連日フラメンコで賑わうここモン・デ・マルサン。今こうして村の中心のホテルの部屋で原稿を書いているときにも、外からは生演奏のフラメンコが聴こえてきています。日本では、街のど真ん中、真昼間とあれば、騒音問題にされてしまいそうですね。
フランスには、かつてスペインからスペイン内戦後のフランコの弾圧を逃れて多くの人が逃亡者として入国してきました。モン・デ・マルサンにもスペインからの移民があり、なんとここには闘牛場まであるのです。このフラメンコ・フェスティバルも、村で文化イベントを計画した際に、スペイン人の血を引く有力者からの発案で、他の村ではまだやっていなかった"フラメンコ"のフェスティバルをということになったそうです。
公演二日目。夜8時から、村の中心部にある普段は駐車場として使われている巨大スペースに作られ「Cafe Cantante」と名付けられた会場で、今年初めての公演が行われました。
第一部は、ダニ・デ・モロン(Dani de Moron)のギターコンサート。どうしても分かりやすい踊りばかりになりがちな海外でのフェスティバルにあって、バイレなしのギターコンサートがあるのも、観客がフラメンコに対して熟しているからこそ。この日は二部がバイレの公演でしたが、終了後地元の人たちの感想では、ギターコンサートが良かったという声が多かったようです。
カンテもバイレも入らないギターだけのコンサートは、じっくり落ち着いてギターを楽しめ、フラメンコギターはソロで主役になれるものだということを改めて感じました。そうすると当然、思い出されるのがパコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)。バイレ伴奏をしながら実力をつけたダニ・デ・モロンは、やがてマカニータ(Macanita)、ホセ・メルセー(Jose Merce)、アルカンヘル(Arcangel)らカンタオールの伴奏に引っ張りだことなりますが、ついに憧れパコからツアーのセカンドギターというオファーが来て、ツアーを共に周ることとなり、名実共にトップギタリストの仲間入りを果たしたのです。会見では「自分たちの世代にとって、パコ・デ・ルシアの存在は本当に大きかったから、今のすべてのギターコンサートはパコへのオマージュという意味がある」と言い、メンバー紹介の最後にパコへのオマージュの言葉を述べていたのも印象的でした。以前は音色を聴いただけで、誰が弾いているのか分かるほど、フラメンコギターの奏者はキャラが立っていたのに、今は誰のも同じように聴こえて個性がなくなってきたと嘆く声がありますが、時折入るトラディショナルなタッチとモロン・デ・ラ・フロンテーラ育ちの太い音で、パーソナリティーの出るギタリストとなったダニ。一曲終わるごとに客席から割れんばかりの拍手が続いていました。フラメンコギターの魅力が十分に堪能できたコンサートでした。
休憩を挟んで、第二部。ここ数年連続で、必ずファミリーの誰かがこのフェスティバルで公演を行っているファミリア・ファルーコ(Familia Farruco)。今年は次男のファルー(Farru)が自分の公演「FLAMENCONCIERTO」と翌日のパストーラ・ガルバン(Pastora Galvan)公演のゲストとして出演しました。「ファミリア・ファルーコはこのフェスティバルの"レシピ"には欠かせないのよ。」とディレクターの弁。今回の公演では、今まで踊っていなかった"ファルーカ(Farruca)"に挑戦。「自分のファミリアの名前もそうだし、母の芸名もまさに"ファルーカ"。典型的な男性のバイレだし、他のバイレはいろんなアレンジが利くけど、ファルーカはファルーカとして変えてはならない部分がある。」と会見で語っていたファルー。実際の舞台では、たしかに伝統的なファルーカらしさを失わず、そこにファミリア・ファルーコらしい力強く爆発力のあるサパテアードが組み込まれていました。「内容の50%は即興だよ」と言っていたように、オープニングでギターソロを披露した後は、3人の歌手たちの歌に絡みながら、舞台上を自由に踊りまくっていました。お家芸のソレアでは祖父ファルーコのサパテアードを。タンゴでは、スーツのポケットから櫛を取り出して髪を整えたりと、ショー的な部分もあり、ある意味、今のファルーらしい内容。カンテでは、ラファエル・デ・ウトレラ(Rafael de Utrera)、ギターではペドロ・シエラ(Pedro Sierra)が共演。随所で公演に重みをプラスしていました。(写真:ファルーカを踊るファルー)
