スペインにフラメンコ留学することは、今ではそう難しいことではない。だが、踊り手としての活動の場を外国人である日本人がスペインでつかむのは、並大抵のことではない。
バイラオーラ萩原淳子は、その堅く閉ざされた道を、一歩ずつ着実に突き進んできた。その間、果敢にコンクールにも出場し、これまでに優勝を含め何度も入賞を果たしてきた。
スペインの劇場で、ペーニャで、フィエスタで、コンクールという場で、踊り手としての経験を重ね、自身のフラメンコを追求してきた彼女が、来る4月に在西10年記念公演「ハモンは皿にのせるだけでよい」を開催する。
その公演を前に、彼女にとってのこの10年間の意味と公演に向けての想いをインタビューした。
■フェスティバル・デ・ヘレスに参加!
――4月に在西10周年記念公演を行われるにあたってインタビューをお願いしていたところ、もうすぐ開催されるフェスティバル・デ・ヘレスに参加するというニュースが、飛び込んできました。おめでとうございます。
萩原 ありがとうございます。フェスティバル併行アクティヴィティに出演が決まりました。
――併行アクティヴィティとはどういうものですか?
萩原 フェスティバル期間中に併行して行われる追加活動で、劇場に限らずヘレスの町中にフェスティバルを広げよう、という意図の元に企画されています。今回私が出演する写真展ギャラリーの中でのフラメンココンサートや、メルセデス・ルイスやマリア・デル・マル・モレーノが広場で野外クラスを開講したりなど興味深い企画がたくさんあるようですよ。
――どのような経緯で参加が決まったのでしょうか?
萩原 昨年のフェスティバル・デ・ヘレスで開催されたフラメンコの写真展を観に行ったのですが、その時もそこでライブが行われていたのです。そのギャラリーのオーナ―が、以前私の踊りを見てくださった方で、「来年ここで踊らないか?」と話を持ちかけられました。でもその時に話しただけだったので、まさか本当に踊ることになるとは驚きです。3月2日に「ギャラリー・サンチェス・デ・ラマドリッド」で踊ります。出演者はギターがミゲル・ペレス、カンテがモイ・デ・モロン、踊りが私で、4月に日本で開催する在西10年記念公演「ハモンは皿にのせるだけでよい」と同じ出演者になります。ちょうどフェスティバル期間中に開催されるクルシージョの中日ですので、ヘレスに滞在中の方は是非いらしてくださいね。入場無料です。
――フェスティバル・デ・ヘレスへの参加は、メイン公演では2004年に続いて今年も出演する鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団、昨年の小島章司フラメンコ舞踊団、それに併行アクティヴィティへの参加も含め、日本人の参加が増えています。素晴らしいことですね。
萩原 そうですね。私自身の活動歴としては、2010年にヘレスのギタリストの併行ペーニャ公演に客演させて頂き、今回は2度目なのですが、ソロでの出演になりますので大変嬉しく思っています。
――フェスティバルでは、どのような舞台になるのですか?
萩原 主催側からは公演時間は30分ほどと依頼されていますので、ミニライブという感じだと思います。会場となるギャラリーは、フェスティバル期間中に貴重な古いフラメンコ写真の数々が展示されるとのことで、その特別な空間の中でミゲルのギターとモイのカンテという共演陣とともに濃いフラメンコをお届けできると思います。
■スペインに暮らし、踊るということ
――ヘレス・フェスに限らず、他のフェスティバルや公演でも、日本人がスペインで舞台に立つ機会が、少しずつですが増えているように思います。コンクールへの挑戦も活発だし、入賞を果たす人も出てきています。2000年以降のこの流れの先頭を走ってきたのが、LA YUNKOの名前でスペインで活動を続けてきた萩原さんのように思います。スペインに暮らして10年になるわけですが、最初からこんなに長くいるつもりだったのですか?
萩原 いえ、最初は会社で働いて貯めた留学資金による自費留学でしたので、2年くらいを予定していました。経済的な問題だけでなく、スペインの生活が自分に合うかというのも分からなかったですし。ただ倹約していたら当初の貯金で3年半留学できました。その後は文化庁から頂いた奨学金で2年間の国費留学、マルワ財団のコンクール受賞賞金、スペインの財団から奨学生として学費を援助して頂いた時期もあり、留学期間を延長することができました。そのうちにスペインでも少しずつですが、踊りの仕事が入るようになり今に至っています。
――大勢の日本人がスペイン修行へ行っていますが、ほとんどの人が2、3年で一区切りをつけて帰国し、日本で活動を始めています。スペインに暮らし続けながら、踊る機会を積み上げていくということにチャレンジしようと思ったのはいつ頃からですか? またそれは、なぜですか?
