パコ・デ・ルシアの存在がなければ、きっと、ぼくはフラメンコギターを弾いていなかっただろう。


パコ以前のフラメンコギターはエキゾチックではあったけど、南スペインの民族性が強すぎて、気候も文化も、人種も歴史も違う日本に住むぼくらの感性には、なじみ難いものだった。
パコは従来のフラメンコギターに、現代的かつエレガントなハーモニーとフレーズを取り入れた。民族音楽の枠を超え、さらに誰も真似のできない華麗な超絶テクニックで世界中の音楽ファンを魅了した。
大学のギタークラブに入り、ぼくはそんなパコの演奏に魅せられて、フラメンコギターを弾き始めたのだ。
ブレリアやタンゴはもちろん、ソレアやシギリージャなど、どのパロも少しづつ、パコの演奏を通してそのニュアンスを理解していった。そしてパコの伴奏で唄うカマロンのカンテが心に沁み入るようになってきた。
頃を見計らってか、次に、先輩からウトレラ姉妹の録音を聴かされた。心を手掴みにされるような真情のカンテと、それを伴奏するファン・マジャ・マローテの伴奏に魅了され、身体中の細胞がざわめいた。パコのような華麗さやエレガンシアはないが、力強く、潔い、ヒターノ特有の「匂い」のする演奏だった。
そんな矢先にマローテが来日して、ぼくは初めて生演奏を聴いた。2日間、口がきけなくなるほどの感動を受けた。以来、ぼくは「匂い」のするフラメンコを追い求め始めた。アビチュエラ一族やリカルド、さらにはディエゴ・デル・ガストールに至るまで。
82年渡西。セビージャで知り合ったギタリストたちの演奏はあくまでも自然でフラメンコ的な味わいがあり、コンパス感覚の豊かさが際立っていた。しかし、衝撃的だったのはファン・ラミレスの演奏を聴いたときだ。
アリカンテ出身の彼は20歳そこそこのヒターノのバイラオールで、ビエナールのバイレのコンクールの決勝進出のためにセビージャにやって来ていた。「ギターはあくまでも趣味だから」とはにかむラミレスが弾くのは彼が敬愛してやまないパコ・デ・ルシアのブレリアとタンゴだった。
ワクワク感満載の抜群のコンパス感覚とただならぬ気迫で見事に決めるレマーテ、ぼくにはその演奏がパコよりも何倍も魅力的でカッコ良く、フラメンコ的に思えた。
ところが、それを彼に言うと一笑に付されてしまった。
彼だけではない。ギタリストはもちろん、カンタオールたちもパコ・デ・ルシアは別格的な存在として尊敬していた。
ぼくがパコの演奏にそれほどフラメンコ性を感じなかったのは、演奏のうわべだけしか聞こえていなかったからだとわかった。パコの曲を弾くラミレスの演奏を聞き倒した後に、改めてパコの演奏を聴いてみると、様々なジャンルの要素を取り入れてその響きは現代風でも、その根は正統派伝統的フラメンコにしっかりと根を張っていたのがわかった。
ぼくら外国人には、パコ・デ・ルシアの根底にあるフラメンコ性を聴き取ることは難しい...ラミレスというフィルターを通さなければ、ぼくにそれはわからなかった。
パコは新たな時代を担うパイオニアとして、常にフラメンコ界をリードしてきた。アンダルシア地方の民族芸能を進化させ、グローバル化して、世界中にファン層を拡げて、フラメンコに確固たる社会的地位を与えるまでに至った。
その功績は計り知れない。
フラメンコギタリストとしてのパコ・デ・ルシアに最高の敬意を払いつつ、冥福を祈る。
写真撮影 高瀬友孝

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