アンダルシアの青空は、雲が数なくて青々として気持ちの良いもの。しかし残念ながら、ここ数日、へレスの空は「白」。すっかり雲に覆われています。朝の短い時間、その雲のベールが途切れて、いつも青空がちらりと見えました。フェスティバル期間中のアーティストたちによる踊りなどのクラスもスタートし、生徒さんたちにとってはレッスンと公演観賞で忙しい日々が始まりました。

JAVIERFERGO_SONIQUETAZO_01.jpgフェスティバル二日目は、ビジャマルタ劇場で、地元へレスのホアキン・グリロ(Joaquin Grilo)とセビージャのアントニオ・カナーレス(Antonio Canales)という二人の人気バイラオールの公演。1968年生まれのホアキンと1961年生まれのカナーレス。見た目も体格も、そして踊りのスタイルも全くこ異なる二人。それぞれのミュージシャンを従えての登場。舞台上にひな壇がセットされ、向かって左がカナーレス陣営、右がホアキン陣営という男同士のバイレ対決!という感じ布陣です。(写真左がホアキン・グリロ、右がアントニオ・カナーレス)

公演タイトルは「ソニケタソ(Soniquetazo)」ソニケテとはSonの部分が音という意味で、一言で言うとフラメンコの音。フラメンコの曲が持つ、リズム、それぞれの曲独特のアクセントを含めた音で、溌剌としてのパンチ効いたようなリズムを刻みます。そこに「すごい、超」を表すtazoがくっついています。音楽だけでなく、踊りのサパテアード(靴で出す音)にもソニケテがあります。サパテアードがパーカッションの一部、音楽の一部となるフラメンコならではのものです。ソニケテを満喫できる現代のバイラオールといえば、何と言ってもホアキン・グリロでしょう。彼のサパテアードは、神的な間の取り方で、複雑でありながら美味しいところに音がビシッと決まります。そんな超難技のサパテアードを打ちながら、上半身は酔拳並みのリラックスさ。カンテやギターと対話をしながら楽しんでいるようなバイレです。靴音が音楽のように聞こえるグリロとは対照的に、カナーレスはガツンと落ちてくる雷のような大迫力の音。へレスとセビージャのソニケテ溢れる公演となりました。オープニングは、その二つの音が絡み合っての華やかなブレリア。対照的な二人は写真やビデオでご覧ください。

二人が舞台から去ると、次はカホンでへレスとセビージャのソニケテを堪能。へレスからはディエゴ・カラスコの息子のアネ・カラスコ(Ane Carrasco)、セビージャは、バイラオーラ、マヌエラ・カラスコの弟のホセ・カラスコ(Jose Carrasco)。二人とも生まれた時、いや生まれる前からフラメンコのコンパス(リズム)の中にいるアーティストです。

JAVIERFERGO_SONIQUETAZO_02.jpg最初のグリロのソロ。妹のカルメン(Carmen Grilo)、コーラスにマカリネス(Makarines)の二人、ギターはフアン・レケーナ(Juan Requena)。最初は伴奏なしでサパテアードだけ。それだけでも十分に音楽が見えてきます。明るいアレグリアス、そしてタンゴを表情豊かに、時にはコミカルな動きも交えて踊りました。

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次はカナーレスのソロ。首に何色もの色石が配された大振りのネックレスをつけて、同じく明るめのアレグリアス系の曲を踊りました。カンテはエル・ガジ(El Galli)、もう一人はプログラムに出ていた名前の歌手ではなく、ヘスス・フローレス(Jesus Flores)だと思います。ギターはパコ・イグレシアス(Paco Iglesias)です。音楽と自由に絡み合い、バイレを楽しんでいるようなカナーレス。かつて「ベルナルド・アルバの家」や「トレロ」などフラメンコ史に残る名作を作ってきました。その間、多くの若手アーティストを発掘、活用し、今もボス的存在感を醸し出しています。続いて、黒地に大きな赤の水玉模様の布を羽織って、タンゴを踊りました。

