマトを塗ったもの)
それと、
私の苦痛への対応の仕方は、
よくも悪くも日本的なシギリージャになる傾向がある。
人生の苦難や困難は、
シギリージャの本場のアンダルシアだけにあるわけではない。
日本にも、そこにいる人の数だけ存在する。
では、なぜ私はここ外国のスペインのシギリージャに惹かれたのだろうか?
自殺率が世界一といわれる
シギリージャ表現の宝庫というような日本ではなく、
なぜアンダルシア人みたいに苦しみたいと思ったのか(苦笑5)?
反論を覚悟の上で言ってみるが、
ここのシリギージャでは
自決しないからかもしれない。
アンダルシアのシギリージャは人生を投げ出す方向には無く、
シギリージャに生きる方向にある。
そして、
シギリージャを投げ出さずに生き切る人同時に、
子供の笑顔のような
魅力的なアレグリアスをも表現し得ることだろう。
私たち日本の社会から来た者から見れば、
ともすると
面の皮が厚い、とか
心臓に毛が生えてる、とか
ずうずうしい、とも映るような
アンダルシアなシギリージャの生き方、
アレグリアスな生き方。
(メノルカ島シウダデジャの公共の道の真ん中で、テーブルを囲む人たち)
ふぅ、、
今日はこれくらいにしておいておいた方が良さそうだ。
自分で書いていていても混乱してくる。
鬱状態の私には上手く説明できないテーマだ。
まあ、もともと哲学者のような深い問いにも耐えうる脳みそも、
作家のような文才も持ちあわせていないしね。
とにかく、
今の私のシギリージャは中途半端らしいことが
パートナーが鏡となって教えてくれた。
それじゃあ、
私はこの落ち込みにどう接したらいいのだろうか?
はっきり言って、
お手上げです(苦笑6)。
今、闇の中で迷っている。
見えていたものまで見えなくなって。。。。
(ある夕方の赤い海)
だけど、
ひょっとするとこれは、
ドゥエンデを見つけるには最適な状況?
チャンスといってもいいのかも。
だって、
ドゥエンデは見えるところにはないと思うから。
実は、わりと近くにあるのかも。
今は見えない、
見つけられないけど。
今はどうやったら見えるのか、
見つけられるのかも分からないけど。。。。
ええい、じれったい!
有名な先生に答えを教えてほしい!
シギリージャのドゥエンデという名の振付が欲しい!
見栄えのいいやつがいい、凝ったやつ、複雑なやつがいい。
衣装は印象に残るように人目を引くやつがいい。
ああ、プライベート料金払うから教えて!
???????????????!!!!!!!!!!!!!!!!
そういう近道はない。よね?きっと。
私の代わりに生きてください、
って言ってるようなものだもの。
自分が感動するのは
教わってないシギリージャを感じたときのはず。
シギリージャを生きるシギリージャを感じたときのはず。
スローフラメンコから見れば、
それは振付があってもいいし、なくてもいい。
歌詞はあってもいいし、なくてもいい。
「今、ここ」にあればいい。
「今、ここ」への道の途中にあればいい。
なぜかみなさんにとりあえず、ひとこと言いたい。
どうもありがとう。
(メノルカ島に咲く野生のケッパーの花)
追伸。、
今スペインは、すごく混乱状態。
ここにも何度も書いたけれど、、
経済の大不況は悪化し続けている。
4人に1人が失業者、
うち若者は2人に1人という統計の横で
政治家の汚職事件ニュースが後を絶たない。
こんな状況だから
国民の不満は積もりに積もっていて
いろんな抗議運動が毎日のように展開される中、
ほんの数か月前に誕生した新政党「PODEMOS」が
若者を中心に日に日に支持率を上げている。
現在、第3、4番目の政党になっている。
これに対し、二大政党は邪魔な新参者をおとしめようと
あの手この手で悪評判をマスコミに流す。
この不況をひとつの大きな理由に
カタルーニャ地方の独立運動も大盛り上がり中。
これらだけでも、スペイン社会は台風の連続だった。
にもかかわらず、
今度はエボラ出血熱の国内感染発覚。
もうマスコミが大騒ぎ。
このように
今、スペインはかなり乱れてます。
今後、この国がこれらを社会成熟へ機会ととるのか
それとも、臭いものに蓋をするだけに終わるのか。
ドゥエンデの国の将来は?