4月から6月にかけて、スペイン・アンダルシア地方はお祭りが続きます。4月13日からセマナ・サンタ(Semana Santa。キリストの受難、死、そして復活を記念した典礼を行う聖週間)それが終わると各地で春祭り。フラメンコの踊りを習いはじめると、入門クラスでよく教えられる「セビジャーナス(Sevillanas)」という曲を踊るセビージャの春祭りは特に有名です。
1847年からの長い歴史を誇るこのお祭りは、スペイン語では「フェリア・デ・アブリル(Feria de Abril)」=「四月のお祭り」と呼ばれていますが、今年は、5月6日から11日の開催でした。これは必ずセマナ・サンタ(Semana Santa)の後に来るようにスケジュールされるためです。基本はセマナ・サンタの二週間後。続く11日から18日まで、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラではフェリア・デ・カバジョ(Feria del Caballo)。カバジョとは馬のこと。古くから馬術に長けたスペイン。アンダルシア産の馬は"純血スペイン馬"とも呼ばれ、特にヘレスで飼育された種(Caballo Cartujano)は、もっとも大切にされています。そういえば、ヘレスには王立馬術学校もありますね。そして、セマナ・サンタが終わって50日後に始まるのが、ロシオの巡礼祭。今年は6月6日から9日の三日間です。アンダルシア地方、ウエルバのアルモンテにあるロシオ村で見つかった"ブランカ・パロマ"と呼ばれる聖母像を目指し、アンダルシアの各地から人々が巡礼します。アンダルシアの歴史や祭儀と関わりの深いフラメンコ。その証拠に、これらの三つの重要なお祭りでの女性の正装はTraje de Flamenca=フラメンコ衣装です。
和服が古来、日本人女性の体型を美しく見せたように、フラメンコのドレスはアンダルシア女性の厚みとメリハリのあるボディーラインにぴったり。これがかっこ良く着こなせれば、まるでフラメンコダンサーのように見えます。しかし、和装の似合う日本人が皆、日舞や空手ができるわけではないのと同様、フラメンコ衣装が着こなせるスペイン人が皆フラメンコを踊れる訳ではありません。しかし「フラメンコ」という踊り自体をよく知らないと、たとえそれがなんちゃってフラメンコでも、フラメンコ衣装を着けて踊れば、フラメンコと見なされるのは容易です。白いご飯を俵型に丸めた上に生魚の切り身を乗せれば、これを「寿司」と呼ばざるを得ないように、まず最初に視覚に訴える衣装の持つ"パッと見マジック"は強力です。
しかし近年、特に舞台作品の中では,一般的に想像される水玉やたくさんのフリルのついた"典型的な"フラメンコ衣装を着ないアーティストもいます。すると、一見「え?これってフラメンコじゃないんじゃあ?」と思ってしまうかもしれません。しかし、フラメンコの歴史やそのアーティストのキャリアについての十分に知識があれば、使っている音楽や踊る際の体の使い方、手足の動きというものから、それがフラメンコであるかどうかは分かるはずです。記憶に新しいところで言うと、4月のロシオ・モリーナ(Rocio Molina)の東京公演。オープニングは、パソドブレ(Pasodoble)。これは、アルゼンチンタンゴにもありますが、元々はスペインの闘牛場で闘牛士達が入場する時に演奏していた音楽でした。フラメンコの中には闘牛士が牛と対峙するような振り付けもあるように、闘牛とはフラメンコは縁があるようです。続いてロシオが日本公演の為に選んだ曲種は、グアヒーラ(Guajira)、マラゲーニャ(Malaguena。カンテのみ)、サパテアード(Zapateado)、ミロンガ(Milonga。カンテのみ)、ブレリア(Buleria)、タンゴ(Tango)、トナー(Tona)、マラゲーニャ(Malaguena)、ポロ(Polo)とすべてがっつり伝統的なフラメンコの曲。ギタリストにはセビージャの老舗タブラオ「ロス・ガジョス(Los Gallos)」で20年弾いていたベテランのラファエル・ロドリゲス(Rafael Rodriguez)も入りました。21世紀を生きるロシオらしい現代的アレンジあり、はたまた超クラシックな場面もあり、その実力をあらためて目の当たりにしましたと感じました。(左上写真:ロシオ・ モリーナ「アルマリオ(2007)」/右写真:日本公演でも踊ったグアヒーラス「オロ・ビエホ」より)
