12779036_10205685352125351_4703606750763911711_o.jpg数日、雨や強風で寒い日が続いていましたが、ようやくアンダルシア特有の雲ひとつない鮮やかなブルーの空が戻ってきました。
ここヘレス・デ・ラ・フロンテーラの街の歴史は古く、紀元前三千年紀頃から人が住んでいたと言われています。日本の歴史で言うと縄文時代にあたります。多くの歴史的建造物が残っている中でも最古の建造物と言われているのがアルカサルです。その入り口にある17世紀に建てられたバロック建築の元お屋敷がパラシオ・ビジャビセンシオ(Palacio Villavicencio)。ここでは「パラシオでのコンサート(Los Conciertos de Palacio)」というシリーズで今年は3つのカンテコンサートが企画されました。

JAVIERFERGO_CARMENGRILO_02_copy.jpgひとつめは、地元ヘレスの女性歌手、カルメン・グリロ(Carmen Grilo)とマリア・テレモト(Maria Terremoto)。ヘレスは、16世紀の政府によるヒターノ(=ジプシー)定住令以降、ヒターノと非ヒターノ(=ヒターノの言葉ではパジョと言います)がうまく共生を始めた地区です。フラメンコの世界では未だに、ヒターノであるかどうかに非常にこだわる人たちもいますが、フラメンコはヒターノ以外ダメ!というのが100%正解だとしたら明らかにヒターノではない外国人、パジョの私たち日本人はアフィシオナード(愛好家)でいることはできても、プロフェッショナルなアーティストになることは許されなくなってしまうという痛い話になってしまいそうです。
JAVIERFERGO_MARIATERREMOTO_03_copy.jpgさて、話を戻しますが、このコンサートは、パジョのカルメンとヒターノのマリアで舞台を分け合いました。カルメンは、バイラオールのホアキン・グリロの妹。マリアは、フラメンコ界を代表するヘレスのカンテの名門ファミリーの出身。
(写真上方:カルメン・グリロ/下方:マリア・テレモト)コンサートの映像はカルメンはこちら。マリアはこちら。

第二弾は、若手のマイセニータ(Maizenita、1989年生まれ)と中堅どころのホセ・カネラ(Jose Canela,1977年生まれ)。
JAVIERFERGO_MAIZENITA_03_copy.jpgマイセニータの本名はランデル・エガニャ(Lander Egana)。父は有名なベーシスト、イニャキ・エガニャ。スペインの北、バスク地方の生まれです。フラメンコの盛んなアンダルシアとはほど遠い場所ですが、たまたまフラメンコをよく聴いたり歌ったりする地区が近くにあり、少年時代にフラメンコに魅了されたマイセニータは、15歳の時にその地を離れて、フラメンコの本場アンダルシアに行ってカンタオールになりたいと決心したといいます。その姿を見た父は、幼い頃の自分も同じ歳で音楽の為に家を出たことを思い出し、息子の夢の実現に協力しようと一家でヘレス・デ・ラ・フロンテーラに移住したのです。その後、ヘレスでカンテを学び、各地のペーニャ(愛好家の運営する会)で歌いながら実力をつけていき、賞を獲得したり、初アルバムをリリースしたりするなど着実にカンタオールとしての道を歩んでいます。コンサートでは、ソレア・ポル・ブレリア、シギリージャとヘレスのカンテの王道の曲種を少し高音の声で歌いました。ファンダンゴを歌っている途中から立ち上がると、胸の前で十字を切りより果敢にヘレスの聴衆に向かって歌い続けました。過去の映像から見比べていくと一年ごとに段違いにうまくなっていっているのが分かります。フラメンコ界には珍しいバスコ(バスク地方の人)のカンタオールはこれからの成長株になるといいですね。映像はこちら

JAVIERFERGO_J-CANELA_03_copy.jpg舞台を分けたもう一人、ホセ・カネラはマイセニータとは全く対照的な生い立ち。生まれはここ、アンダルシアのカディス県サン・ロケ。父親は、カンタオールのカネラ・デ・サン・ロケ(Canela de San Roque)。そして、父方・母方両方のファミリーにもフラメンコ・アーティストや愛好家として名の通った人だらけというフラメンコに溢れた環境に生まれました。当然、子供の頃からフラメンコを生涯の職とすることを本人も意識し、11歳の時にはコンクールで入賞。その後も踊り伴唱、ソロとずっと歌い続け、昨年、37歳で初めてのアルバムを録音しました。
コンサートでは、半年前に他界した父に捧げたいとして、アレグリアスから歌い始めました。カンテのコンサートは何を歌うかは直前に決めることが多く、その時の気分で歌いたいものを歌うという引き出しの多さがプロのすごさです。ソレアを歌い終わると、「じゃあ、次はシギリージャを歌うから、いいね?」とギタリストとパルメーロ(手拍子を叩く人)に自ら指示。ギタリストは、ヘレスのマヌエル・ヘロ。地元の人気ギタリスト、ニーニョ・ヘロ"ペリキン"の息子です。マヌエルのギターに客席からもハレオ(掛け声)がかかり、カンテもますますのっていきます。続いて、ファンダンゴ、ブレリアと計5曲を歌いました。映像はこちら

