来たる9月22日にエル・フラメンコで初の東京公演を行う徳永健太郎・康次郎兄弟。圧倒的な実力で健太郎が日本フラメンコ協会新人賞を受賞したのが3年前。兄に続いて康次郎が同じく奨励賞を受賞したのが2年前。
それぞれ中学を卒業した15歳の時に渡西し、スペインから帰国しての新人公演挑戦だった。突如登場した若い才能に、兄弟ともに初チャレンジでの連続受賞に、観客は驚き、当時大きな話題を集めた。
それまでまったく無名だった二人が、一躍フラメンコ界の期待のホープとなったのだ。
15歳という若さでスペインへ渡り本場でフラメンコの道を志す彼らに、日本のフラメンコの新たな時代を予感した人も多かったことだろう。
だが、私たちの注目をよそに彼らは受賞後すぐにスペインに戻ったので、その後彼らの素顔はほとんど伝えられていない。彼らのギターを聴くチャンスもなかった。
そんな二人の公演直前インタビューをお届する。彼らはスペインでどんなふうに暮らしているのか、何を思いスペインへ旅立ち、彼らは今どこに向かって歩もうとしているのか。彼らの魅力の一端をお伝えできればと思う。
表示自然にギターに親しんだ子供時代
――3年前の新人公演での健太郎さんの登場は、本当に衝撃的でした。その後お二人ともずっとスペインだったので、こうしてインタビューできる日を、楽しみにしていました。お二人は、お父さんが、フラメンコギタリトの徳永武昭さん、お母さんが踊り手の小島正子さんで、生まれた時からフラメンコが身近にあったという独特の環境だったと思うのですが、フラメンコギターはいくつのときから弾いていたのですか?
健太郎 う~ん、ちょっと覚えたいないくらい小さいときから弾いていましたね。
康次郎 はっきりとは覚えてないけれど、写真を見ると4歳くらいの時には弾いてるんですよね。赤ん坊の時からギターで遊んでる写真がいっぱいあります。
――最初からフラメンコギターだったんですか?
健太郎・康次郎 そうです。
健太郎 僕は中学の頃バンドトをちょっとやってた時期もありましたが、最初からフラメンコギターでしたね。バンドをやってたときもフラメンコは続けてたし。
――フラメンコは、最初から好きだったんですか? フラメンコをやることに疑問とか違和感を感じたことはなかったのですか?
健太郎 他の音楽に興味を持ったことはあるけど、フラメンコはずっと好きでしたね。
康次郎 好きでしたね。でも、だからといって毎日フラメンコギターを弾かなきゃいられないというわけではなかったですね。ギターが生活の中心ではなかったです。
――中心ではないけれど、ギターが身近にいつもあったっていう感じでしょうか?
健太郎 そうですね。子供の頃は、何より友達と遊ぶのが好きだったし、弾きたい時に弾いてました。
康次郎 僕たち小さいの頃から、ボランティアとか地元のイベントとか人前で弾く機会がよくあったんです。そういう発表の場があると直前に一所懸命練習して、やらない時は全然やらないという感じだったですね。中学まではそんな感じでした。それでも父はなにもいいませんでしたし。
――お父さんはスパルタではなかったんですね?
健太郎 ええ、全然。自由に、僕たちのペースでやらせてくれました。父自身言ってましたけど、フラメンコの楽しさを僕たちに教えたかったようです。だから無理やり弾かされるということはなかったですね。
――そういうペースはいくつくらいまで?
健太郎 中学まではそんな感じでのんびりやっていました。
――でも、中学卒業と同時にスペインへ行ってますよね。普通に高校に進学しないでフラメンコギター留学でスペインへ行くというのは、大きな決断だったのではないですか? のんびりマイペースでやっていた中学までとは随分ギャップがあるように思いますけど。
健太郎 実際スペインへ行った時点では、ギターは弾いていたけど、フラメンコがどういうものかはわかってなかったと思います。向こうで、色々なフラメンコの中に身を置いて、フラメンコ三昧の生活をする中で少しずつわかってもきて、僕が本当にフラメンコに夢中になったのは、それからです。大きな決断というよりは自然な流れでスペインへ行くことを決めたんですが、決めたら何となく追いつめられたような気持になって、ギターもたくさん練習するようになりました。
――高校に進学しようかと迷わなかったのですか?