JAVIERFERGO_SONIQUETAZO_04.jpgそれぞれのギターソロの後は、再びホアキン・グリロのソロ。が上下白の衣装に、同じく白着に赤い縁取り刺繍の入ったベストで登場。Rafael de Leon - Salvador Valverde作詞 - Manuel Quiroga作曲で1933年に作られ、現代でも多くの歌手が歌っている名曲「マリア デ ラ オー(Maria de la O)」の曲を踊りました。この曲と同名の映画が、ここへレスのスター、ロラ・フローレス(Lola Flores)の主演でヒットしただけに、地元の人にとっても特に馴染みのある曲でしょう。ドラマを含んだ歌詞を語るように喜怒哀楽を表現しながら踊るグリロに、舞台から去った後も拍手が消えませんでした。

JAVIERFERGO_SONIQUETAZO_07.jpgカナーレスのソロはソレア。哀愁漂う曲の中にも割れるようなサパテアードが入り、迫力のあるソレアの後に続くブレリア。バックの音はメロディーではなく、リズムだけを刻んでいて、そこにカナーレスが自由に踊りで切り込んでいきます。客席からの拍手が起こると、観客に満面の笑顔と胸に手を当てての「皆さんの声援、届いてるよ!」というポーズで応え、それに観客も応えてさらなる拍手が続いていました。

偶然、マドリードでのカンタオールのコンサートの後の打ち上げで一緒になり、初めて一緒に踊った二人。居合わせたフランスのフェスティバルのディレクターの発案で舞台でもやってみようということになり、昨年の7月に初演となったこの作品。現代の若手は、カナーレス達が過ごしてきたフラメンコの時代とは、生活の状態やアーティストのステータス、そしてフラメンコの身につけ方にも大きな違いがあります。それゆえに仕方のないこととはいえ、フラメンコの表現も変わっていってしまうかもしれません。フラメンコ本来のアルテを守るためにも、今こそ1960年代生まれまでのアーティストがもっと活躍して、その成熟したアルテを見せて欲しいものです。

JAVIERFERGO_MAYTEMARTIN_01.jpg夜中12時からは前日に続いて、ゴンザレス・ビアスのボデガでのコンサート。セビージャでのコンサートをご紹介したばかりのマイテ・マルティン(Mayte Martin)のコンサート「Al Flamenco por testigo (アル・フラメンコ・ポル・テスティーゴ)」です。フラメンコの曲の中でも特に伝統的、クラシック、古典とされるものの中から、マイテ自身が歌いたいというものを選び、自分なりのフィルターをかけて、曲や詩を吟味して味付けしたもの。マイテが2005年のファーストアルバムに録音した曲もあるほど、いかに大事にしてきたレパートリーかというのが伺えます。

JAVIERFERGO_MAYTEMARTIN_03.jpg音作りには常に完璧を目指すマイテにとって、本来ワインを保存するために作られたボデガ(酒蔵)が会場ということで、100%納得できるものではなかったかもしれません。マイテを支えるミュージシャンはギターにベテランのサルバドール・グティレス(Salvaor Gutierrez)と新人のパウ・フィゲラス(Pau Figeras)。サルバドールは以前、マイテとは仕事をしたことがあり、マリオ・マジャやクリスティーナ・オヨスの舞踊団などやエバ・ジェルバブエナ舞踊団やイスラエル・ガルバンの公演でも弾いています。その他、カンタオールたちの伴奏にも引っ張りだこで、ホセ・バレンシア、アルカンヘル、カルメン・リナーレス、ロサリオ・トレメンディータ、ミゲル・オルテガらベテランから中堅まで実力派のカンテを支えています。パウはマイテが発掘したニュータレント。元はフラメンコギタリストではなかったのですが、才能を見込んで期待しているようです。先日のセビージャでのコンサートでのギターはパウで、ボレロやタンゴでも素晴らしい演奏をしていました。パーカッションは2003年にマイテと仕事を始めて以来ずっと続いているチコ・ファルガス(Chico Fargas)。マラガの出身で、地元では障害者への教室を開催し、フラメンコを通じて社会貢献している熱い一面のある人です。

コンサートは静かなギターの二重奏でのプロローグ。フェデリコ モンポウ(Federico Mompou)の "Impresiones Intimas"という組曲の中の一曲から始まり、フアニート・バルデラマが歌って有名になったミロンガ(MIlonga)「Rosa cautivada」へと繋がります。
続いて、ファンダンゴ。様々なスタイルのファンダンゴをカバーしていきます。ティエントスは、アルバムにも録音しているニーニャ・デ・ロス・ペイネスが歌った定番の曲。そこからタンゴへと繋がっていきます。
ギターとカンテだけ舞台に残り、フラメンコの曲の中でもシギリージャとともに最も原点に近いソレア。続くブレリア(曲種名)も色んなパターンで展開していき、コプラ(スペイン歌謡)の「Compromiso」も「ポル・ブレリア(ブレリアで)」歌われました。そして、コンサートの最後はエピローグと同じ二重奏の曲で静かに幕を下ろしました。マイテの甘く、清冽な泉から湧き出るような声に会場も魅了されたことでしょう。

