palacio-de-villavicencio-conjunto-monumental-del-alcazar.jpgへレス・デ・ラ・フロンテーラでのフラメンコフェスティバル続報です。遺跡アルカサルの手前にある、パラシオ・ビジャビセンシオ(Palacio Villavicencio)は1664年に建設が始められたバロック様式の邸宅。その名の通り、ビジャビセンシオさんが住んでいたそうです。

この建物の中の200人ほど入る一室で行われる「パラシオのコンサートシリーズ(Ciclos Los Conciertos de Palacio)」は、バイレ(踊り)は基本的になく、歌かギターのコンサート。地元のアーティストや話題の歌手のコンサートがプログラムされています。特に、ここへレスでしか聴けないような、商業的に装飾されていないピュアなフラメンコが聴けるチャンスでもあります。JAVIERFERGO_ANA-REYES_02WEB.jpg
先陣は、地元へレスの女性歌手二人でした。フェリパ・デル・モレノ(Felipa del Moreno)とアナ・デ・ロス・レジェス(Ana de los Reyes)。この二人は、ホアキン・コルテス舞踊団で歌っていので、日本でもCDや舞台で聴いたことのある方も多いかもしれません。一時間のコンサートなので、2人出演の場合は、1人30分ずつ。それぞれ3,4曲を聴くことができます。(写真はアナ・デ・ロス・レジェス)
地元の男性歌手二人の日は、マヌエル・デ・ラ・フラグア(Manuel de la Fragua)とアンドレス・デ・へレス(Andres de Jerez)(下写真)。アンドレスは、5歳から歌い始め、アグヘタ(Agujeta)らのベテランに囲まれて歌を覚えていったようです。JAVIERFERGO_ANDRES-JEREZ_01WEB.jpg内輪では歌い続けていたものの、公の舞台に立ったのはその25年後。つまり25年の実地キャリアをもってのデビュー。いかにへレスのカンテは層が厚いかが計り知れます。一方のマヌエルは26歳の若手。記者会見では初々しい様相でしたが、コンサートではその年齢と思えない落ち着き。兄はカンタオールのニーニョ・デ・ラ・フラグア(Nino de la Fragua)、叔父にナノ・デ・へレス(Nano de Jerez)、祖父にティオ・フアネ(Tio Juane)というフラメンコファミリー。フラメンコキャリアは、年齢とほぼ同じでしょう。

JAVIERFERGO_JEROMO-SEGURA_01WEB.jpg話題の歌手ということでは、昨年のカンテ・デ・ラス・ミナスのコンクールで優勝したへロモ・セグーラ(Jeromo Segura)のソロコンサート。ギターには、フラメンコのファミリアの出身ではないですが、幼くしてギターの天才ぶりを発揮し、21歳の時にはマリオ・マジャ舞踊団のギタリストを務めたサルバドール・グティエレス(Salvador Gutierrez)を連れてきてくれました。踊り手からひっぱりだこで、エバ・ジェルバブエナ(Eva Yerbabuena)にも長年弾いていたギタリストです。

大劇場ビジャマルタJAVIERFERGO_PERICET_07WEB.jpgの公演では、オルガ・ぺリセ(Olga Pericet)の「ピサーダス」。実際に会うと驚くほど小柄なオルガ。恐らく身長は150センチちょっと超えくらいではないでしょうか。左の写真では宙に浮いていますが、まったく体勢が崩れていません。お人形さんのように可愛らしい顔。しかし、彼女の舞台はいつも大胆不敵です。賛否両論起きそうなラインを保守することなく、自由に舞台を作り、観ている人にも「自由に想像してほしい」と言います。ラファエル・アマルゴ舞踊団から離れて以降、オルガの作品には、どこか不思議な雰囲気がありました。それゆえ、どういう意図でこのシーンや演出を入れたのか、分かろうとして考え過ぎたり。たとえば、今回の作品では、最後に終わったと思ったら、もう一度彼女が舞台に現れ、舞台上で白くて固く重そうな素材の衣装に着替えたシーン(写真がなくて残念)。しかし、後日オルガと直接この場面について話す機会を得て、考えて分かろうとするよりも、自由に感じていればよかったのだなと思いました。もちろん、スペインの文化や習慣を知っていれば、彼女のオリジナルのアイデアに近い感覚をもてたのですが、考えずに純粋に彼女の動きや表情を観ているべきだったのだなと思いました。JAVIERFERGO_PERICET_03WEB.jpgオルガだけでなく、ほかのアーティストも記者会見の場で「あとは観る人が自由に感じてほしい。」と言います。"分からない"="つまらない"ではなく、カンテ、バイレ、ギターを"感じる"ことが、フラメンコを楽しむ第一歩のように思います。カンテにしても、歌詞が100%分からなくてもなぜか感動するのが音楽の力。それは、歌詞のない音楽を聴いて心が動かされるのと同じような気がします。素晴らしいギター演奏にもうひとつ楽器が、それもいろんな感情を表わせる人の声。もちろん、歌詞がわかればもっと楽しめるでしょう。お料理を舌だけでなく、目や嗅覚で楽しむように。より深く感じ、楽しめるようになるには、たくさん"知る"ことが助けてくれるように思います。そのアーティストの作品にもっと触れたり、信頼できる情報や解説を参考にして情報を集めていくと、アンテナが広がって感じ方も変わるかもしれません。"分からない"の原因は"知らない"ことかもしれませんし。個人的には、残念な公演とは、"フラメンコ"を感じられなかったときです。