健太郎 それはなかったですね。もちろん友達は、皆高校へ行きましたけど、僕は自分が普通に高校へ行くイメージというのが、なぜか全然わかなかったんです。それよりもスペインへ行くという選択肢が、当たり前に自分の中にはありました。両親も自然にそれを受け止めてくれましたし。
康次郎 勉強好きじゃなかったんだよね(笑)。
健太郎 たしかに(笑)。だから、何となく高校へ行くよりも、やっぱり好きなことをやって生きていけたららいいなと、漠然と考えていました。
――康次郎さんの場合はどうだったのですか? 先に健太郎さんがスペインに行ってたわけですよね?
康次郎 僕は最初は高校へ行こうと思ってたんです。やっぱり高校に行かないでスペインへ行くというのは、リスキーな部分あるし。スペインへ行くのは高校を出てからでいいかなと。でも、、健太郎が家に帰ってくるたびにどんどんギターがうまくなってたんですよ。あと3年もこのまま日本にいて、健太郎においてかれるのはいやだなと思ったんです(笑)。健太郎を見ていたら、僕も自然とスペインへ行きたくなったんですね。
表示スペインでの生活
――スペインへ行ってから、どのくらいになるのですか?
健太郎 僕は今年で5年目です。
康次郎 僕は3年目です。
――スペインでは、どのような毎日ですか?
健太郎 平日は毎日フンダシオン(セビージャのクリスティーナ・ヘーレン財団フラメンコ芸術学院)へ行っています。
――健太郎さんは副講師をやっていると、プロフィールに書かれてありますが?
健太郎 はい、正教授の助っ人的存在で、授業のフォローをします。僕は今は舞踊クラスの担当なので舞踊伴奏をするという形で正教授の手助けをしています。
――もう生徒としては卒業されたんですか?
健太郎 はい。卒業しました。
――学校はどういうシステムになっているんですか?
健太郎 初級、中級、上級と各コースが1年単位でカリキュラムが組まれていて、1年ごとに修了証がもらえます。僕は中級からはいって上級を2年やりました。
――そのあと、副講師になったんですね?
健太郎 幸運にもそういう機会を学校から与えていただきました。
――康次郎さんは、今どういう状態ですか?
康次郎 僕も中級からはいって、今度(スペインは秋から新学期)上級の2年目です。
――フンダシオンで学ぶことはスペインに来る前から決めていたのですか?
健太郎 僕は、最初はホセ・ガルバンの家に下宿していて、彼のアカデミアでずっとギターを弾いていました。こちらは学校のスタートは9月なので、中学を卒業してすぐにこっちへ来て、ホセのところで弾きながらどこで勉強するのがいいのか情報を集めました。それで、フンダシオンに通うことを決めました。
――ホセのところでは舞踊伴奏をしていたのですか?
健太郎 はい。一から教えてもらいました。それとギターの先生について個人レッスンも受けていました。
康次郎 ホセは元々は母の先生で、小さい頃からスペインへ行くとホセの所へ行ったりホセたちが家に遊びに来たり交流があったんです。スペインへ来たら自分のところへ来いと、ホセはいつも言ってくれてたんです。
――今も住まいはホセ・ガルバンのところ?
健太郎 いいえ、ホセの家にいたのは最初の1年です。イスラエルやパストーラが住んでいるホセのピソがあるんですが、2年目はその一部屋を借りて、今度のライブにも出演してくれるアヌーシュ(・サダット)君と住むようになりました。今はまた別のピソに変わって、康次郎やアヌーシュ君たちと住んでいます。
――康次郎さんもホセのところへ弾きに行っているのですか?
康次郎 はい。学校の後に6時くらいから9時くらいまで週三日、ホセ・ガルバンのアカデミアでバイレ伴奏してます。
――ところで、好きなアルティスタ、今まで影響を受けたギタリストはどんな人たちですか?
康次郎 パコ・デ・ルシア、トマティート、ビセンテ・アミーゴ、ホアン・カルロス・ロメーロなど、好きなアルティスタはたくさんいます。。でも影響を受けたといわれると、フンダシオンにいるペドロ・シエラかもしれません。
健太郎 僕もパコやビセンテ、トマティートなど影響を受けたアーティストは数えきれません。僕のフラメンコは、フラメンコのあらゆる視点、角度から、そしてどのアーティストからも影響を受けてきました。出会える限りの感動を評価できること、それは僕のこれからのアーティスト人生の中で最も大切にしたいことの一つです。
表示
二人にとっての新人公演、そしてスペインでの挑戦
――ところで、新人公演にはどういう気持ちでで出ようと思ったのですか?
