体当たり!中田佳代子が歩んできた道
 スペインに次いでフラメンコが盛んな国といわれる日本。今日本には、実力あるアルティスタが大勢活躍している。だが、フラメンコはそもそも血と伝統がモノいう世界。ひとたび活動の場をスペインに求めると、そこには今なお大きな壁が立ちはだかっている。
 
フラメンコ修行にスペインへ渡る者は大勢いる。しかし、プロとして存在しようとした途端、その扉は今なお固く閉じられているのだ。だが、その高いハードルに果敢に挑戦しているひとにぎりのアルティスタたちがいる。腰を据えてスペインに生活拠点を置き、スペイン人と同じ土俵でコンクールへの挑戦や地道なライブ活動を重ねながら、スペインでの活動の場を広げようとチャレンジしているアルティスタたちだ。
 
踊り手中田佳代子もそうしたアルティスタの一人。スペイン人の夫とともにバルセロナに住み、スペインでフラメンコダンサーとして生きる道を模索し実践している。


 フラメンコとの出会いは、1992年のバルセロナオリンピック開会式で見たクリスティーナ・オヨス。オヨスのパフォーマンスに衝撃を受け、フラメンコがやりたい一心で何のつても情報もないままスペインへ渡った。現地でスタジオ・アモール・デ・ディオス(伝統あるスペイン最大のフラメンコ・スタジオ)を探し当てレッスンに通ったのが彼女のフラメンコの始まりだ。
 
 観光ビザのマックスである3ケ月で帰国。日本でもフラメンコを習えるとスペインで知った中田は、鍵田真由美・佐藤浩希に師事。鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団団員として活動していた2001年、日本フラメンコ協会新人公演奨励賞と現代舞踊協会制定河上鈴子スペイン舞踊新人賞をダブル受賞。翌年、文化庁在外派遣研究員としての再渡西を皮切りに繰り返しスペインへ赴き着々と足場を築いてきた。2005年に同舞踊団から独立し、日本では地元岩手にスタジオを構え公演・ライブ活動を重ねる。一方スペインでは、2008年カディスのペーニャ・ペルラ・デ・カディスが主催するアレグリアス・コンクールでスペイン人以外の外国人として初の2位入賞を果たし、バルセロナのタブラオ「CORDOBES」にレギュラー出演するなど活動の場を広げてきた。
 
 スペイン―日本両国を行き来しながら活動する日々を、彼女はブログ「国境なきフラメンコ」に率直につづっている。そこには、自身の信じる道にどこまでもポジティブに猪突猛進する元気いっぱいの中田の姿がある。何事にもひるまず、思いっきり笑顔の体当たりで、彼女は自身の道を切り開いてきた。
そんな彼女が、来る7月に公演「追憶~Reminiscencia de Cai~」を東京、大阪、そして地元盛岡で行う。タイトル中の「Cai」とはアレグリアスを生んだ町カディスの呼称。フラメンコが根付く町"カディスの今"を体現する4人のアルティスタを招聘。中田曰く「一瞬にして日本にカディスが出現したような、そんな舞台にしたい」。
 