萩原 私も同様に帰国して日本で活動しようと決意した時期がありました。確か2007年です。その完全帰国の1ヶ月ほど前のある日、突然、当時通っていたクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校の講師だったカルメン・レデスマから「ジュンコ、今日踊ってみない?」と声をかけられました。何がなんだか分からないまま「はい」と即答して紹介された場所が著名アーティストたちの集まるプライベート・フィエスタでした。そこでの踊りをご覧になった主催者が「日本に帰るな、ここで踊れ」とおっしゃってくださったのです。もちろん契約なんてないですし言葉だけですから、それを鵜呑みにしたわけではないのですが、もし日本に帰ったらこのチャンスはない、ここに留まれば可能性はある、その可能性にかけてみようと思ったのです。
なぜ踊る機会を積み上げようとしたか......。それは、その時の踊り(ソレア)が自分の人生の全てをひっくり返すほどの踊りだったと自分でも感じたからです。そういう踊りになったのは、前日に祖母の死を知らされたという事情もありましたが、あの環境の中にいたことも大きかったと思います。素晴らしいアーティスト、真のフラメンコ愛好家、カンテを愛するお客様に囲まれて即興で踊るという経験を絶対に手放したくないと思いました。そうすることで私は本当の意味で学べると思ったからです。
――スペインでは、どんな毎日を過ごされていますか?
萩原 留学当初は毎日2〜3レッスン+自主練習、という感じで、クラスはとればとるほどよいと思っていました。今思うに、昔はクラスを受講しないとフラメンコを学んでいるという実感がなかったのだと思います。でも数年ほど前から、今の自分にとって本当に必要かどうかを吟味してクラスを選び、量より質を重視するようになりました。最近ではクラスを受ける比重よりも自分の公演の準備として作品を作ったり練習をしたり、個人レッスンを頼まれたりする方が多いです。
暮らしぶりに関しては、こちらの生活は日本のようにちゃっちゃっと物事が運ばないですから、生活上の雑事に結構時間がかかったりします。また予定というものがあってないようなものなので、日本のようなスケジュール調整というのは難しいですね。でもそんな半即興的な生活がフラメンコの文化の基盤になっていると思います。
――ここ何年か、時々帰国されてクルシージョを開かれていますが、日本とスペインで仕事のバランスは、どんな感じですか?
萩原 やっとスペインでもペーニャ公演など踊りの仕事が入ってくるようになり、これからどんどん道を切り拓き始めるぞ、といった所でこの経済危機。その影響で仕事がかなり減っています。スペインでのコンクール受賞後、個人レッスンや振付の依頼が増えているのも事実ではありますが。日本でのクルシージョはお陰様で東京では11回目を迎え前回から福岡や大阪での開講にも至っていますので、仕事の面では日本の方が恵まれていると言えます。ただ生活の基盤はこちらなので、この経済危機は本当に深刻な問題です。一部のフラメンコアーティストを除き、スペイン人著名アーティストたちにとっても皆そうですし、フラメンコ界以外でもそうです。
――萩原さんはご自身のブログで、スペインでの挑戦について、厳しい現実をとても率直に綴っていらっしゃいます。それでも、スペインの舞台にチャレンジする日本人は増えています。萩原さんもそうですがコンクールの入賞を果たす人も増えているように思います。フラメンコのグローバル化というか、外国人への門戸は少しは開かれつつあるようにもみえますが、どうなのでしょうか? ご自身はどう感じていますか?
