ここアンダルシア州ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのフェスティバルの第一週目が終わりました。前半一週間のクルシージョ(前回号で説明したクラスのこと)も終わり、ほっとしたような、名残惜しいような気持ちの生徒さんも多いのでは。公演、展示、クラス、ペーニャ(愛好家が運営するフラメンコバル。フェスティバルの期間中はヘレスに何箇所かあるペーニャのうち、必ずどこかがオープンしています)、オフ・フェスティバル企画と、朝から明け方まで、いろんな形でフラメンコに触れていられるフェスティバル、明日から後半が始まります。(写真:ロサリオ・トレド公演「ADN」より)
この街と日本での生活との大きな違いは、他人とのコミュニケーションの多さ。小さな街なので知り合いに会う確率が高いというのもありますが、全くの他人でもお互いよく声を掛け合います。フラメンコもコミュニケーションそのもの、とここへ来て痛感しています。フラメンコには本来楽譜はありません。それでもカンテ、ギターが絶妙な間合いでかけ合うコミュニケーションがあり、その言葉を超えた「何か」が聴く者の心にも響いてくるのです。バイレもしかり。カンテやギターとのコミュニケーションなしには、本物のフラメンコとは言えません。1,2,3と数をカウントして決められたシーケンス通りの台本に沿って歌ったり踊ったりするのでなく、即興を受け止めるのもフラメンコ。「昨日と違うファルセータ(ギターが奏でるメロディー部分)だったから、歌い出せませんでした」なんてことは、プロの世界では有り得ないのです。
さて、フェスティバル三日目に行われたカンタオールのダビ・パロマール(David Palomar)のコンサートのタイトルは「デノミナシオン・デ・オリヘン」。スペイン語で書くと「Denominacion de origen」略すとD.O.。どこかで見たことありませんか?そう、スペイン産ワインのラベル。生産地という意味、つまりどこで生まれたかを表します。ちなみに、ダビ・パロマールの出身地はカディス県カディス市(Cadiz)。今年のヘレスのフェスティバルでは、カディス市出身のアーティストが大活躍中です。フェスティバルの行われているヘレス・デ・ラ・フロンテーラも、カディス県(Provincia de Cadiz)に属し、県の人口は約125万人。44もの市・行政区に分かれています。その中でも人口のトップがヘレス(Jerez de la frontera)市、次いでカディス市、そして、ギタリストのパコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)の出身地でもあるアルヘシラス(Algeciras)市が続きます。
フラメンコの世界では、アレグリアスやタンギージョという曲種でもお馴染みの土地、港町カディス。ここからは多くのフラメンコ歌手が輩出され、冗談好きのアンダルシアの中でも、さらにユーモアたっぷりの人が多いことでも有名。しかし、ここ近年、チャノ・ロバート(Chano Lobato)やマリアナ・コルネホ(Mariana Cornejo)など歌の名手の訃報が続きました。その喪失感を埋めるべくか、中堅どころが一層活躍しています。
ここヘレスのクルシージョでは、ほとんどのクラスに生ギター、生カンテがつくのですが、ダビ・パロマールは、十年くらい前に、ハビエル・バロン(Javier Baron)のクラスに歌いに来ていました。17歳からタブラオ(フラメンコのショーがあるレストラン)で歌い始め、本格的にフラメンコの世界に入ったのは、1998年のハビエル・バロンの公演でした。多くのバイラオール・バイラオーラたちの公演で踊り伴唱をした後、2007年初アルバムを発表し、本格的にソロとしても活動を続けてきました。
コンサートは、粋な構成になっていて、舞台をうまく使って、曲ごとに場面を切り替えていました。ユーモアたっぷりに語りかけるように歌ったり、故チャノ・ロバートの逸話を再現したり、カポテ(Capote-闘牛士が牛を煽るために使う布)を操ったり。かと思えば、シギリージャ(フラメンコの中でもかなりシリアスな曲)をぐっと聞かせたりと、表現力の豊かさを発揮していました。また三人のギタリスト(ボリータ(Jose Quevedo"Bolita")、ラフェエル・ロドリゲス(Rafael Rodoriguez)、ヘスス・ゲレーロ(Jesus Guerrero))もそれぞれの個性を活かして起用。バイレには、もちろんカディス出身でエバ・ジェルバブエナ(Eva Yerbabuena)の舞踊団のメンバーも務めた実力派のマリア・モレノ(Maria Moreno) がゲスト出演し、数曲に踊りで華を添えました。パロマールの歌、マリアのバイレでのセビジャーナスも見応えあるものでした。映像はこちら。(写真左上:ダビ&ラファエル・ロドリゲス/右下:ダビ&マリア・モレノ)