健太郎 チャレンジですよね。こっちでずっとやっていて、日本ではどんなふうに評価されんだろう?って思ったんです。日本のことはまったく分かっていなかったので。
――健太郎さんの登場は、ほんとに衝撃的でしたけど、あの時自分ではどんな感じで演奏していたのですか?
健太郎 最初はすごく緊張してたんですが、弾き始めたら自然にいい感じで弾けました。落ち着いて弾くことができました。
――そんなふうに見えましたよ。堂々たる弾きっぷりでした。新人公演に出てくる人というのは、特に上手い人は、すでに活動を初めていたり何度も新人公演に挑戦しいているという人が多いので、だいたいどんな人が弾いているのか知っている場合が多いんです。健太郎さんの場合は、まったくの無名の新人が突然出てきて圧倒的な実力。それもあの若さでしょう。誰だ?誰だ?この人?という感じでした。で、次の年は、今度は康次郎さんでしょう? まさか健太郎さんに、こんななギターの上手い弟がいたとはね。これまたびっくりでした。
康次郎 予想外でしたか(笑)?
――ええ、まったくの予想外。出場したのはスペインへ行ってからどのくらいの時ですか?
健太郎 2年めが終わった頃ですね。
康次郎 僕は1年が終わった時。
表示――スペインへ行く前は、それほど練習してなかったし、フラメンコもよくわかってなかったって言ってましたよね? わずか2年、1年で、あそこまで上手くなったんですか。日本にいた時はどのくらい弾けてたんでうか? ヌメロでいったら何曲くらい弾けてました?
健太郎 2、3曲種くらいかな。
康次郎 子供の頃から、ライブとかに出てソロを弾いたりもしてたんですが、それはあくまで子供の演奏でしたね。
健太郎 日本にいたころは、これは○○っていう曲だよって言われて、父に教えられた通りに弾いてただけですから。その曲がフラメンコだっていう程度の認識しかなかったです。
――では、フラメンコがどういうものかをつかむまでには、どのくらい時間がかかりましたか?
健太郎 それは、今も学びの途中です。
康次郎 今でも新しい気付きや発見はたくさんあります。
健太郎 一つの段階を終えるとまた次のテーマが出てきますからね。
――では、新人公演に出場して奨励賞を取って、色々な反響があったと思いますが、出たことによって何か変化はありましたか?
健太郎 やっぱり、評価していただいたことは、自信につながるし、励みになりました。少し時間がたつと受賞の実感もわいてきて、学んでいくということにとてもポジティブになったと思います。
――康次郎君にとっては新人公演はどんなものでしたか?
表示康次郎 前の年に健太郎が出場して評価されて話題になったりして、僕も挑戦したいなって思ったんですね。僕はこっちに来てまだ1年だったんで、ほんとうにチャレンジというつもりで出場しました。僕、結構緊張体質で、あの時は出場順も一番最後でほんと緊張しちゃって、自分的にはダメでしたね。練習だけはたくさんやってたんでなんとかまとめられたんですが。帰りの新幹線の中で、来年は何を弾こうかなんて考えていたくらいです。
健太郎 そうだ、受賞の連絡があった時も来年のこと話してたもんな。
康次郎 思いもよらず奨励賞をいただけて、ほんとに驚いたしうれしかったです。
――受賞して何か自分の中に変化はありましたか?
康次郎 それはあまりなかったように思います。
健太郎 康次郎は、弾き終わった後で、すでに心境が変わってたんだと思います。自分の思うように弾けなかったということで、その時点で次に気持ちが向かってたんだと思います。
――なるほど、賞をとったから云々ではなくてね。
康次郎 あんなに大きい会場で弾いたのも東京で弾いたの初めてだったので、緊張ももしたし、課題もたくさん残りました。
――それが、今の康次郎さんにつながってるわけですね。では、日本で評価されたその実力、スペインではどのくらい通用するものなのでしょう?
