連日の公演や取材から、お伝えしたいことは山のようにありますが、期間中は公演の様子をできるだけ追ってご紹介します。

DSCN0394.JPG第一週目の週末の目玉は、エル・ボボテ(El Bobote)監修の「De Triana a las tres mil, Boboterias」ボボテはスペインのフラメンコの映像や公演を見たことがあればかなり高い確率で「見たことある!」アーティストです。公演ではパルマとして舞台に立つことが多いお方ですが、もとはバイラオール。故ファルーコの代教をしていたこともあるくらいのアルテの持ち主なのです。

公演の記者会見には、当日共演するトロンボ(El Torombo)も参加。「自分にとってフラメンコはとても大切なものなんだ」と公の場では言葉少ないボボテに代わって、トロンボがボボテについて、そしてフラメンコを熱く語ってくれました。「ボボテは、僕たちが出会えなかった故人の素晴らしいアーティスト達が活躍していた時代も知っている。そして僕たちが憧れた現代の巨匠達と共に育ち、今、こうして僕たちの見本となってくれている。フラメンコの歴史を生き続け、時代が変わっても、ボボテはボボテ。変わることなく、純粋なフラメンコのリズムを刻み続けている。」と。(右写真:同日、別の劇場での公演に出演のアデラ・カンパージョ(Adela Campallo)とフリアン・エストラーダ(Julian Estrada)とボボテ、トロンボ)

IMG_8737.jpg そう、そんなボボテが指揮をとってのこの公演は、いわば「ボボテ印のフラメンコ」。その品質は疑う余地もありません。それを地元の人は良く知っていて、会場は満席。トリアナ地区とトレスミル地区で育った、根をどこまで掘り下げてもフラメンコというアーティスト達。カンテには、パコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)の公演で来日したこともあるカンタオーラ、ラ・タナ(La Tana)の母であるエルミナ・ボルハ(Ermina Borja)、ファルキートとの共演が多いマリ・ビサラガ(Mari Vizarraga)、エル・バレア(El Valea)、ギジェルモ・マンサーノ(Guillermo Manzano)。バイレにはトロンボの他に、ホセリート・フェルナンデス(Joselito Fernandez)。ボボテとの黄金のコンパスコンビのエル・エレクトリコ(El Electrico)は巨体を揺さぶってブレリアを披露。23時半からの約1時間半、ヒターノたちのフィエスタにどっぷり浸からせてもらいました。
(右:ボボテ、トロンボ、ファリ、エレクトリコ)

IMG_0100.JPGそして翌日は、イスラエル・ガルバン(Israel Galvan)の「SOLO」。そのタイトル通り、SOLO=独りの舞台です。カンテもギターもパルマもありません。カルトゥーハ修道院の中にある昔の陶器工場の一角にタブラ(板)が置かれているだけです。完全なるシレンシオ(静寂)の中で一人で踊るという試みです。(右:開演前の「SOLO」の舞台)

暗闇のなか、コツコツと靴音が近づいてきて、イスラエルが現れました。普段とは全く違う顔つき。神聖な...まるでミサが始まるような空気が会場を流れました。
45分間、自分と観客と、そしてその二つの間にある何かと対話をしながら踊っているように見えました。そしてその対話からは、喜怒哀楽、様々な感情が伝わってきました。そして、何の誘導や目安がなくとも、フラメンコのコンパス(リズム)は、たとえ止まっているときでも奥底で息づいているのが感じられます。

 イスラエル・ガルバンの独特のスタイルは「変わった踊り」に思えるかもしれませんが、最初からのこのスタイルで踊っていたわけではありません。カルロス・サウラ監督の「フラメンコ(前作の方です)」でマリオ・マジャ(Mario Maya)と共演しているのを見わかるように、オーソドックスなフラメンコをしっかりと身につけた上で、自分の表現方法を探る挑戦から始まったもの。往年のバイラオールから学び、研究し、時間をかけて創られたイスラエル独自のスタイル。特徴的で一見、真似はしやすいとうに見えますが、たとえやったとしても決して自分のものにはならないし、そこにフラメンコの源流を感じさせる動きにはならないでしょう。カフカの「化身」をモチーフにした作品から12年。イスラエルのスタイルは"驚き"から"共感を呼ぶもの"になりました。ISRAEL GALVオN3.jpg

FOTOs 舞台写真:Antonio Acedo / その他:Makiko Sakakura

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