このダビ・パロマールのように、長く踊りの伴唱をして実力をつけてからソロ歌手になるというパターンは多く、現代では一流カンタオールへの王道のひとつと言えるかもしれません。フラメンコのカンテには「聴くための(para escuchar)」と注釈の付けられたものもあり、必ずしもすべての歌が踊るために作られているわけではありません。そもそも、フラメンコは歌が原点。踊りは後から、歌の存在によって生まれたもの。本来、歌、音楽ありきなのです。だからと言って、一人で黙々と歌を聴いて学ぶだけでなく、踊りに歌う時に必要なコンパス(Compas=フラメンコ特有のリズムやアクセント)感を身に付けることは、カンテを歌うことに非常に役立つのです。地元ヘレスのバイラオーラ、アンヘリータ・ゴメス(Angelita Gomez)は、ブレリアの踊りクラスで口が酸っぱくなるほど「とにかく音楽を聴きなさい。まずは歌を知りなさい」とおっしゃっていました。一方、若手のカンタオール、サムエル・セラーノ(Samuel Serrano)、ホアキン・デ・ソラ(Joaquin de Sola)には「踊り伴唱をどんどんしなさい。学ぶことが多いから」と。ちなみにこの二人もカディス県の出身。サムエルはチピオナ(Chipiona)、ホアキンは、今はサン・フェルナンド(San fernando)に住んでいますが、生まれはカディスです。(写真:サムエル・セラーノ)
サムエルはあまり伴唱の経験はないとのこと。しかし、力強く太くかすれた声と、聴くためのカンテフラメンコの醍醐味を感じさせます。映像はこちら。ホアキン・デ・ソラは、あの伝説のカンタオール、カマロン・デ・ラ・イスラ(Camaron de la Isla)がいた「ベンタ・デ・バルガス(Venta de Vargas)」のオーナーに見込まれて、ベンタでアントニオ・カナーレスの踊り伴唱をしたこともあるとか。歌を聴いてみると、たしかに踊りたくなるようなコンパスとギタリストや観客とのコネクションも感じられました。フラメンコにはいろいろなタイプの歌手がいますし、曲種によってもそれを特に得意とする歌手がいたり。ただこの声が好き、この曲が好きでもよし。また一歩踏み込んで、カンテへの知識を増やすことで、より楽しみも広がる世界です。映像はこちら(写真:ホアキン・デ・ソラ)
踊り伴唱をすることを、フラメンコでは「パ・トラス(Pa´ tras)」、ソロ歌手として歌うことを「パ・ランテ(Pa´lante)」と言います。
「今まで数え切れないほど、このヘレスのフェスティバルの公演で、パ・トラスとして歌ってきたけど、今年はパ・ランテとして、コンサートができて嬉しい」と会見で言ったのは、また同じカディス出身の歌手、ホセ・アニージョ(Jose Anillo)。本当にこの人も、クリスティーナ・オヨス(Cristina Hoyos)、マヌエラ・カラスコ(Manuela Carrasco)、イスラエル・ガルバン(Israel Galvan)ら数多くの一流アーティストのバトラスとして21年のキャリアがあります。コンサート会場は、遺跡アルカサルの入口にあるパラシオ・ビジャビセンシオ(Palacio Villavicencio)の中の一室。マイクなしのフラメンコのオリジナルスタイルでのコンサートです。ギターには、ダビ・パロマールの公演でも弾いていたラファエル・ロドリゲス。味のある音色と心から演奏を楽しんでいるような笑顔が、歌手にも観客にも安心感を与えているように感じました。カディスのカンテを歌い上げた一時間のコンサートとなりました。映像はこちら。(写真:ホセ&ラファエル・ロドリゲス)
カディス出身の女性アーティストも登場。バイラオーラ、ロサリオ・トレド(Rosario Toledo)の「ADN」。日本だと"DNA"と言いますね。どうも、自分のオリジン、ルーツを意識する傾向が強くなっているのでしょうか?前作の「アレルヤ・エロティカ(Aleluya Eroica)」でのバイレも今だ記憶に焼き付いているので、これは必見だったのですが、スケジュールの都合で痛恨の断念。ここは映像でご覧ください。バイラオーラとしてはもちろん舞台女優のようにその場をドラマティックに変えられる才能のあるロサリオ。公演後の各紙評からもそのクオリティの秀逸さがうかがえました。3月にはセビージャでの再演も決まっており、今回のへレス公演よりも舞台スペースも大きくなるので、より完成度の高いものになると本人も意欲満々です。
このあと、D.O.がカディスのカンタオーラのアナ・サラサール(Ana Salazar)のコンサートもあります。彼女は元々はバイラオーラなので、バイレも入った面白いコンサートになることでしょう。
多才なアーティストの多いカディス陣。これからのますますの活躍に期待です。(写真:ロサリオ公演「ADN」)
FOTOS: COOYRIGHT to JAVIER FERGO /Festival de Jerez Oficial
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