「毎年フェスティバルに出演させてもらえると、アーティストにとっては、自分の軌跡を振り返るきっかけになる。観る側にとっても、"今"のアーティストを知ることができるいい機会。」と記者会見であるアーティストが言っていました。一流のアーティストとして第一線に残っている人たちは進化しています。それは「変化」とは違います。前と違ったこと、変わったことをするだけなのは「進化」ではないと思います。また技術の向上だけとも違うでしょう。いつも同じクオリティも提供できることも実力ですが、フラメンコは人生が反映されるもの。10年前と今とでは経験値も違うはずです。それをにじみ出してもいいところがフラメンコの良さのような気がします。

JAVIERFERGO_MERCEDESRUIZ_01_copy.jpg地元へレスのバイラオーラ、メルセデス・ルイス(Mercedes Ruiz)は、このフェスティバルの常連。毎年「今」のメルセデスを観るのが楽しみです。人によっては、一度観たことがあるアーティストの公演はパスしてしまう人もいますし、懐事情との相談で未知のアーティストの公演を優先して観に行きたいという人もいるでしょう。時間とお金の使い方は人それぞれなので強要はできませんが、好き嫌いをあまり早くから決めつけると面白いものを見逃してしまう可能性もあると思います。当たり外れはありますが、スペインにいる時はできるだけいろんなものを、自分の目で見る機会を増やすことをお薦めします。

メルセデス・ルイスの今回の作品タイトルは「Dejame que te baile(デハメ・ケ・テ・バイレ)」。ど直訳すると"あなたに踊らせてください"。相手に許可を求める形の言い方なのです。"どうかあなたの前で踊らせて。そして、その姿を見て、バイレを感じて欲しい"という願いが込められています。
JAVIERFERGO_MERCEDESRUIZ_05_copy.jpg2003年に本格的なソロ活動に入って以来、7作品を発表。今回の第8作目も2011 年から作品づくりを共に行なっている、元ビジャマルタ劇場のディレクターだったフランシスコ・ロペス氏(Francisco Lopez)がブレーンに加わっています。スペインは、フラメンコやフラメンコの舞台に精通した人材がアーティスト以外にも豊富で、作品づくりに大きな役割を果たしています。舞台に立つ本人だけではカバーしきれない知識やアイデア、客観的な視点も取り入れられることで、主役のひとりよがりな作品としてこじんまりまとまらない、プロフェッショナルな作品を生み出すことができます。観客にアピールできる、アーティスト本人の魅力を最大限に引き出すことも、第三者だからこそできることでしょう。

2003年に、このヘレスのフェスティバルでソリスタとしてのスタートを切ったメルセデス。"ここで、毎年新しい作品を発表するということによって、自分自身が成長し進化することができていると思う。そして、自分自身の踊りという「言語」を豊かにしていくだけでなく、自分のバイレを深め、さらに成長させていくためには、ロペス氏にその都度意見を求め、認めてもらうことが必要だった"と言います。フェスティバル20周年を祝うという気持ちで、ミュージシャンには、ヘレスのギターを代表するギタリストの一人、パコ・セペーロ(Paco Cepero)をゲストに、公私ともにパートナーであるギタリストのサンティアゴ・ララ(Santiago Lara)、踊りたい気持ちをかき立ててくれる歌手、ダビ・パロマール(David Palomar)を迎えて、様々な曲種をとりあげながら、"自然なフラメンコ"を見せたいという意気込みを語っていました。

JAVIERFERGO_MERCEDESRUIZ_08_copy.jpgその言葉通り、薄いミントブルーの衣装で板付きでの登場から始まり、溌剌と踊ることができる歓びのみなぎるバイレをみせてくれました。スリムなボディーをかっこ良くワイン色のチャケティージャ(闘牛士が着るような短いジャケット)とパンツスーツで包んでのマルティネーテ(Maritinete 曲種名)では、サパテアードがより冴えました。ゲストのパコ・セペーロの伴奏では、うって変わって柔らかい女らしい動きときびきびとしたカディスの女っぽさを取り混ぜてのアレグリアス。そして最後は、こてこてのヘレスのブレリアでのフィエスタ。一人ずつが次々にウナ・パタイータ(短い一振り)を披露します。よく見ると、ギターのサンティアゴ・ララがカホン(箱状の打楽器)を歌手のヘスス・メンデス(Jesus Mendez)がギターを弾いています。そして、最後はメルセデスも歌いました。生まれながらのアーティスト達の間では、踊り手は歌えるし、歌手はギター弾けるしは当たり前。だからこそ、歌、ギター、バイレの三位一体のフラメンコが阿吽の呼吸で作られるのでしょう。公演の様子はこちら。12年前のメルセデスの舞台の映像がこちらにあります。その進化ぶりをご覧になるのも面白いでしょう。バックのギターにサンティアゴ・ララと共にダニ・デ・モロンの姿もあります。当たり前ですが若いですね!

