タイトル
199X年文明は崩壊した。
人々は暴力に支配され弱肉強食の世となった。
そんな時代に一人の救世主があらわれる。
一子相伝の北斗神拳を継いだ男ケンシロウである。
彼には二人の兄がいた。
長兄ラオウそしてトキ。
トキはケンシロウではラオウに勝てぬと言った。
なぜならケンシロウはまだ魔闘気をまとってあらぬ。
つまりドゥエンテをまとっておらぬと。
お久しぶりです、一生だす。
もうすっかり秋っぽくなりまして、落ち葉の舞い散る公園でシャンソンでも演奏したい季節になりまして。
今回はフラメンコのドゥエンテについて書きますわ。
冒頭の文章、世界的に有名になった原哲夫のご存知「北斗の拳」の節なんすが、
まー僕なりの解釈として、この魔闘気なるものはまさにドゥエンテであると思いますわ。
なんでもそうですが、ある程度耳や目がなれてくるとマニアックな方へいってしまいますわな。
例えばギターで左の親指は絶対使ってはいかんちゅう掟の中、
その人がある日本番でトリップするかのように音に陶酔して気がつけば親指で6玄全てセーハしていたとか、
リッチーのようにギターソロでよだれが出てるとか、
けっして美しい身体とはいえないフレディ・マーキュリーに美しさを感じ「むしろあの微妙なメタボなお腹がセクシーに思えますわ」とか、¥。
つまり、回路が少し壊れた時、その人がドゥエンテをまとったと僕は個人的に思い、
また自分もそうでありたいとおもてます。
踊り手さんが基本のマノやパソ忠実なマルカールに気をつかうのは勿論正論ですが、
歌やギターを聞き音に陶酔して壊れた姿、考えられない形相でとんでもないマノやエスコーバ、
あり得ない方向からとんでくるジャマーダ、
そして歌い手をどんどん引っ張って歌わせどんどんジャマーダをかます。
髪はふりみだれ、腰がまがろうがひじがさがろうがまったく気にせずただ音楽と一体になる。
その姿をみてギターも歌い手もどんどんヒートアップまさに三位一体。
もうギターの技術や踊りの美しさなんてどうでもええでっせ。
むしろそんなに美しくないのになんとカッコ良く見えることか。
ドゥエンテっちゅうのはそんなもんや思います。
そんな姿をみたら心の底からオレッて叫びまっせ。
三位一体になってブチキレた時まさにフラメンコは最強のアルテになりまっせ。
ほんで一回それを体験したらもうラオウにでも勝てまっせ