本番時は、舞台袖で衣装の早変わりのお手伝いをしましたが、彼女の衣装は体の線がはっきり分かるものが主流。黒のスパッツやレオタードにアレンジを加えただけのものや体のラインがはっきりと分かるシンプルなドレス。これは前述の典型的フラメンコ衣装とは大きく異なります。フリルいっぱいのスカートを履いてしまえば、膝や足首がどんな動きをしているかは観客からは見えません。ふさの長い、マントンを体に巻いてしまえば、腰の動きやボディーラインの欠点を隠すことができます。しかし、ロシオはすべてさらけ出して踊ります。そして、どこに注目しても完璧で美しいライン、体の使い方。オフステージのゆるカジ系の可愛いロシオとは別人のようでした。もしかしたら、このシンプルな衣装ゆえ、思い描いていたフラメンコのイメージとは違うと思った方もおられるかも。しかし、仮にロシオがいわゆる典型的なフラメンコ衣装を着て踊っていたらそうは思わなかったのではないでしょうか。いや、それでも違う!という場合は、フラメンコ界の伝説のバイラオーラ、カルメン・アマジャやそれ以前のバイラオーラ達の映像をご覧になってみてください。ロシオ・モリーナの原点ががっつりフラメンコに根ざしていることが見てとれることでしょう。男性舞踊手でコンテンポラリーと混同されがちなのは、イスラエル・ガルバン(Israel Galvan)。個性的な作品を発表時続けるイスラエルですが、彼のキャリアやフラメンコを熟知している人であれば、たとえ創作作品であっても彼のフラメンコ性は否定しないでしょう。むしろフラメンコ界からこのようなダンサーが出たことを誇りに思うほど。メッセージ性の濃い作品の中には、即座に理解の難しいシーンもありますが、指先ひとつの動きにすらこだわるイスラエル・ガルバンも、往年のフラメンコ・アーティストから学びつづけているのです。
では、フラメンコは、そんなに良く知っておかないと楽しめのかというと、全くそうではありません。「なんだか良く分かんないけど、すごかった?!」という素直な感想。これこそ、たしかに何かを感じたという証拠。まずはこれでいいと私は思います。そこからさらなる興味をもっていただければ、趣味がひとつ増えて楽しいですよ、とフラメンコの世界にお誘いしたくなります。感じる前に頭で考えてしまって、考えているうちに公演が終わってしまったなんてことになったら、もったいない!いい公演を観ている時は、アンテナ全開にして感度アップで楽しみましょう!
日本にいる間のフラメンコウォーキング、昨年末からは東京のタブラオにもよく足を運びました。と言うのも知り合いのギタリストとカンタオーラ夫妻がそのグループに入っていたからです。そのギタリスト、マヌエル・デ・ラ・ルス(Manuel de la Luz)は、エバ・ジェルバブエナ(Eva Yerbabuena)の第二ギタリストとして長くツアーに入っています。2008年にフラメンコピアニストのディエゴ・アマドール(Diego Amador)のカルテットのメンバーでビエナル(二年に一度セビージャで行われる最大のフラメンコフェスティバル)に出演し、当時、ディエゴのプロモーションに関わっていた関係で個人的に名前を知り、その後エバ公演で来日した際に話をしたのが出会いでした。前回のビエナルではアンダルシア舞踊団(Ballet Flamenco de Andalucia)の音楽監督&ギタリストとして活躍。一流カンタオールの伴奏やセビージャのタブラオでの仕事もある本場で現役バリバリのギタリストが半年も日本にいるなんて、これはラッキー!という状況でした。カンタオーラのオリビア・モリーナ(Olivia Molina)は、歌手アルカンヘル(Arcangel)のバックコーラスとしてもコンサートやアルバムに参加していたので、あの甘く艶のある声はよく耳にしていました。マヌエル・デ・ラ・ルスの実力は、"あの"エバが、長年自分のグループに入れていることからも容易に想像できるでしょう。曲作りにも才能を発揮し、今年のビエナルではソロコンサートも開催され、スペインでのアルバム発売も控えています。そんな彼らの演奏を聴くつもりで行ったタブラオ。ショーの主役は、バイラオールのダビ・ペレス(David Perez)。