悠久のときをその身に宿すイネス・バカンがやって来る。今回は、東京・大阪・福岡の3ヶ所で公演。東京と大阪ではクルシージョも予定されている。
今回の見所は、なんといってもギター伴奏がアントニオ・モジャであること。
今は亡きイネスの兄、ペドロ・バカンを継承するカンテ伴奏の名手モジャは、レブーハ&ウトレーラの歌い手にとっては欠かせない存在。イネスにも例外ではない。モジャは、イネスが最も信頼を置き、共演を重ねてきたたギタリストなのだ。イネスの魅力をさいだいげんいひきだしてくれるにちがいない。
さて、ここ数年、カンテファンの数も、カンテ・ソロのコンサートも確実に増えている。
ドローレス、フェルナンド・デ・ラ・モレーナ、ダビ・パロマール、ホセ・バレンシ ア......。ここ1年あまりのあいだに来日し、カンテ・ソロ公演を行った歌い手たちを思いつくままにあげてみてもそうそうたるアルティスタたちだ。
しかし、その公演の多くは、踊り伴唱での来日に便乗したものだったり、アフィシオナードの尽力により実現するものがほとんどだ。つまりスポンサーはおろか、プロの制作会社や招聘元を介さずに行われているものだ。
理由は簡単だ。ビジネスとしてなかなか成立しないから、プロの興業主は手を出さないのである。裏返せば、プロのノウハウを持ってしても興業的には成功しないことを、アフシオナードたちが、アフィシオンを支えに行っているということだ。
まだ記憶に新しい、1月に来日したエンカルナ・アニージョの場合は、スイス在住のバイラオーラ林結花さんが招聘の労を担ったもので、彼女のアフィシオンあふれるその取り組みは、多くのフラメンコ関係者やファンの心を突き動かして、エンカルナ旋風を巻き起こした。日本では、一部のコアなカンテファンを除いてはまだ認知の低かったエンカルナだったが、結花さんはその魅力を広く浸透させ、公演を成功させたのだ。公演実現までの経緯と公演プロデュースにかける思いを綴った結花さんの原稿をここ「シティオの眼」でも掲載した。
さて、此度のイネス・バカンの公演がじつげんしたのも歌い手の近藤裕美子さんの尽力によるものだ。公演準備に、彼女は今日も奔走していることだろう。
定石を積み上げたプロの仕事よりも、情熱が先走るアマチュアのほうが、結果的によい仕事をすることがある。情熱は無敵だ。フラメンコの場合は特にそうだ。なぜなら、その情熱こそが、アフィオンこそが、カンテの名人たちを突き動かす原動力に他ならないのだから。
お金のためでも、名誉のためでもなく、アフィシオナードたちは、
いい歌が聞きたい、その歌を多くの人に聞かせた、心臓をわしづかみされるようなフラメンコの時間を得たい、ただその一心で、まい進する。それが、至福のカンテを、奇跡の時間を呼び起こす。
そしてそういう人々の情熱の連鎖が、きっとカンテをこの日本の地に根付かせていくにちがいない。
イネス公演の仕掛け人、近藤裕美子さんの情熱を、ここにお届けしたい。   

(編集部 西脇美絵子)