JAVIERFERGO_JRT_01_copy.jpgビジャマルタ劇場では、女性バイラオーラの公演が続きます。
「J.R.T.,sobre Julio Romero de Torres,pintor y flamenco」。日本語にすると「フリオ・ロメロ・デ・トーレスについて、画家とフラメンコ」。
独特のタッチで女性を描いた画家、フリオ・ロメロ・デ・トーレス(1874?1930)は、巨大なモスク、メスキータ(正式名称は聖マリア大聖堂)で有名なアンダルシア州のコルドバ出身の画家です。こちらに作品が多数掲載されています。
JAVIERFERGO_JRT_07_copy.jpgそして、この作品の主役である三人のバイラオーラのうち、ウルスラ・ロペス(Ursula Lopez)、タマラ・ロペス(Tamara Lopez)の姉妹もコルドバ出身です。もう一人のレオノール・レアル(Leonor Leal)は、ここヘレスの出身。ですが、この作品の制作を通じて「もう、三人目の姉妹よ」とタマラが言うほど、濃厚で困難な練習を積んできただけあって、息の合った動きを見せてくれました。
画家をテーマにすると、絵画を再現するような衣装や振付かと思われがちですが、今回の作品は、フリオ・ロメロ・デ・トーレスの絵に描かれた当時の女性が登場します。トーレスはフラメンコととても関係の深い画家です。そして、作品の中にも彼にとってのフラメンコが反映されているはず。

JAVIERFERGO_JRT_12_copy.jpgそこで、バイラオーラ三人は、トーレスの絵やその時代を学び、コルドバだけでなくマドリードの美術館にも足を運び、それぞれが、自分がモチーフとする絵と向き合って、フラメンコが好きだった画家の目を通して見たものに近づこうとしたようです。つまり、トーレスの絵を表現するのはなく、トーレスから見たフラメンコを表現することに挑戦しました。踊りは、コンセルバトリオ(舞踊学校)でスペイン舞踊も身につけているウルスラ、タマラ姉妹だけあって、タマラのマントンを使ったバイレやウルスラのボリュームのあるバタ・デ・コラ(裾の長いドレス)の捌きも、優雅に、そして見事に決まります。さらには、姉妹揃ってスリムな体に鍛え抜かれた筋肉、そしてクールビューティーな外見は、どこか現実離れしていて、トーレスの生きた時代へと自然にタイムスリップさせてくれるほどドラマティック。

JAVIERFERGO_JRT_13_copy.jpg音楽は、ヘレスのギタリスト、アルフレッド・ラゴス(Alfred Lagos)が担当。アルフレッドのフラメンコギターとアントニオ・ドゥーロ(Antonio Duro)のクラシックギター。そして、二人の女性ボーカルも、作品全体にクラシカルな響きを添えました。三人のバイラオーラは踊りだけでなく、役柄を演じる演技力、台詞回しも俳優のようにこなし、表現者としての実力も示しました。映像はこちら。(写真は上から、タマラ、レオノール、ウルスラ。そして三人揃って)

JAVIERFERGO_BOSQUEARD_02_copy.jpg翌日は、ロシオ・モリーナ(Rocio Molina)の「ボスケ・アルドラ(Bosque Ardora)」。2014年のビエナルで、初めて観て、大人のファンタジーの世界をフラメンコで描いた斬新な作品だ!と驚いた記憶は、まだ鮮明に残っています。その後、昨年の3月にバルセロナで、そして今回が3度目だったのですが、また観たいと思える作品です。なぜなら、毎回違ったイマジネーションを掻き立ててくれるからなのだと思います。ロシオ、エドゥアルド・ゲレーロ(Eduardo Guerrero)、フェルナンド・ヒメネス(Fernando Jimenez/フェスティバル初日のエバの舞台に出演)の3人の踊り手。