JAVIERFERGO_BALLET_01WEB.jpgアンダルシアの日には、ビジャマルタ劇場で新生アンダルシア舞踊団(Ballet Flamenco de Andalucia)の公演「En la memoria del cante:1992」がありました。1992年グラナダのアランブラ宮殿内で、当時のインテリたち(マヌエル・デ・ファリャやロルカもいました)によって、フラメンコを芸術として見直そうという意図で開催されたカンテコンクールがモチーフです。衣装には当時の色彩やスタイルを取り入れ、このコンクールで、マノロ・カラコル(Manolo Caracol)とともに優勝した、テナサス・デ・モロン(Diego Bermudez "el Tenazas")のソレアをカンタオールのミゲル・オルテガが歌ったり、このコンクールで歌ったアントニオ・チャコン(Antonio Chacon)、マヌエル・トーレス(Manuel Torres)、ニーニャ・デ・ロス・ぺイネス(Nina de los peines)の録音も流れました。バイレでは、アナ・モラーレス(Ana Morales)、ダビ・コリア(David Coria)、ウゴ・ロペス(Hugo Lopez)という三人のソリスタに加え、オーディションで選ばれたメンバーが、新ディレクターのラファエラ・カラスコ(Rafaela Carrasco)の複雑なフォーメーションの振付を見事にこなしていました。JAVIERFERGO_BALLET_11WEB.jpgそしてラファエラは、このコンクールで踊った、ここへレス・デ・ラ・フロンテーラ出身のバイラオーラ、ラ・マカロナ(La Macarrona)をなぞられてカンティーニャスを踊りました。舞踊団員が客席の観客となり、90年前の様子を再現するかのような構成でした。ここ数年は、体の動きも音楽だということで、いろんな音や音楽に合わせた作品の多かったラファエラですが、ここではどっぷりとカンテに浸り、オーセンティックなスタイルで踊る姿を久しぶりに観ることができました。(写真右)

同じ日、夜中0時の公演には珍しくチケット完売となったのは、地元のカンタオール、ダビ・ラゴス(David Lagos)のコンサート。カンタオーラでダビの夫人でもあるメルチョーラ・オルテガ(Merchora Ortega)やバイラオーラのメルセデス・ルイス(Mercedez Ruiz)ら地元のダビ世代のスターたちが一堂に会しました。JAVIERFERGO_LAGOS_02WEB.jpg21時からのアンダルシア舞踊団公演にも出演したロンドロも参加。記者会見では、ダビがラファエラに「ロンドロは、次にこっちで歌うから、そちらの公演が延びないようにお願いしますよ」なんていう一幕も。新アルバム「Made In Jerez メイド・イン・へレス」と同タイトルのコンサート。へレス訛りでは「マーデンヘレー」に聞こえました。ギターには兄のアルフレド・ラゴス(Alfredo Lagos)とまさに"ファミリア"の公演。へレスの粋なブレリアも観れました。

パコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)の急逝に大きな精神的ショックを受けたギタリストのトマティート(Tomatito)が、翌日の公演をキャンセルするという事態となり、このコンサートは翌日追加公演が行われました。

パコの死を受けて、へレスでもコンサート前に黙とうを捧げたり、急遽葬儀の行われるアルヘシラスに向かう関係者がいたり。テレビでは、ドキュメンタリーや映画「カマロン(Camaron)」が放送され、ビセンテ・アミーゴ(Vicente Amigo)やトマティートが棺を担ぐ葬儀の模様も報道されました。フラメンコ音楽の魅力を他ジャンルの音楽ファンにも伝えてくれた偉大なるアーティスト、パコ・デ・ルシア。早すぎる死を惜しむ声は絶えません。

Foto Copyright: Javier Fergo para el Festival de Jerez

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