IMG_0160.JPG711年にモーロ人(ムーア人)に征服され、彼らイスラム教徒たちの文化の中心地となったセビージャには、たくさんのイスラム様式の建造物が残っています。レコンキスタ後、モーロ人は追放され、カスティージャ王国の主要都市となったセビージャは、グアダルキビル川を通じて港湾都市として商業の面でも栄え、豊かな街へと発展していきました。(左写真:グアダルキビル川とセビージャのトリアナ地区)

Septiembre es flamencoの公演会場はオープニングと最終日以外は、世界遺産に登録されている"アルカサル(Real Alcazar de Sevilla)"と文化遺産の"ドン・ファブリケの塔(Torre de Don Fabrique)"で開催されます。どちらも屋外。日没の遅い夏のアンダルシアのせいか、開演は夜の10時。遅い!と思われるかもしれませんが、例えば夜の8時ではまだまだ日本の夕方くらいの明るさなのです。照明の効果が出せないこと、また夏場は人々の外出時間のスタートが遅いお土地柄なども影響しているのでしょう。

DSCN1973.jpgセビージャのバイラオーラ、パストーラ・ガルバン(Pastora Galvan)の新作「モラタナ(Moratana)」は、ドン・ファブリケでの上演。タイトルはモーロ人女性(mora)、スルタンの王妃(sultana)とヒターノ(ジプシー)女性(gitana)を混ぜた造語。プログラムも、モーラ、スルターナ、ヒターナの3部構成。(右写真:塔に映し出されたプロジェクションと舞台)

MORATANA1.jpg16世紀にカスティージャ国のフェリペ2世に敗れたグラナダに住んでいたモーロ人達は、セビージャに移り住んできました。特にトリアナ地区に多く流入したと言われています。この地区には、その約十年前に同じくフェリペ2世が行ったジプシー定住政策で多くのヒターノ達が定住し始めていました。その後、モーロ人はスペインを追放されていましますが、モーロとヒターノの影響は音楽や舞踊に残されています。アラブとヒターノの名前を合わせたこの作品。パストーラのバイレもアラブ調の衣装や動きが多く取り入れられていました。手にする楽器も、フラメンコのパリージョス(=カスタネット)だけではなく、金属の小さなカスタネット(通称チンチン)やタンバリンを使ったり。歌には、トリアナのヒターノであるフアン・ホセ・アマドール(Juan Jose Amador)、アンへリータ・モントージャ(Angelita Montoya)という思いっきりフラメンコな歌手と、アラブ楽器のウードを奏でながら歌うアミン・ウド(Amin Oud)。なんといっても、音楽を監修したベドロ・シエラ(Pedro Sierra)のギターが素晴らしく、音楽面でも非常に楽しめる公演でした。

MORATANA2.jpgゲストダンサーとして、アンダルシア舞踊団(Ballet Flamenco de Andalucia)の前監督だったルーベン・オルモ(Ruben Olmo)が出演し、まずはパーカッションだけに合わせたソロ。アンダルシア舞踊団や王立劇場でのオペラ「ロルカ」など、何度か見たことはありましたが、いつも大舞台。初めて数メートルという間近でルーベンの踊りを見ましたが、体のすべての関節が音に反応して動くような緻密さには驚きました。いわゆるヒターノ的なフラメンコとは違うバイレフラメンコの一面が見られる踊り手です。パストーラとのパレハ(ペア)では、二人で闘牛風の短いジャケット(チャケティージャ)で、アンダルシア民謡の「VITO(ヴィト)」をパリージョを使って踊りました。最後は、鮮やかなグリーンの衣装にピンクの配された華やかな衣装で、はつらつと自由を踊るパストーラ。兄、イスラエル・ガルバン(Israel Galvan)譲りの特徴ある振り付けも、今やもう、パストーラの持ち味となっています。

arc.jpg続いてはもう一つの会場、アルカサルでの、アルカンヘル(Arcangel)とブルガリアン・ボイス(Voces Bulgaras)のコンサート「エストゥルナ(Estruna)」。ブルガリアボイスとフラメンコと言えば、カンタオールの故エンリケ・モレンテ(Enrique Morente)を思い出さずにはいられません。エンリケが非常に気に入り、自らのアルバム「ロルカ(Lorca)」の中でも共に録音したブルガリアン・ボイス。(エンリケとの共演映像はこちら)地声ながらなんとも神秘的で美しいハーモニーを紡ぎ出す魅力的なコーラス。以前こんな風に日本でもCMでも使われていたようです。

arc2.jpgコーラスの指揮者にはエンリケ・モレンテと共にプロデュースしていたジョージ・ペコフ(Georgi Petkov)を迎えました。ロルカの詩に曲をつけて、エンリケ・モレンテがアルバム「オメガ(OMEGA,1996)」に収録した"ニューヨークのオーロラ(La Aurora de Nueva York)"や、カマロン・デ・ラ・イスラが歌って大ヒットし、エンリケもアルバム「ロルカ」に収録した"時の伝説(La Leyenda del Tiempo、同じくロルカの詩)"と、随所にマエストロであるモレンテを思い起こさせるものがありました。エンリケ・モレンテを尊敬し追悼し続けるアルカンヘルの姿勢が表れています。

IMG_0106-2.JPGコンサートは、ブルガリアン・ボイスとの共演から始まり、ギタリスト、ダニ・デ・モロン(Dani de Moron)とのストレートなフラメンコの曲、ブルガリアン・ボイスだけの曲などバラエティーに富んだ構成でした。(こちらに昨年のマドリードでのコンサートで映像あり。フラメンコサイトDe Flamenco.comさんの収録です)アルカンヘルの声が今までより微妙に野太くなっていたような気がしましたが、相変わらずの歌唱力の高さには、観客も納得していたことでしょう。そういえば、以前、元ビエナルのディレクターがカンテ・フラメンコの講演会で「アルカンヘルがスペインに生まれてくれてよかった。おかげでフラメンコは素晴らしい歌手を得ることができた。」と言っていました。このコンサートを含め、各地のタブラオでライブ録音をしたアルバムも制作中とのこと。こちらも楽しみです。

FOTOS:Antonio Acedo, La Bienal / Makiko Sakakura

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