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特別寄稿 イネスが生み出す渦に...。

文 近藤裕美子  舞台写真 高瀬友孝

 
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魂が浄化されるとは、こういうことなのか。
自分自身がイネスの作る大きな渦に巻き込まれ、翻弄され、形を無くす。
歌を聞いて悲しいとか、嬉しいとか、そういう感情を飛び越して
ただただ、放心状態で目の前のイネスを見つめる事しかできなかった。
気が付いたら、涙がぼろぼろこぼれていた。
2014年2月。
都内の某所にて、イネス・バカンのライブが開催された。
大々的な告知を行っていなかったにも関わらず集まってくれた40名の観客は
みな、彼女の作る渦に飲み込まれ、言葉を無くした。
一応「ライブ主催者」という肩書きを持っていた私も
あまりの状況に、情けない事に途中から仕事など忘れ、ただの一人の観客になってしまっていた。
イネス・バカン。
セビリヤ県レブリーハに、ピニーニの曾孫として生まれたカンタオーラ。
私が彼女と出会ってはや10年になる。
当時の私は学生時代に習っていたカンテを忘れられず、会社を辞めてスペインに短期留学してしまっていた。しかし、通う予定で日本から連絡をとっていた先生のクラスが中止になるという、今から考えてみれば非常にスペインらしい洗礼を浴びて到着早々途方にくれていた。そんな時、たまたま友達に紹介してもらった踊り手コンチャ・バルガスに「だったらレブリーハに行ってイネスに習えばいい。彼女の歌うカンティーニャは涙が出るよ。」と言ってもらったのだ。
自分の勉強不足をさらけ出すようで恥ずかしいのだが、私はその時点に至るまでイネス・バカンの事を全く知らなかった。しかし、こんな素晴らしい踊り手、コンチャにそこまで言わせる歌い手ってどんなんだろう?と思い、その日のうちにコルテでイネスのCDを購入し、カンティーニャを聞いてみた。
なにこれ。
私が今まで聞いてきたフラメンコって、もっとしゃがれた声じゃなかったっけ?
CDから流れてくる、何とも悲しそうな、朴訥とした歌声に最初は少しだけ違和感を持った。
しかし、聞き進むにつれ、どんどん彼女の歌が気になってきた。気が付けば何回も何回も同じ曲を繰り返し聞いてしまっていた。
会ってみたい。
心からそう思った。
アンダルシア・エクスプレスに揺られ、セビージャから約1時間。初めて訪れたレブリーハの第一印象は「素朴」の一言に尽きた。
駅前は何もなく、駅舎の横に広がる草原には時に馬が放牧されていたりする。ひたすらのんびり、ゆったりと時間が流れている、そんな光景がとても似合う町。
そして、初めて会ったイネスも、レブリーハと同じくとても素朴な人だった。
イネスは、なんだかふわふわ夢の中に居るような感じの女性だった。決して何かをひけらかすことも主張することもせず、ただ、いつも、そこに居た。だが、ことフラメンコの話になると顔つきが一変し、ふわふわしたイネスは消え去ってしまう。一見すると柔らくて手触りの良いコットンに覆われているが、その奥には「フラメンコ」という硬くて太い樹木がどっしりと居座っている、イネスとはそういう人間だった。
イネスは、いつも自然だった。当初は突然やってきた日本人に少し人見知りをしていたようだったが、だんだん警戒が解けると私を自分の娘のように扱ってくれ、どこに行くにも一緒に連れて行ってくれた。しかし、一緒に居てもあまり口もきかず、ただ静かに歩いている姿に何だか心配になり、頻繁に「大丈夫?疲れていない?」と言ってしまう私に対して「...ユミコはいつも私に『疲れてる?』と聞くのね」とよく苦笑いされた。
自然である。
これは、彼女の歌にもはっきりと表れていた。
この人の歌は鎧を纏っていない。
その必要はない、だって彼女の中には、レブリーハの土壌に育まれたピニーニ一族のフラメンコがある。父、母、祖父、祖母、そしてその先の世代から受け継いだ精神。イネスが呼吸をするように歌いだすと、その場にいる私たちは彼女の世界に取り込まれてしまう。歌っているイネスの前では自分なんて小さすぎてどうでも良い存在で、それが怖くもあり、嬉しくもあり、本当に不思議な感覚だった。
sleburija2.jpgクラスの間は殊勝に歌詞を書き取ったりもしてはしていたが、正直な話、目の前の彼女が発する空気を受け止めるだけで精一杯だった。レトラとかメロディとかは確かに大事だけれども、それ以上のものをイネスは身をもって教えてくれた。これがフラメンコなのよ、と、イネスが発信し、私はただただ圧倒され続ける、そんな素晴らしい毎日だった。
そんな濃厚で短い生活も終わりを告げ、私は帰国した。イネスから「いつか日本に行きたい」と言われはしたが、フラメンコの世界に片足どころか指一本分くらいしか突っ込めていない私にはどうする事もできず、そうできたらどんなに幸せか、という夢物語として受け止めていた。
ところが、それから10年後、イネスはコンチャの公演のため、ついに来日する事になったのだ。
あの歌が日本で聞ける、しかもコンチャの踊りと一緒に!?と大興奮していたところ、何という事か、イネスの世話役を私に任せる、ついてはカンテライブも企画してね、と、コンチャのライブの主催の方からご連絡を頂いた。
イネスのカンテライブ。
まさか、それを日本で開催する日が来るなんて。
そして、それを、自分が企画するなんて。
最初に「日本に行きたい」と言われてから年月が経ったとは言え、残念ながらまだまだ変わりばえもなくひよっこな歌い手である自分には、途方も泣く荷が重い任務とも思えた。
また、遠く離れた日本に連れてきて、イネスに影響は無いだろうか。水が変わると枯れてしまう植物のように、彼女の歌が変わってしまわないだろうかと、心配事が次から次へと湧き上がってきた。
しかし、イネスの歌を日本で聞く、という奇跡に立ち会えるのならと、とにかく前に進むことにした。
2014年2月。都内某所。
超満員の観客の目の前に、ついにイネスは座っていた。
コンチャの息子・クーロが静かにギターを弾き始めると、空気がぴりっと引き締まった。
最初はさすがに疲れが出ていたのか、イネスからいつもの衝撃は感じられなかった。しかし、2部のFandango por soleaが始まると、みるみるうちに場内の空気が変わっていった。
なにこれ。
渦が見えた。
渦に巻き込まれた。
ぐるぐるぐるぐる、と、翻弄され、さんざん弄ばれ、
やっとたどり着いた先ではイネスが私の魂の醜い部分を救ってくれていた。
変な表現になって申し訳ないのだが、その瞬間は本気でそう思った。
気が付いたら、会場は静まり返り、そこかしこですすり泣きをする声が聞こえていた。
あぁ、みんな、イネスに同じ場所に連れて行ってもらったのかな、と真っ白な頭で考えた。
私たちはあの瞬間、あの場所で、イネスに導かれ、確かにフラメンコの中に居たのだ。
あの夜は夢だったのだろうか。
レブリーハの至宝、イネス・バカン。
日本で素晴らしい奇跡を起こした彼女は、4月に再来日する。
今回は東京だけではなく、大阪・福岡も巡る初のツアーを決行する。
ギタリストはイネスが全幅の信頼を置くアントニオ・モジャ。イネスの兄、ペドロ・バカンのアイレを受け継ぐ貴重なギタリストだ。
あの夜のような奇跡がまた起きるかどうか、それは正直なところ解らない。
いつでも彼女は「自然」に、そこに居るだけだ。
だが、イネスの生み出す渦に一度でも遭遇できたら、そして翻弄された後の世界を見る事ができたら...その人にとって、こんな幸せなことはないと思う。
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■公演とクルシージョの詳細情報
イネス・バカン東京公演
イネス・バカン大阪公演
イネス・バカン福岡公演
イネスバカン大阪クルシージョ
イネスバカン東京クルシージョ
    

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