萩原 世界中の人からフラメンコが愛されているというのは本当だと思います。周りのフラメンコ留学生を見ても、本当に様々な国から来ているのだなと驚きます。外国人留学生のレベルも非常に高くなっていると思います。ただそれは技術的なレベルであって、それが本当にフラメンコなのか、フラメンコを、カンテを愛する人たちの内臓からの¡ole!を引き出せるかというのは別問題です。
そしてグローバル化といっても、私たち外国人が考えるグローバル化とは違うかもしれません。フラメンコの経済効果という点から考えた時に、スペイン側にとって得になるようなグローバル化というのも存在すると思います。その根底には、外国人はあくまでも"お客様"という考え方があります。"お客様"としてちやほやする・されるという関係と、真のフラメンコの仲間としての関係は明らかに違うと思うのですが、それをグローバル化と呼ぶか呼ばないかは立場によって変わってくるでしょう。しかしどちらが良い悪いという問題ではなく、現在のスペインにおけるフラメンコの立場を考えた時に自然にそうなるのだと思います。それがフラメンコの持つ、もしくは持たざるを得ない側面でもあると思うので。
スペインでの踊りの仕事の面に関して言えば、外国人といっても容姿がスペイン人に近い人とそうでない人との間には雲泥の差があります。観光客向けのタブラオなどの仕事を得やすいのが前者なのは言わずもがなでしょう。地域差があるので一概には言えませんが、私の住むセビージャは踊り手のメッカで、スペイン全土・世界中から実力のある踊り手が集まっていますので、たとえスペイン人であっても競争は熾烈です。
コンクールにしてもやはり外の人間は不利、というのは身をもって体験し続けています。何度も何度も憤り、悔し涙を流した結果至った私の結論は「東洋人だから自分は不利だ」と思う自分の考え方が自分を一番不利にしている、ということです。だから周りがどうであれ自分がどう考えるかによって自分の行動が決まり、それによって自分の道が変わってくると私は考えるようにしています。ただ、フラメンコのグローバル化、外国人への門戸が少しずつ開かれている状況を勘違いして土足で入って行くことのないようにしたいと思っています。人としてフラメンコに対して敬意を払うこと、踊り手としてスペインで通用する実力をつけること。それが舞台に立つ最低条件だと私は考えています。
――スペインで活動することの意義をどのように考えていますか?
萩原 私は自分の人生の中でスペインで生活することを選び(今のところ)、自分の分は自分で生計を立てています。その自分の生き方に意義を感じるので、「どこで」活動するかではなく、「どう」活動するか、「どう」生きるかの方が私には重要です。ただ「スペイン」という場所に意義の焦点をあてるならば、日本で活動していたら経験できないことというのがあると思いますし、むしろ経験しない方が楽なことをあえて経験してきたことが今の自分を形成していると思うので、その意義はあります。でも日本に住んでいたとしたら逆にスペインでは経験できないことを経験するわけで、それはその人にしか分かりません。やはり、自分が置いた、もしくは置かれた環境で「どう」生きるかが私にとっては重要と言えます。
――スペインで踊る機会を得るために、どのような努力をされてきましたか?
萩原 周りに流されないこと。自分の信じる道を貫くこと。その精神力を保ち続けること。でもそれは「踊る機会を得るため」というより、フラメンコを学ぶ上で、そして人として生きてゆく上で努力していることです。その結果として運が良ければ踊る機会に恵まれるのでは?でもその運を呼び寄せるのも日頃の努力、機会を機会だと気づくこと、その機会を逃さないことも努力の延長線上にあると思います。もちろん何か特別のルートで踊る機会を得るという方法もあるのかもしれませんが、その時はよくても結局長続きはしないでしょう。金メッキは必ずはがれるものです。
―― スペインで長く暮らし、フラメンコを学び、さまざまな経験を積んできたなかで、
どんなふうにフラメンコは深まっていきましたか?
萩原 留学当初はスペイン語がおぼつかなかったので、そこから聴くフラメンコと今のスペイン語力で聴くフラメンコというのは全く違います。単にスペイン語が理解できればいいかという問題ではないのですが、やはりフラメンコはここの文化の中に、生活の中にあるので、その中にいて聴くフラメンコというのも違うと思います。ただ、長くスペインにいれば語学力がつくだろうというのは大間違いで、常に学ばなくてはなりません。フラメンコも同じです。
――この10年で、一番学んだことは何だと思いますか?
