仕事柄、"フラメンコ"という言葉を出すと、「まだフラメンコを観たことない」と言われることが多々あります。手軽にスペインのトップアーティストの映像も観られる時代ですが、フラメンコの魅力を知っていただくには、やはり生で観ていただくのが一番。「じゃあ、スペインに行ってください。」という前に、今、日本で観ることのできる、フラメンコの魅力を伝えてくれるバイラオーラ(女性フラメンコダンサーを意味するスペイン語)、パロマ・ファントーバ(Paloma Fantova)をご紹介します。
今から5年前の2012年、フラメンコギタリスト、トマティート(Tomatito)のコンサートに行きました。場所はマドリードのサルスエラ劇場。そこにダンサーとして出演していたのがパロマ・ファントーバでした。トマティートのコンサートは、もちろんギターがメインですが、ダンサーがメンバーとして入ることがあります。ヒターノ(ジプシー)色の濃いワイルドなコンサートだけに、今まで参加していたダンサーは、アントニオ・カナーレス(Antonio Canales)の舞踊団で活躍してたフアン・デ・フアン(Juan de Juan)やトニー・ガトリフ(Tony Gatlif)の映画「ヴェルティージュ(Vertiges)」でも取り上げれたホセ・マジャ(Jose Maya)ら、男性ばかり。力強い演奏に対等に挑める迫力のある踊りのできる、サパテアードの強さ、スピード感や迫力が求められます。トマティートとは2005年の来日ツアー以来、何度かアテンドさせていただきましたが、コンパス感(フラメンコ独特のリズム)や "フラメンコ"であることに徹底的に厳しいアーティスト。そのトマティートのグループに女性ダンサーが加入というのは、ちょっとした驚きでした。
上の映像は、2015年のグラナダ国際音楽祭でのもの。フラメンコに限らず、スペインの中でも選りすぐりのミュージシャンが出演する権威ある音楽祭です。(早くパロマのバイレが観たい!という方は、2:30あたりで登場します。)見事に音楽の一部となっているサパテアードと体の動き。男性顔負けの鋭い切り込みが冴えています。
こんな大舞台をはじめ、スペイン国内にとどまらず、世界各地の名だたる劇場で踊ってきたパロマ・ファントーバが、現在(2017/5/8?8/26)、新宿三丁目伊勢丹会館内にあるタブラオ(フラメンコのショーが観られるレストラン)「ガルロチ」に出演中です。
フラメンコというと、薔薇や華やかな衣装の女性ダンサーという派手で明るいイメージが先行しがちですが、それは日本が今だに「フジヤマ、ゲイシャ」と称されるようなもの。フラメンコは、スペイン・アンダルシア地方に定住を始めたヒターノとアンダルシアの風土の中から生まれ、楽譜のない音楽ながら、無形文化遺産に指定されるほど、スペインの人々に受け継がれてきた民族音楽。その後、アントニオ・ガデスらのアーティスト達の手によって舞台芸術にまで高められてきた、人間の感情、喜怒哀楽や人生を語ることのできる心に響く芸術です。
今回のパロマの日本滞在は、約三ヶ月半の公演。「ガルロチ」のショーには一部と二部があり、一部はプログラムが決まっていて、二部の演目はその日ごとの即興になっています。今回も、パロマ以外の2人のダンサーは、一部のプログラムで踊る曲を決めていますが、パロマの踊る曲はプログラムには書いてありません。一部もその日に曲を決め、即興で10分近くを踊りきるのです。その日の気分で選んでいるだけに、踊りには真の感情が宿ります。本当は気分が暗いのに明るいアレグリアス(曲種名)を踊ったり、すごくハッピーな気分なのに、決められているからと悲しい歌詞のソレアを踊るのとは違い、「今日のパロマ」がそこにいます。その時、曲を聴いて感じたままに踊る彼女の踊りには、決まった振り付けはなく、たとえ同じ曲種であっても毎回違うのです。
パロマは4歳で踊りを始め、3年後の7歳ですでに下記のビデオのような踊りっぷりを大観衆の前で披露しています。この頃から"天才少女"と言われ、バイラオールのアントニオ・カナーレスに見出され、やがてマドリードに出てくることになります。
