前回かなり久しぶりにブログを書いて、
下書きを見直していた時に思った。
いらない文章の多さ。
でも残った文章の心許なさ。
句読点までもが難しい。
考え始めたらキリがないのだけれど、
上手く伝えたくて言葉を探しすぎたり、誤解されたくなかったりして、どんどん言葉が増えていく。


人からどう思われるか、どう伝わるのか、考え過ぎると、結局何が言いたいのかさえも、相手には伝わらなくなるのかもしれない。
それで思った。
私の踊りも一緒だなぁ。
自信がないから、どんどん言葉が増えてしまう。
自信がないから、『ここでまる!』って言い切れず、要らない言葉がダラダラ増えてしまう。たぶんそうだ。
数年前コンクールの練習をしていた時に、もうどうすればいいかわからなくなって、バク転するしかないんじゃないか?と半分本気で思ったくらいだ。
でも、そうじゃない。
私がやらなきゃいけないのは、バク転の練習じゃなくて、小さくて地味でも、自分が大事だと思っているものを磨くこと。
人からすごいって思われることを目指すんじゃなくて、自分が好きだと心から思っているものを、自信を持って好きだと言い切ること。
自分の好きなものをえいって出した時に、他の人がそれを嫌いでも、こっそりポケットに戻さない、そういう勇気と信念を持つことだ。
それは誰の意見も聞かないとか、自分を振り返らないとかそういうことでは全然なくて。
私は口喧嘩にとっても弱いのだけれど、
実は憧れていることがある。
それは、無駄のない完璧な一文一発で相手を黙らせることだ。
しかも、出来るだけ上品な言葉で。
まぁ、別に喧嘩なんてあんまりしたくないのだけど。
違う例えなら、無駄のない言葉ですっきりと何かを説明できる人とか、本当にすごい。
言い過ぎたら鬱陶しいだけだし、言葉が足りなすぎても伝わらない。
無駄がなくて、説得力があるなんて、最高なフラメンコみたいだ。
私の踊り。
回りくどくて、点ばかりが多くて、なかなかまるがやってこない。
長く話していた割には何が言いたかったのか分からない。
そういう踊りになってしまっていないかな。
だからと言ってひとりよがりになっていないかな。
自分から出た言葉を、相手がどう受け止めるかは受け手次第だし、踊りもそうだと思う。
それでいいとも思う。
だからこそ、言い切らなきゃいけないんだと思った。
先日、モイとパコというすごすぎる人たちとライブをさせてもらった。
今までに味わったことがないような気持ちになった。
悔しかったとか、出来なかったとか、そんなこと思うことさえおこがましいような。
それでもすごく嬉しくて、頭が真っ白なのに気持ちいいみたいな。
あの日は、必死すぎて自分がどんなだったか思い出せないけれど、
怪獣たちにどう思われるかを気にして言葉を選んでいる余裕はなかった。
でもなんだか幸せな気持ちだった。
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【写真1 悟りの境地にすでにいる鎌倉の大仏さん】
【写真2 モイとパコ、そして共演のみんなと】

アクースティカ倶楽部

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