萩原 学んだようでまだ何も学んでいないと思います。私はこれから、です。
■在西10年記念公演について
――今度の公演は、在西10年記念公演と銘打たれています。また初めての劇場公演でもありますね。どんな思いが込められているのでしょうか。
萩原 10年というこれまでの年月を経て、今、私の中で"表現せざるを得ないもの"がぼわぼわーっと湧き出ています。それを形にしてゆきたいです。"ぼわぼわ―"が湧き出てきたら、その都度やっていきたいですね。そうでないと自分が腐りそう。水は流れないと澱みます。それと一緒です。初めての劇場公演ですし、スペイン人を招聘するのも初めてです。でも、湧きでた今やらないと、今度いつできるのかなんて分かりませんから。緊張もしますし不安もありますが、劇場公演を行うことにしました。昨年10月に行ったソロ公演ではチケットが早々に完売御礼となったこと、公演にいらしたお客様から「今度は劇場で観たい!」というお声をたくさん頂き、そんな応援も後押しとなっています。
――タイトル「ハモンは皿にのせりだけでよい」には、とても強いメッセージを感じます。どんな意味が込められているのですか? 実際にスペインにはこういうことわざ、慣用句があるのですか?
萩原 はい、メッセージを伝える必要があるから公演を行います。このフレーズはスペインのことわざや慣用句ではないと思いますが、公演タイトルをこちらの人に言うと「アンダルシア的な表現だね」と言われますね。昔、実際あるギタリストとフラメンコ談義をしていた時に彼の口から飛び出た言葉だったんです。スペイン語だと「El jamón sólo tiene que ponerse en el plato.」。ハモンにソースをかけたり飾りをつける必要はない。お皿にのせるだけでいいんです。だってそれだけで美味しいから、十分だから。私にとって、フラメンコも同じなのです。もちろんフラメンコにはいろいろな表現形式があってどれも素敵だと思うし、全て尊重しています。(フラメンコの本質が核としてある、というのが大前提ですが。)でもいろいろなフラメンコをこの10年間ここで観て聴いてずっと思ってきたことは、私にとってのフラメンコはものすごくシンプルだということ。なぜならそれが私の心に一番届くものだし、それを求めて私はここに来て今もいるから。フラメンコのギターとカンテ、そして私が持っているもの、それだけで公演を行います。ギター1、カンテ1、バイレ1。一番シンプルな究極の形にしました。そこからどれだけ皆さんの心に伝わるか、何が皆さんの心を貫くか、それを劇場で私たちと共有してほしいです。
――共演者としてカンタオールのモイ・デ・モロン、ギタリストのミゲル・ペレスが参加しますね。二人とは、スペインでもよく一緒に仕事をされているのですか?
萩原 はい。特にミゲルとは随分共演しています。これまでにたくさんの素晴らしいギタリストと共演してきたのですが、アーティストとして人として私に一番ぴったりきたのはミゲルでした。年月やいろいろな経験を経てやっと巡り会えた、私にとって大切なギタリストです。ミゲルに比べるとモイとは共演回数は少ないですが、彼との共演のことを思い出すだけで自分の身体にフラメンコが充満していく感じがします。何度かの共演の中で、毎回私に強烈な「フラメンコの瞬間」を刻印して来た歌い手がモイです。
――淳子さんが感じるモイの歌の魅力は?
萩原 モイはアルティスタ。ただの歌い手ではありません。歌の上手な歌い手は世の中にたくさんいますが、モイのような歌い手はそれほど多くはいないのでは? 舞台の上で何か魔力のようなものが彼に乗り移っているか、彼の中にあるそれが炸裂するのか......。彼の歌には内臓からの¡ ole!を引き出させる"何か"があります。
――ミゲルのギターの魅力は?
萩原 私を自由にしてくれる。何も言わなくても1回合わせればそれでいいんです。彼の音を聞くことによって、そう、私はその音がほしかったのだ!と逆に発見することもあります。彼の弾くファルセータも素晴らしいですね。うわーっと広がるイメージが私を創造的にし、振付が勝手に湧き出てくる。しかも舞台上では、そのまま身体を委ねればいいので作った振付に縛られる必要がないんです。伴奏もソロもどちらをとっても一流。それらを兼ね備えているのがミゲルのギターです。
――舞台の構想、構成は、どのようなものになるのですか?
萩原 公演内容は秘密ですが、特別に......(笑)。踊りは4曲、私の身体の一部であるバタ・デ・コーラとマントンも使います。それ以外はごめんなさい、やはり秘密です。
――プログラムにカンテ・ソロ、ギターソロはありますか?