いつも書いていますが、フラメンコには色んな種類の声があります。地響きのような低くて太い声、しゃがれた声が一般的にはフラメンコ的と言われていますが、アントニオ・チャコンやラファエル・ロメロのような高くて繊細で心の琴線に触れるような声もあります。またその中間で包み込むような丸みのある声も。大切なのは「歌う」というより「語っている」かどうか。いくら良い声をしていても、棒読みやリズム遊びになってしまって心が入っていないカンテは何も語っていないので、特に言葉のわからない外国人の私たちには通じにくいものがあると思います。また50種類を超える曲種の中には、重い曲から明るく賑やかな曲、南米起源の哀愁漂う曲など様々なトーンのものがあり、声の特質によって、よりはまる、はまらないもあります。日本ではなかなか経験できないフラメンコのカンテコンサート。フェスティバル中に是非、いろいろ聴いてみていただきたいと思います。

と書きながらも、スケジュールの都合で会場に行けなかった19時からのカンテ・コンサート。地元へレスの若手、マヌエル・モネオ・カラスコとまろこの二人が、それぞれソロコンサートを行いました。その様子は下記のビデオでご覧ください。記者会見では、へレスのバイレのマエストラ、アンヘリータ・ゴメスが「こうやって若い人が歌える場所がフェスティバルにあることは本当に喜ばしいことだ」とエールを送っていました。

image_205331_jpeg_470x324_q85.jpgカンテといえば、通常は夜中のスタートが多いペーニャ(=愛好家の運営する寄合い所)での公演が、フェスティバル中は16時から開催されます。へレスには、フェルナンド・テレモト、ロス・セルニカロス、ドン・アントニオ・チャコン、ブエナ・ヘンテ、ティオ・ホセ・デ・パウラ、ラ・ブレリアと小さな街に6つものペーニャ・フラメンカがあります。そこで、ちょっと中心部からは遠かったのですが、フェルナンド・テレモトのペーニャに行ってみました。その名の通り、へレスのカンタオール、テレモト・デ・へレス(1934-1981)に因んで作られました。その息子のフェルナンド・テレモト(イホ)(1969-2010)の娘、マリアが現在若手カンタオーラとして活躍を始めました。

出演者は、ニーニョ・デ・ラ・フラグア(Nino de la Fragua)と弟のマヌエル・デ・ラ・フラグア、マヌエル・モレノ・ペーニャ"カンタロテ"の3人のカンタオールとギタリストのフアン・マヌエル・モネオ・カラスコ。へレスの若手アーティストたちで、皆フラメンコのファミリーの出身です。ちなみに、ペドロ(ニーニョ・デ・ラ・フラグア)とマヌエルはへレスのティオ・フアネの孫。マリア・ソレアやディエゴ・ルビチ、ナノ・デ・へレスとは親戚筋です。
客席は老若男女が入り混じり、開演前から手前のバルも大賑わい。若手を育て、フラメンコを守っていくペーニャの意気込みが感じられました。カンタオール3人はそれぞれ声の質が違い、特にペドロとマヌエルは兄弟でも見た目も声も全く違いました。ペドロはすでにニーニョ・デ・ラ・フラグアという名前で17歳からプロとして活躍。数々の受賞歴のある一番の実力派。以前、へレスのフェスティバルでもソロリサイタルがありました。繊細な音色を持つ声ですが、力強さも持ち合わせた実力派。子供の頃からカンテの中で育ち、プロとして15年以上のキャリアを積んだ上で、今年初めてソロアルバムを出し、しかもその準備だけに一年以上もかけているというのがとても誠実な印象を受けました。昨今、アルバム制作も簡単にできるようになり、市場は玉石混合の状態になっています。フラメンコも、本当にクオリティのあるものをチョイスすることが必要な時代になってきたようです。

写真/FOTO : Copyright to JAVIER FERGO/ FESTIVAL DE JEREZ  (その他はクレジットに準ずる)
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