康次郎 僕はまだまだですけど、健太郎はスペイン人の仲間とやっていても、あいつは上手いって感じで一目置かれています。テクニックもあるしね。でもナショナルのコンクーに出た時には、ちょっと違ったかな。
健太郎 バルセロナで行われたコンクールだったんですが、第一選考はデモテープを送って、何十人もの応募の中から10人が選ばれたんです。そうしたら、ほかの9人がものすごくレベルが高くて、なんで僕がここにいるの?っていう感じでした。普段CDで聞いているような人たちがたくさん出ていて、レベルの違いに衝撃を受けました。
康次郎 普段学校で弾いているときとか、仲間内では、健太郎は圧倒的にうまいんですよ。でもあのコンクールでは、ガーンとやられたよね。
健太郎 実力を思い知らされました。
――プロとして活躍しているようレベルの人たちっていうのは、やっぱりすごいでしょうし、また層も厚いということでしょうか?
健太郎 ビセンテとかトマティートを師匠と仰いで影響を受けているような、僕達よりも10年くらい上の、20代30代の若手・中堅の人たちの中から、パコやビセンテに連なるような人がどんどん出てきています。そういう若手でバリバリやっている人たちがそのコンクールに出ていたので、ほんとに衝撃を受けました。彼らと同じステージに立てて弾けたという光栄な感じもありましたが、どこか身の置き所のないような、恥ずかしいようなところもありましたね。
康次郎 そんことないよ。中々張りあってよくやったよ。健太郎が一番下手だったわけじゃないし(兄に語りかける康次郎)。
健太郎 いやいや、あの緊張感は、これ決勝までもたないなって感じだったよ。
――これからもそういうチャレンジは続けていきますか?
健太郎 恐いなっていう気持ちもあるんですけど、できる限りチャレンジしていきたいと思っています。
――ぜひ頑張ってください。期待しています。孝次郎さんはどうですか? そういう挑戦をこれからやっていくんでしょうか?
康次郎 僕はまだまだ修行中で、あと1、2年はじっくり勉強して、チャレンジはそれからですね。
――その時が来るのを楽しみにしています。
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東京初公演に向けて
――では、9月に行われる東京公演について話を聞かせてください。昨年秋に新潟で公演されてますよね? あれが二人の初公演だったのですか。
康次郎 ライブには、これまでにもたくさん出演していますが、二人だけでホールを借りての演奏会という意味では初めてでしたね。
――手応えはいかがでしたか?
健太郎 曲作りから、構成、そして演奏と全て自分たちでやったので、終わった時にはやはり、充実感がありましたね。今度はもっと色々な方々に聞いていただきたいと思い、東京での公演を考えるようになりました。
――カンテで大渕博光さん、バイレでSIRCOさんも出演しますね。
康次郎 はい。大渕さんは新潟公演の時も出ていただきました。SIROCOさんは今回が初共演になります。
康次郎 東京公演では、ギターのソロやデュオだけでなく、僕たちのカンテ伴奏、バイレ伴奏も聴いていただきたいと思ってます。
健太郎 僕たちがふだんスペインでフラメンコを楽しんでいるのと同じようなス形で、カンテやバイレとともにフラメンコの楽しさを伝えたいとと思っています。
――友情出演で、パルマの木村直哲さん、ギターでアヌーシュ・サダットさん、バイレでジャムナ・エンリケスさんの名前がありますが。
康次郎 皆、向こうで一緒に学んでいる仲間たちです。木村君はすれ二日本に戻っていて本当はギタリストなんでうが、パルマもとても上手いんです。アヌーシュ君とジャムナさんは僕たち同様外国人としてフンダシオンでフラエmンコを学んでいる友人です。
健太郎 向こうのアイレをそのまま持ってきたような、ガッツリフラメンコなコンサートにしたいと思っています。
――それは楽しみですね。9月22日、楽しみにしています。最後にお二人の今後について聞かせてください。公演が終わったらまたスペインへ戻られるのですか?
康次郎 はい、僕は学校が始まる10月に戻ります。
健太郎 僕は11月の戻ります。
――これからもずっとスペインを拠点にとかんがえているのですか?
健太郎 できるだけ向こうにいたいとは思っています。ただ日本で演奏する機会は、これから増えていくと思います。
康次郎 僕はあと1年はスペインにいようと思いますが、その後のことはまだ考えていません。日本に帰ってきて、どんどん活動していきたいという気持ちもあります。
――今度の活動は、常に兄弟一緒にと考えているのですか?
健太郎 そういうわけがはありません。ソロで活動することもあるでしょうし。二人だからできることもたくさんあると思うので、そういう部分は一緒にやっていきたいです。
――スペインでも日本でも、お二人がどんどん活躍されていくことを楽しみにしています。今日はありがとうございました。
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