JAVIERFERGO_BAILABLES_10_copy.jpgビジャマルタ劇場の公演では、約二年前からの闘病生活で、一時は生死の境をさまよったラファエル・エステべス(Rafael Estevez)が舞台復帰するという嬉しい公演もありました。2014年の8月を最後に舞台から遠ざかっていましたが、本格復帰の日が本人の誕生日と重なり、喜びもひとしおです。とにかく博識で、ダンサーとしてだけでなく振付け家としても定評の高いラファエル。このフェスティバルでも、同郷のアントニオ・モリーナ・エル・チョロ(Antonio Molina El Choro)の公演を担当していました。パートナーのバレリアノ・パニョス(Valeriano Panos(Nani Panos))と中心になって2003年にカンパニーを設立。ちなみに2人は昨年の12月にスペイン舞台芸術院(Academia de las Artes Escenicas de Espana)のメンバーとなっています。こんな博識な2人ですら、作品づくりにあたっては著名なフラメンコ学者のファウスティーノ・ヌニェス氏(Faustino Nunez)を音楽監修・考証に迎え、きちんとした作品づくりを目指しています。

JAVIERFERGO_BAILABLES_04_copy.jpg公演のタイトルは「バイラブレス(BAILABLES)」。英語で言うとdanceable、踊れるという意味です。フラメンコの曲種の中には、本来踊りを伴わないもの、つまり聴くための曲種がありますが、フラメンコやスペイン舞踊をもってすれば、踊れないものはない!というところからきています。カンテ・リブレ(Cante Libre)とくくられる曲種は、歌手の歌うメロディーラインが主で、規則正しくリズムが刻まれないのです。しかし、往年の名ダンサー、ビセンテ・エスクデーロ(Vicente Escudero)、カルメン・アマジャ(Carmen Amaya)やアントニオ・エル・バイラリン(Antonio el bailarin)らは、これらの聴くためだけの作られた曲に踊りをつけるという試みに既に成功してきました。「聴くための曲」だけでなく、全ての音という音は"踊れる"というところまで発展しての作品。音、歌、物の出す摩擦音、そして開演前の会場のざわめきにまで反応して、独創的な振付から伝統的な動きまでバリエーションに富んだバイレを盛り込んでいました。左足に大きな傷跡を抱えたラファエルですが、それを感じさせないバイレでした。映像はこちら。カンテとギターは、マティアス・ロペス"エル・マティ"がたった一人で担当。これだけ複雑な段取りが一体どうやって頭の中に入っているのか!?これまた、楽譜のないフラメンコ音楽を生業とするプロのすごさです。(エル・マティのクラスについての過去記事はこちら

