この8月、ドローレス・アグヘータが8年ぶりに日本で唄った。
場所はフラメンコ好きならよくご存知の博多のスペイン・レストラン、ロス・ピンチョスだ。
 
東京住まいの身には博多は遠い。
ましてお盆の前であり、交通費も馬鹿にならない。それでも行きたかった。
だって、あのドローレスがファミリアで来て、しかも最上のアーティストには最上のもてなしをするロスピンで唄うのだ。どれほど佳いものが出てくることか。
それに、時期的にも距離的にも条件が良くないとなると、本当にドローレスの唄が聴きたいという人しか来ないかもしれない。それは、非常に繊細なアーティストであるドローレスが、温かく迎え入れてくれる環境にホッとして唄える可能性が高いということでもある。行くのがしんどいような時こそ、むしろ佳いものに出会えるチャンスではないかと、そう思った。


ドローレスの真価に触れて
 
ドローレスとの出会いは12年前の2000年。
ギタリスト、俵英三氏の企画する「カンテ・フラメンコの招待席」で彼女が来日した時のことだ。
もともと私自身はドローレスの父であるカンタオール、マヌエル・アグヘータのファンで、人生において辛かったいくつかの場面を彼の唄で慰められてきた経緯があった。ドローレスを聴きに行ったのは、彼女がその娘だということが一番、動機として大きかったと思う。
しかし、この時のドローレスの唄は少々硬かった。今より若かったこともあるだろうが、何より彼女は繊細であり、初めての国で見知らぬ聴衆を前にして緊張していたのだと思う。ステージも短く、彼女のすべてを味わったという具合にはいかなかった。
 
だが2004年に来日した時は事情が違った。私はたまたま、当時、新宿でフラメンコ居酒屋ナナを経営していた故パコ山田氏を伴っていた。
パコはドローレスが舞台に上がるやいなやハレオをかけ、唄の途中でも独特の名調子でスペイン語のハレオをかけた。するとドローレスはすっかりパコに向かって唄い始めた。心からの「オレ!」に心で応えたドローレスの唄に、パコの隣で私は鳥肌を立てていた。
ステージが終わり、店を開けるというパコと共にナナに行った。すると俵氏から、ドローレスがお礼を言いたいというからナナに連れて行くとの電話。ナナの小さな空間で、ドローレスはパコに輝く笑顔を見せた。しかしその後は、ただ見知った周囲の人とだけ話をし、他の誰ともほとんど目を合わせなかった。知らない人間が彼女をリラックスさせるのは容易なことではないだろうと想像するのは、この時の印象があるからだ。
あれから8年がたつ。この間のドローレスについて、私は多くを知らないが、驚いたのは彼女がフアナ・ラ・デル・ピパ、ラ・マカニータと共に収録した、3人のカンタオーラによるオムニバスCD「ムヘーレス」の発売だった。近年、フラメンコのカンテCDといえば、様々な楽器やフラメンコらしからぬアレンジでお化粧を施したものばかりだが、これはカンテとギターだけで内容もまったくのフラメンコ・プーロ。この女性陣のカンテの堂々とした唄いっぷりには、多くのカンテのファンが快哉を叫んだ。
中でもドローレスだ。聴いた人はわかるだろうが、3人の中でもとりわけリアリティがすごい。どんな人の耳でもそばだたせるような、真実がそこに感じられる。ああ、ドローレスはすごいことになっている、生で聴きたい聴きたい!そう思いながら、繰り返し繰り返しこのCDを聴いていた。
dolores3-0.jpg思いを深くした"前夜祭" 
2012年8月、ドローレスは博多ロスピンでのステージの約1週間前、新宿エルフラメンコで行われた俵英三氏のギターリサイタルに特別ゲストとして友情出演し、2部で数曲唄った。フィン・デ・フィエスタにはドローレスの子供たちも出て、質の良かった会を温かく盛り上げた。
俵氏とドローレスの付き合いは古い。セビージャで開催されたビエナルに俵氏が伴奏として出たこともあり、ドローレスが最も信頼を寄せているひとりだ。
 ステージが終わってから、また8年前と同じく、俵氏からドローレスとファミリアをナナに連れて行くと電話があった。あの時と違うのは、私がカウンターの中にいることだけ。だが、実際にはもっと違った。
テーブル席でファミリアと親しい人々に囲まれたドローレスは、カウンターに座っていた俵氏に向かって延々と唄いだしたのだ。「英三のために」と。これには参った。俵氏はもちろん、その後ろで聴いていた私も誰も彼も、涙が流れてしょうがなかった。
俵氏のリサイタル後のナナでのアフターショーは、期せずしてドローレスたちのライブの"前夜祭"ともなっていた。 
これら「ヒターノのうた」にたどり着くまでのあれやこれやは、私自身の個人的な体験だ。それをあえて書いているのは、フラメンコの感動は、個人的な体験の積み重ねの上に訪れるものだと信じるからだ。
どれほど勉強しても、どれほど知識を得ても、閉じた心の中には何も染み入っていかない。心を開くためには、フラメンコが心を開いてこそのものだということを体験的に知っている必要がある。いや、これは私が書いているのではない。ドローレスのカンテが私にそう書かせるのだ。
dolores2-0.jpg一瞬一瞬が貴重な贅沢すぎる夜 
「ヒターノのうた」は、そんなふうに小さな体験を重ねた私が、この夏、最も楽しみにしていたステージだった。ところがロスピンに着いた時、本番前のドローレスはちょっと不機嫌そうで、私はどうなることかとハラハラした。
聞けば、一緒に舞台に立つ子供たちのひとりがハーフパンツで出ると言い、ドローレスはステージを何だと思っているのだと怒って、一悶着あったらしい。ああ、お母さんだなと思った。
ドローレスには子供が5人いて、伴奏をするはずだった長男のアントニオ(「VIVO」で伴奏し、ブレリアを1曲唄っている)が今回、来日できなくなったため、三男のディエゴが伴奏をつとめ(ネット上には彼の伴奏でドローレスが唄う動画がある)、次男と長女、次女、さらに次男の恋人が一緒にステージに立つことになっていた。
この他ステージには立たないドローレスの夫君であるペドロを含め、総勢7人が来日したことになる。招聘したほうはどんなに大変だったかと思うが、ファミリア全員での来日はドローレスのたっての希望だったというし、結果的に、それが最大の効果をもたらしたのではないかと私は思う。
本番前、ロスピンの店内では、遠方から来たカンテ好き、フラメンコ好きも顔を揃え、飲んだり食べたりしながら、おしゃべりに余念がなかった。期待は膨らむばかりだった。果たして、ドローレスの唄を愛する人々が占めた空間に、ドローレスは最も大事な人々と立った。さっきまでの不機嫌な顔はどこにもなく、静かなるアーティストがそこにいた。
カンテソロのラインナップは、CD「VIVO」とほぼ同じだったと思う。ティエント、ソレア、ブレリア、ファンダンゴ、シギリージャ、マルティネーテ...。
私自身は、最初のティエントからいきなり心の鍵を開けられてしまい、ひたすらバカみたいに、ドローレスの創り出す、またとない空気の中に身を任せていたので、どの曲がどうだとか書くほどのことをもう覚えていない。
ドローレスは極めて「自然のように」唄った。「自然のように」というのは、言うなれば、木々をそよがす風や、川のせせらぎ、鳥のさえずり、馬のななき、潮騒、雨だれ、そういうもののようにという意味であって、「自然に」というより、もっと根源的に自然そのものに近い、自然の一部という感じだった。
 