 彼女はこれまでにも2回のソロ公演を行っているが、今回は会場の規模も、上演地の数も格段にスケールアップした。この公演に掛ける彼女の思いがつたわってくる。既に公開されている公演のPV映像からは、ディスの匂いがプンプンだ。
公演準備のため帰国した中田は開催に向け東奔西走の日々を送っている。その合間を縫って、現在の心境と公演に込めた思い、見どころをインタビューした。
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国境なきフラメンコを目指して
――おかえりなさい。スペインを拠点に活動するようになって、どのくらいになりますか?
中田 2002年の文化庁在外芸術家派遣員での留学以降は、いつも行ったり来たり。バルセロナに住むようになったのは、07年からです。
――ブログ「国境なきフラメンコ」は愛読させていただいていますが、「国境なきフラメンコ」というようなことは、いつごろから考えていたのですか?
中田 スペインで初めてギャラをいただいて仕事をした時からでしょうか。スペインで学んでいるうちに、だんだんとこちらで活動したいという気持ちが強くなったんですね。本場スペインでは自分はどう評価されるのか、チャレンジしたくなったんです。
――コンクールに精力的に挑戦されていた時期もありましたよね?
中田 はい。でも今は、コンクールで評価されたいというより、自分の踊りを色んな人に観て頂きたいと思っています。
――それは、中田さんの中のどういう変化なのでしょう?
中田 コンクールというのは、ソレアやアレグリアスといった一曲一曲の世界ですが、もっとトータルなフラメンコというか中田佳代子としての世界を見てもらえるようになりたいと思うようになったんです。
――オブラを作り発表したいと? 中田さんは日本人離れしたアイレを表現できる人で、ムイ・フラメンコな味わいをいつも舞台から感じていたので、プーロというか、もっとストレートにフラメンコを表現したい方なのかと思っていました。作品を通して表現したいとは、ちょっと意外な気がします。
中田 そう感じてもらえていたのならうれしいです。もちろん、純粋にフラメンコと向き合うことは、作品を作るにしても欠かせない大切なこと。でも、フラメンコのあたらしい可能性にチャレンジしたり、自分が感じている世界をトータルに表現したいという気持ちは強いですね。個性をしっかり持っていないと認めてもらえない場所です。
――なるほど。
中田 スペインで1曲のヌメロを踊るというのは、タブラオでの仕事のスタイルです。スペインではタブラオというのは、多くの場合20歳前後の実力のある若い世代の踊り手さんたちが出演していて、そうなると年齢的には上の世代の私が一人ポツンと入ることになります。スペインでは年齢より多少若く見られますが(笑)ただ、限界はやってくると思います。
――そこに自分の居場所はないと?
中田 ええ。もっといえば、一曲を上手に踊るだけではなくて、きちんと自分自身を表現できる踊り手として認められなければ、日本人がスペインで踊っていくことは難しいと思います。若くて実力のある踊り手はいくらでもいますから。表現者としてオリジナリティ、個性を認めてもらえるかどうかですね。
――スペインで、オンリーワンにならなきゃいけないわけだ。
中田 そうです。日本人であるという個性をむしろ自分の強みにするくらいの覚悟で新しい表現を作り発信していかないと、スペインには、私がフラメンコを踊れる場所はなかなかないと思います。
――それが現実なんでしょうね。でも、そのことに挑戦したいと......。
中田 私、フラメンコを始めた時から、この道で生きると決めていました。それ以前は、自分が一生をかけて燃焼できるものが欲しいと思ってました。死ぬときに悔いのない自分の人生を送りたいと。これだ!と思ってフラメンコの世界に飛び込んだんです。飛び込んだ以上、後悔しないようにやり抜きたい。
――はい、その考え方、全面的に支持します!
中田 最終的には、バイラオーラとしてどこで生きて行こうとも、日本人である私のフラメンコを踊るし、それを多くの方に観て頂きたい。だから、「国境なきフラメンコ」なんです。今回の公演も、そのためにやるのです。「国境なきフラメンコ」を目指す私のチャレンジ。その共演者に、私はカディスのアルティスタたちを選んだのです。
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"カディス"と"岩手"に思いをはせて
――なぜ、カディスだったのですか?
中田 実は今回日本に帰ってくる直前に、カディスのペーニャ・デ・ペルラ・デ・カディスのコンクールがあって、そこで招待ダンサーとして踊ってきました。
――中田さんが2位入賞を果たした、あのコンクールでですか?
中田 そうです。ゲストとして踊らせていただきました。
――それはまたどうして?
中田 何年か前まではコンクール参加者だったのが、最近は一人の踊り手としてつきあってくれるようになりました。これがカディスなんです。なんというか、ひとたび扉をあけたら、とことん向き合ってくれるオープンさというか、懐の深さというか。多分テクニック云々ではなくて、私という人間を受け入れてくれたのだと思います。
――カディスのフラメンコのアイレに通じるものがありますね。
中田 そうなんです。私もカディスのフラメンコが大好きで、カディスの陽気さ、粋なアイレは、私には相性がいい。私、前世はカディス人だったんじゃないかと思うくらい(笑)。ノリとか笑いのつぼがカディスの人たちと一緒なんです。カディスは私にとってとても居心地のいい場所です。
――そんな大好きなカディスのフラメンコを日本に紹介したいと?
中田 はい。実は今回招聘した4人のアルティスタの中の1名は、コンクールの時にバックを務めてくれたアルティスタなんです。コンクールの時彼らは、私が日本人かスペイン人かではなく、私の思いを受け止めてくれました。そこから彼らと仕事仲間以上の友情で触れ合い、大声で笑いあった結果、2位を受賞することができました。その時、受賞以上にうれしかったのが、地元とカディスの観客の皆さんが大きな声でかけてくれたハレオでした。「カヨコいいぞ!!」「Ole(オレ)!!」ってね。その舞台を踊り終わったそのとき、「このカディスの空気を日本のみんなに見て欲しい! 彼らと一緒に日本へ行くぞ!」と強く思ったんです。それが、今回の公演の始まりです。
――カディスというとアレグリアスやタンギージョがすぐに思い浮かびますが、もう少しカディスのフラメンコについて説明していただけますか?
中田 カディスって、ヘレスとは別のもう一つのカンテ王国なんです。町にはペーニャがいくつもあって、カンテ好きのアフィシオナードがたくさんいるのです。ヘレスが有名ヒターノ一族出身の偉大なアルティスタたちが主流のカンテとしたら、カディスのカンテは、もっと庶民的で、明るくて、粋で、そして哀愁があります。
――今回来日するアルティスタたちは、そうしたペーニャを拠点に活動している?
中田 はい。今カディスで大活躍している人たちです。海外の公演活動もしていますが、生粋のカディスのフラメンコ。
――今回の公演タイトルは「追憶」ですが、中田さんのフラメンコの原点にカディスがあるわけですね? 出演者に岩手県を代表する民謡歌手福田こうへいさんのお名前があるのは、中田さん自身のルーツをたどるという意味でしょうか?
中田 私の原点・岩手への想い、そしてフラメンコ人生を開花させてくれたカディスへの想い、その二つを込めたのが「追憶~Reminiscensia de Cai」です。今回は、カディスのフラメンコを皆さんに堪能して頂くのがメインですが、その中で故郷への想いも一曲だけ取り入れました。昨年の震災を経験して(震災時中田は帰国中だった)、今まで以上に東北のこと、故郷岩手のことを考えるようになりました。フラメンコをこれから続けていくときに、私自身のルーツも大切にしたいと思っています。東北のエネルギーを歌に託して踊ります。
――だんだん、公演の全体像がつかめてきました。異色のコラボレーションも楽しみです。
中田 はい。がんばります。当日は、カディスのアイレをたっぷり味わっていただく構成です。カディスの風に、みなさんあたりに来てください。
――今日は長い間ありがとうございます。公演、楽しみにしています。

公演情報
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中田佳代子フラメンコ舞踊公演「追憶~Reminiscencia de Cai~」

2012年7月8日(日) 盛岡劇場メインホール 開演16:00
    11日(水) 渋谷区文化総合センター大和田さくらホール 開演19:30
    13日(金) クレオ大阪東ホール 開演19:00
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中田佳代子プロフィール
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