昼間には市内の劇場で子供向けのフラメンコ公演「Tirititran」がカンタオーラ、ラウラ・ヴィタル(Laura Vital)を中心に行われました。数ヶ月かけて地元の小学校とタイアップしてフラメンコを教えた生徒たちの発表会です。ラウラの他にバイラオーラのラケル・ビジェガス(Raquel Villegas)、ギタリストのソクラテス・マストロディモス(Socrates Mastrodimos)がバイレとギターも教えました。ラウラは「フラメンコは表現方法のひとつ。スポンジのようにぐんぐん吸収してくれた子供たちにとても満足している。将来アーティスト担ってほしいというのではなく、フラメンコ音楽に繋がっていてくれる種まきになれば嬉しい」と話していました。曲種という分類の仕方や曲よりも演奏者によって語られることから、ジャスやシャンソンのようにヒット曲が出回りにくい音楽ですが、フラメンコ音楽の魅力を知る人が増えることは本当にうれしいことです。
そのフラメンコ音楽の面白さ、難しさ、そして楽しさを身をもって体験しているレッスンの様子も覗いてきました。ダニ・デ・モロンのコンサートでパルマ(手拍子)を担当していた双子のアーティスト、ロス・メジス(Antonio y Mauel "Los Mellis")によるパルマクラス。セビージャ県ウエルバ出身の彼らは同郷のアルカンヘルのコンサートでパルマとコーラスで活躍を始め、その絶妙で正確なコンパス感と双子の息の合ったコンビネーションで、今やギターやバイレ問わず多くのアーティストのコンサートに引っ張られてます。生徒は25人。ほとんどが女性で、しかも比較的年配の人が多いようでした。アレグリアスのコンパスをベースの打ち方とそれにからむタイミングで入る打ち方を根気よく教え、生徒たちも最初は数えたり、迷いながら打っていたのが、やがてアレグリアスのメロディーを意識して打てるようになっていました。6日間、毎朝9時15分からのクラス。教えるロス・メジス達は、毎晩夕食が終わるのが夜中の1時過ぎ。その後、ペーニャにも行くので宿に戻るのは朝の4時頃(らしい)。しかも、ダニのコンサートだけでなく、その他の公演にも出演するためのリハーサルもこなしながらのレッスン。タフだな?とつくづく感心します。生徒さんの中にはスペイン語がわからない人もいますが、熱心にパルマの音に耳を傾けて頑張っていました。
続いて、カンテクラス。教えるのは、バルセロナ出身のカンタオール、マティアス・ロペス(Matias Lopez "El Mati")。ベレン・マジャとマヌエル・リニャンの公演で2013年に来日していました。上級クラスということで、クラス三日目ながらすでにバンベーラスが終わったところ。新たにブレリアを始めていました。歌詞一行ずつをマティアスのお手本をなんども聞き、一緒に繰り返し歌っていきます。メロディーや歌詞は比較的早く飲み込めても、フラメンコ独特のリズムや歌詞のつなげ方という楽譜にできない部分は"良いお手本"を何度も聞いて、耳で覚えていくしかないのだなと痛感しました。 また、スペイン独特の感情表現もカンテ詞の中に込められているので、文化の違いによってはピンと来ないことも。そうするとただ歌っているだけ。詩を棒読みしているようになり、カンテ・フラメンコとしても味わいが出ないのです。第一線のアーティストと共に活躍している歌手から直接教わることのできる機会の"美味しさ"をここモン・デ・マルサンの生徒さんはよくわかっているようで、他の初級、中級カンテのクラスは満員という盛況ぶりです。人生の楽しみのひとつとして、フラメンコと繋がる。レッスンだけでなく、公演も地元の人で毎晩満席。27年間このフェスティバルが続いているこの村には、確実にその楽しみが根付いているように感じました。
FOTOS DE ENTREVISTA,CLASE Y ESCENARIO:坂倉まきこ(FLAMENCOLABO)
FOTOS DE ESCENARIO(舞台写真):Marta Vila Aguila