ドローレスの声や喉の使い方はアグヘータ独特のもので、この一族の人たちの唄は総じて好きなのだが、この日、私の心にはドローレスの唄が最も入り込み、我がことのように身を震わせて聴き入らせるものであるということをはっきりと自覚した。ドローレスの母性のなんと深いことか。彼女はまるで満ち潮の海のようだった。
ひたひたと砂浜に寄せては返す波が少しずつ足下にまでたどり着くように、荒磯の岩で砕け散る波が一度として同じ形を見せないように、静かに、だが圧倒的に心をとらえ、中に染み入り、扉の鍵を開けてしまう。潮騒であり海鳴りである唄は、悲痛だが毅然とした態度に満ちていて、私は母なる自然に抱かれている心持ちがした。カンテがこれほどまでに繊細で雄大で温かいものだということに、ただただ感動し、解き放たれた魂から涙がとめどなくこぼれ続けた。
娘たちも何曲か披露した。それは聴かせるというよりも顔見せ的な場面であり、フラメンコのファミリアがファミリアたるゆえんを我々が感じ取る貴重な機会でもある。
フィン・デ・フィエスタが終わって、本番が終了しても、遠方から着た客たちは帰らない。それはそうだ。帰ってもホテルで寝るだけなのだ。店が閉まらないかぎり、ドローレスたちといたいではないか。見れば、ロスピンの店の中央に出演者のためのテーブルが準備されている。
楽屋から出てきた彼らがテーブルにつき、食事をとる。そしてやがて、唄とギターが始まる。緊張感に満ちたステージとは裏腹に、ファミリア特有のゆるくて温かいフィエスタ。ドローレスに所望され、次男やペドロも上手とは言いがたい唄を披露する。
ケタケタと笑いながらドローレスが拍手する。それを囲んで、何ともいえない楽しげな空気を味わいつつ飲む我々。アフターショーのまったりした時間まで含め、この上なく贅沢なフラメンコの一夜だった。
 「フラメンコは野生だから調教できない」と言ったのはアントニオ・カナーレスだった。
確かにそうかもしれない。もとより日本人の我々に調教などできるはずもない。しかし、彼らのアルテを心底愛し、寄り添っていくならば、こんな素晴らしい夜が実現することもまた事実なのだ。
私たち日本人のファンには、もっともっと沢山の体験が必要だ。彼らと彼らのアルテに大いなる愛情をもって実現してくれた、招聘元とロスピンと俵氏と沢山の関係者に心からお礼が言いたい。ありがとう、皆様!
写真 高瀬友孝

 

3つの壁の乗り越え方

【フラメンコに行き詰まりを感じている方へ】

フラメンコ(カンテ/踊り/ギター/他)が難しい...
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