JAVIERFERGO_KOJIMA_06_copy.jpg公演翌日に、フェスティバルを開催しているヘレス市の親善大使に任命された日本人バイラオール、小島章司氏(Shoji Kojima)の公演もメイン会場のビジャマルタ劇場で行なわれ、今年のフェスティバルの目玉とも言っていいほどの注目度でした。「A este chino no le canto(ア エステ チノ ノ レ カント)」と題され公演。スペインでは東洋人のことを「チノ(本来は中国人という意味)」と呼ぶことがあります。「そのチノ男には歌わねえぞ」と言う言葉は、60年代、まだ外国人がスペインでフラメンコを踊ることが非常に珍しかった時代に、投げかけられた言葉。しかも、当時のマドリードはアンダルシアで名を馳せた精鋭ぞろい。ヒターノ(=ジプシー)でもない外国人が本場スペインの舞台でフラメンコを踊るチャンスを得るというのは、当時は並大抵の苦労ではなかったことと思います。いわゆるフラメンコ黄金期です。しかし、その状況の中でのご苦労と経験は、フラメンコ史上でも得難い宝です。エバ・ジェルバブエナ(Eva Yerbabuena)も来日時のインタビューで「うらやましい!」と言っていたほどです。
JAVIERFERGO_KOJIMA_03_copy.jpgこの公演には、76歳になられる小島氏が今までのフラメンコ人生を振り返りながら、かつて共に仕事をしたアーティスト達と楽しみながら舞台に立ちたいという想いもあったようです。演出は、長年共に作品づくりをしてきたハビエル・ラトーレ(Javier Latorre)。小島氏をよく理解しているからこそできる、小島作品らしい静寂とその奥底で燃えるフラメンコへの想いを感じさせる舞台を作りました。

JAVIERFERGO_KOJIMA_05_copy.jpgロングヘアをおろし、当たり役だったセレスティーナ役の時と同じく黒のファルダ(スカート)を身につけた小島氏。仮面を付けられ、アイデンティティーを半ば消され、人からも重んじられないながらもその場を去ることない小島氏。回想シーンのように、2011年にこの同じ劇場で上演された小島Xラトーレ作品「セレスティーナ」の主役の2人、カリスト役のクリスティアン・ロサーノ(Chirstian Lozano)とメリベア役のタマラ・ロペス(Tamara Lopez)の美しいバイレも入りました。パリージョ(=フラメンコのカスタネット)を使ったスペイン舞踊も入り、いよいよ小島氏が前に出て来てソレア(曲種名)を踊ろうとしたとたん、歌手のダビ・ラゴス(David Lagos)が「Yo, a este chino no le canto!...いいか、俺はこいつには歌わないぞ!チノが踊るなんて見たこともねえや。言っとくけどな...俺は帰るぞ!」と怒鳴ってその場を立ち去り、バックのミュージシャン達も全ていなくなるという演出が入りました。いつも小島氏に歌っているダビですが、なかなかの役者ぶりでした。

JAVIERFERGO_KOJIMA_12_copy.jpgその他、侍姿や漢字を使った背景など、日本的なイメージの打ち出しもされていました。公演には小島氏以外に唯一の日本人バイラオーラとして前田可奈子さんも出演。小島氏は、ハビエル・ラトーレとのペアでの踊り。そして、渾身のシギリージャ(曲種名)のソロ。日本人、76歳、フラメンコ一筋に生きてきたアーティストを前に、観る人の心にはそれぞれにさまざまな想いが去来したことでしょう。国籍を越えて多くの観客の心を揺るがす気迫のバイレでした。

JAVIERFERGO_KOJIMA_09_copy.jpgこの公演に華を添えたのがゲストアーティストのミゲル・ポベダ(Miguel Poveda)とエバ・ジェルバブエナ。特にエバは、ギタリストのパコ・ハラーナ(Paco Jarana)、パーカッションのアントニオ・コロネル(Antonio Coronel)、カンタオールのエンリケ・エル・エストレメーニョ(Enrique El Extremeno)、フアン・ホセ・アマドール(Juan Jose Amador)、ホセ・バレンシア(Jose Valencia)といういつものベストメンバーを従えての出演。そこからして、小島氏に対する敬意が深く感じられました。そして、ホセ・バレンシアの歌との掛け合いでの「Se nos rompio el amor」は圧巻でした。この曲は1990年にアンダルシア出身の人気歌手ロシオ・フラード(Rocio Jurado)が歌ってヒットしたもの。このようにスペインや南米のポピュラーソングをブレリアのリズムにして歌うことをクプレ・ポル・ブレリア(Cuple por Bulerias)と言います。その迫力の映像も一部入っていますのでこちらをどうぞ。

写真:ハビエル・フェルゴc Festival de Jerez/Javier Fergo
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3つの壁の乗り越え方

【フラメンコに行き詰まりを感じている方へ】

フラメンコ(カンテ/踊り/ギター/他)が難しい...
先行きが見えない...
壁を感じている...