正統派男性バイレとしての気品と愛嬌を兼ね備え、ショーの構成も舞台公演にそのまま使えるほどしっかりしたもの。様々な曲をうまく盛り込み、振り付け、踊りともにレベルの高い本場スペインのフラメンコをそのまま見せてくれていました。2人のバイラオーラもめきめきと熟し、6ヶ月間、慣れすぎることなく最終週まで素晴らしい公演を見せてくれました。ダビ・ペレスは、今まで同郷(アルカラ・デ・グアダイラ Alcala de Guadaira)のバイラオール、ハビエル・バロン(Javier Baron)の公演に出ていました。スペインにはいろいろなタイプの踊り手がいますが、ハビエル・バロンも大好きな踊り手の一人。そのバロンに通じるものを感じさせてくれたダビ・ペレス。これからもこの路線で活躍してほしいものです。(右写真:ダビ・ペレス)
今年の2月から行っていたヘレスのフラメンコフェスティバルでは、舞踊学校の17才から21才の生徒達による公演もありました。(左写真/Foto: Javier Fergo) そのレベルの高さと言ったら...。舞踊学校なのでフラメンコだけでなく、スペイン舞踊全般を学んでおり、ダンサーとしての基礎がしっかりできています。フラメンコはその起源からしても、ダンサーとしての基礎知識が必ずしも必要というわけではありません。しかしその代わり、生まれてからずっとフラメンコのリズムに慣れ親しんで作られた音楽感覚と体の動きが基礎として必要です。そういう環境に生まれなかった者は、その感覚を身につけるべく相当な努力、いや訓練が必要になるわけです。またはそういう環境に身を置き、20年、30年経ってようやく自然に滲み出てくるのかもしれません。超レベルの高い未来のダンサー達がどさどさいるスペインで頭角を現すのは大変なこと。そのきっかけのひとつとして、有名なコンクールの賞を取ることも考えられるでしょう。そのひとつが、カンテ・デ・ラス・ミナス国際フェスティバル(Festival Internacional de Cante de las Minas)、通称ラ・ウニオン(La union)のコンクールです。タランタ、ミネーラ、カルタへネーラなど、かつての鉱山地帯で生まれた曲種カンテ・デ・レバンテ(Cantes de Levante)が歌い継がれるようにとの想いも込められたこのコンクール。(右写真はコンクール会場内の様子。この日は最終日で賞の授与式。)
今年で54回目となる伝統あるコンクールで、特にカンテに贈られる賞:ランパラ・ミネーラ(Lampara Minera)は、トップ歌手への登竜門と見なされています。また、コンクール本戦前の三日間のガラでは、毎年豪華人気アーティストが公演します。数年前このコンクール期間中滞在しましたが、開催地のムルシア(Murcia)のラ・ウニオンは、ちょっとアクセスしづらい場所。宿泊施設も当時ホテルが一軒とホスタルが一軒しかなく、お隣のカルタヘナ(Cartagena)に宿をとるアーティスト達も多かったようです。その様子はこちら。当時も海外からの集客には苦戦していたようですが、そのテコ入れか近年"カンテ・デ・ラス・ミナス・フラメンコツアー"と題して、フラメンコが盛んな国へのプロモーションの動きがでました。関係者が各国に出向いて受け入れ先を探し、協力国からは、ダンサーをコンクールの本戦に直接出してあげるよというオファー付きとか。本国スペインでは各地で何度も予選を勝ち抜いた者だけが出られるプレミアムなコンクールだっただけに驚きです。ちなみに昨年のバイレの優勝者はエドゥアルド・ゲレーロ(Eduardo Guerrero)。スペイン国立バレエを経て、数多くの舞台を踏み、現在はエバ・ジェルバブエナやロシオ・モリーナと共演しながら、ソロでもマドリードの老舗ラブラオや劇場で活躍しています。
今年のウニオンのコンクールは、8月6日から16日。その一ヶ月後からは、いよいよ二年に一度のセビージャのビエナルが始まります。今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか。
お願い:残念なことに「フラメンコ・ウォーカー」バックナンバーの記事が出版物に無断使用されていました。画面下方にありますように、当サイトの文章および画像の無断転載、加工は禁じられておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。