萩原 はい、もちろんです。是非彼らのギター、カンテを日本の皆様にも劇場で聴いて頂きたいです。インターネットの動画サイトは情報収集には便利ですが、結局肝心な所は何も伝わりません。フラメンコは感じるもの、共有するものだから。
ある踊り手さんから「素晴らしいギターとカンテを日本で聴ける機会を作ってくれてありがとう」とメールをいただきました。そんなふうに受け止めていただけてとてもうれしかったです。踊り練習生であっても、プロであっても大切なことは"聴くこと"、本物を生で聴いて感じることです。彼らのギターとカンテを聴いて頂ければそれが分かっていただけると思います。パソや振付を学ぶことも大切だと思いますが、メールを下さった踊り手さんのような、真のフラメンコ愛好家が一人でも増えてほしいなと思います。
――劇場公演ということで、特に力を入れていること、工夫されていることはありますか?
萩原 舞踊団公演の群舞などは別として、フラメンコを大劇場で見るのは個人的に私はあまり好きではありません。今回はバイレソロの公演なのであえて小劇場を選びました。また、タブラオなどのフラメンコ専門の場所ではないので、普段フラメンコを見ない学生さんや子供たちにも見ていただきたいと、学生割引、お子様だっこ席を作りました。
――ところで、昨年、スペインの方と結婚されましたね? おめでとうございます。
萩原 はい、ありがとうございます。タリファというアンダルシアの一番南、アフリカ大陸に一番近い町出身のカメラマンです。私のフラメンコ写真のほとんどは夫(アントニオ・ペレス)が撮っています。最近私の公演以外のフラメンコの写真も撮り始めていて、近々日本で初の写真展を開催予定です。詳細が決まりましたらシティオさんのイベント情報に掲載させて頂きますね。宜しくお願い致します。
――ずっと、スペインで暮らしていくおつもりですか?
萩原 今の段階では、スペインで暮らしていこうと夫と話しています。経済危機で大変な状況ですが二人でそれぞれ闘い、乗り越えていくつもりです。写真とフラメンコというジャンルは違いますが、芸術という共通項において私たちは理解し合っているのでそれがお互いそれぞれの精神的な支えになっています。でも経済面に関してこの国の将来の見通しは立たず、海外脱出する人も出始めている状況を考えると夫と相談する時期も来るかもしれません。
――少し気が早いですが、公演後、これからの10年をどのように生きていきたいと思いますか? また、踊り手としての目標や夢があれば教えてください。
萩原 母としても生きる、という可能性も考えられますが現実問題それは分からないので、今分かっていることは夫と家族を愛し続けること。10年経っても20年経っても、死ぬまで。いえ、死んでからも。踊り手としての目標は、続けること。私はたくさんの人に助けられて生きてきています。だから私の踊りで恩返しできるようになりたい。そのためにはこれから先何があっても踊り続けてゆきたいです。
――最後に、日本のファンの皆さんへ、何かメッセージをお願いします。
萩原 応援して下さる皆様にはいつもありがとうございます、という感謝の気持ちをお伝えしたいです。あとは言葉や文章だけではなく私の踊りからもメッセージを受け取ってほしいです。私の一番の表現手段、他人とコミュニケーションをとる術はフラメンコの踊りなので。
萩原淳子プロフィール
スペインに暮らし、日本と行き来しながら日西両国で活躍するフラメンコ舞踊家。セビリア・セントラル劇場(べレン・マジャ、ラファエラ・カラスコ作品)やロペ・デ・ベガ劇場(エスペランサ・フェルナンデス、ミゲル・バルガス作品)出演を始め、アンダルシア地方でのペーニャ・フラメンカにてソロ出演多数。2007-8年ペーニャ・フラメンコ公演最優秀舞踊家賞を受賞を皮切りに、ロンダ市主催第16回「アニージャ・ラ・ヒターナ」全国フラメンココンクール優勝、第14回全国アレグリアス舞踊コンクール(カディス)第4位及びコンクール史上初の「最優秀振付賞」など、多数の受賞・入賞を果たしている。また、後進の指導にも力を入れており、鋭い分析力と明快な説明でその指導力には定評がある。
取材・構成 西脇美絵子
写真 アントニオ・ペレス