JAVIERFERGO_BOSQUEARD_07_copy.jpg彼らは、男であり女であり、男でも女でもない。人間であり、人間でない。3人であり、3人以上でもある。狩る方、狩られる方がどちらなのか分からなくなる。そこは森の中なのか、幻想の中なのか...。そんな中で繰り広げられるさまざまな出来事。宮崎駿の作品のファンであるロシオらしく、それぞれの場面から、愛、憎しみ、警鐘、迫害への抵抗、敗北、勝利と何かしらのメッセージに後から気づかされるのです。

作品は映画のようなプロジェクションから始まります。静かで平和な森の朝。一転して、風が不穏に吹き荒れ、木々のざわめきが大きくなります。観ている方も何が起きるのか不安の気もちに駆られます。そこへ、猟犬2匹の後を追うように馬に乗ったロシオがスピードを上げて走ってきます。馬は道を外れ湖の中へ。そしてロシオは水の中に振り落とされ、主人を見失いかけた猟犬が激しく吠えます。湖の中で、座り込んだロシオ。ようやく上げたロシオの顔は、少し血の気が引き、やや朦朧とした表情。そして、幕が上がり、カンタオール、ホセ・アンヘル・カルモナ(Jose Angel Carmona)のカンテで舞台が始まります。映像はこちら

JAVIERFERGO_BOSQUEARD_10_copy-1.jpg今回の作品には、フラメンコの舞台では初めてかもしれないトロンボーンが参加しています。ロシオは、日頃から作品で使う楽器を探していて、トロンボーンの音はメタリックで、パーカッション的なインパクトも出せると気づいたそうです、さらに、舞台は森の中。そして「狩り」というところから、猟銃を思わせるその姿も今回の採用の決め手だったようです。そして、トロンボーンのパートは、「アフェクトス」で共演したパブロ・マルティンとドランテスが作曲を担当しています。

JAVIERFERGO_BOSQUEARD_03_copy.jpg森を駆け抜けるもののけ姫のような凛々しい姿のロシオ。男を従える強い女、挑発的になったり、時にはキューピーさんのように可愛い足取りでとことこと走り回ったり。その表現力は限りなく、ふらふらと倒れ込む最後の瞬間までも見事にコントロールされた身体の動きにも目が離せません。そして、男性バイラール2人も様々なキャラクター"変身"していきます。時にはオス同士の縄張り争い、メスの奪い合い。ヒーローのターザンなのか、欲望をさらけ出す野生の動物なのか。この3人の掛け合いのバイレも見所のひとつで、密着度が高く、そしてスピード感もあり、一歩間違えたらアクシデントに繋がるのではというほどスリリング。しかし、そこに常にあるのは、ロシオの"母国語"のフラメンコ。バイレ・フラメンコの「軸」が常にあります。カルメン・アマジャを思わせるような力強いマルカール(リズムを刻む動き)や官能的なタンゴ。

JAVIERFERGO_BOSQUEARD_02_copy.jpg共演者の、コンパス(フラメンコのリズム)をパルマ(手拍子)やサパテアード(靴音)で効果的に入れるバイラオールのオルーコ(Oruco)、キレの良いギター演奏のエドゥアルド・トラシエラ(Eduardo Trassierra)、カンテだけなくベースも担当するホセ・アンヘル・カルモナらも、このエスペクタクルな作品の完成度をあげています。1時間以上の舞台にほぼ出ずっぱりのロシオ。最後のソレア(曲種名)まで、バイレのキレの良さは少しも失われない、恐るべし持続力!終演後もケロリとしていて、近くのバル(しかも、立ち飲み)で家族や仲間と打ち上げできてしまうのです。

JAVIERFERGO_XXESPACIOS_26_copy.jpgそのスーパー・バイラオーラぶりは、翌日夜中0時からの「インプルソ(Impluso)」でも観ることができました。「ティオ・ペペ(Tio Pepe)」で有名なシェリー酒の酒蔵、ゴンザレス・ビアス社の敷地内にある、シェリー酒の樽がずらりと並んだ円形の建物の中。そこに板をしき、その周りを取り囲むように客席を設置した会場。ギターに、ラファエル・ロドリゲス(Rafael Rodoriguez)、パルマにオルーコ、そして、ゲストカンテにヘレスの大御所カンタオール、フェルナンド・デ・ラ・モレナ(Fernando de la morena)を迎えての公演。インプロビゼーション(=即興)での1時間は、あっと言う間に過ぎてしまったほど濃厚な時間でした。これは字面にするよりも、たとえ一部でも是非映像でご覧ください。ここをクリック!

写真:ハビエル・フェルゴc Festival de Jerez/Javier Fergo
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