タブラオを再訪したこの日は、一部では「ソレア(Solea)」、二部では「アレグリアスーカンティーニャス(Alegrias-Cantinas)」の2曲を踊りました。「ソレア」はパロマが特に好きな曲種。フラメンコは本来、歌が原点。それだけに、最初はソレアのカンテ(歌)が続きます。パロマは椅子に座って歌手のアントニオとマイのカンテを全身に浴びているかのように聴きながら、ゆっくりと歌に寄り添うように踊り始めます。この"カンテをリスペクトする"というのも、フラメンコの醍醐味です。逆に歌手がメロディーを歌っている時に、バタバタと動き出して注目を集めるような動きはフラメンコ的にはNGです。同郷出身のマイ、そしてパートナーでもあるアントニオのカンテもパロマの即興に応え、互いの厚い信頼関係が感じられます。
「アレグリアス」は、パロマの出身地であるアンダルシアの港町カディス発祥の曲。シリアスなソレアとは違い、活気溢れる力強いサパテアード(靴音)が響きます。パロマのバイレを観ていると、男性ダンサーのトップ、ファルキートを思い出すというのは前回の記事でも書きました。しかし、決して誤解があってはならないのは、パロマはファルキートの真似をしているわけではないということです。彼女はヒターナ(ジプシー)である彼女自身のスタイルで踊り、彼女の中にあるものが、あの動きを生み出しているのです。
私自身、ファルキートのクラスに通っていたこともあり、生で踊るところはフィエスタでも舞台でも何度も観てきました。取材でリハーサルも見せてもらったこともあります。幼い頃の映像も観てきました。その記憶をもってパロマのバイレを改めて見ると、「あー、彼女はファルキートと同じ言語なんだな」と感じました。つまり、ヒターノのフラメンコのネイティブスピーカーなのです。
フラメンコを「言語」と例えるのは、以前、まさにファルキートへの取材の中で本人の口から聞いた言葉。同じフラメンコダンサーであっても、バレエ出身、舞踊学校出身、スタイルの違うファミリーの出身、と色々と出所は違います。まさに言語と一緒で、同じ日本語でも、各県によってアクセントの違いや訛り、方言があるのと同じです。パロマの語るフラメンコという言語は、ファルキートのそれと同じなのでしょう。ふとした体の使い方、顔の上げ方、腕の角度、観る者に何かを感じさせる不思議な力は、これぞフラメンコよ!といろんな人に見せたくなるような素晴らしいバイレです。
フラメンコも、時代とともに変化し、新しいスタイルや個性、トレンドがあります。それはもちろん、生きた芸術として素晴らしいことですし、表面的に与える印象は違っても一流のアーティストの踊りの根底には、ちゃんと本物のフラメンコが存在しています。その一方で、不偏なスタイルもあります。一曲一曲に魂を込め踊り抜く。本来のフラメンコのスタイルを観ることができるパロマのバイレには、思わず引き込まれる力がありました。以前。彼女がインタビューで、「私は"仕事"として踊っているのではなく、これが私の生き方なの。私からバイレをとったら、私じゃなくなる。」と語っていたことを裏付けるような、真実のバイレだからこそではないでしょうか。
日本に来て一ヶ月半。ここガルロチでの仕事は、日曜日以外毎日。「大変じゃない?」と訊くと、スペインでも毎日タブラオや劇場で踊っていたから、むしろ生活のリズムは変わっていないとのこと。日常生活も問題なく、時間のある時には観光もして、日本の滞在を気に入ってくれているようです。「今回、新しく気づいたことある?」と訊くと、「日本の女性が女の子らしい服装や髪型、仕草をしているのはいいわ!」と言っていました。「自分は幼い頃から仕事をして来て、そういう"女の子"の時代を過ごすことができなかったから憧れていたの。自分にはできなかったことだわ。」と。20代の"女子"にしては、硬派で貫禄があるように見える彼女にも、そういう一面がありました。
タブラオの公演も後半戦。6月23日から、オープニングのプレゼンテーションも新しいものに変わり、他の2人のダンサーは新しい曲を披露します。パロマはもちろん「前もって決めてないわよ。」
(ビデオは公演プログラム終了後のフィエスタでのブレリア。この場面のみ、撮影が許可されています。)
今や近寄りがたいまでに大スターになった、エバ・ジェルバブエナ(Eva Yerbabuena)やサラ・バラス(Sara Baras)といったトップバイラオーラ達も、20代の頃、この同じ場所(現在のガルロチ)で踊っていました。今のパロマ・ファントーバには、当時の彼女たちに通じる実力があります。彼女が魂を込めて踊る2曲を観ることで、バイレ・フラメンコ(フラメンコの踊り)のもつ魅力を感じられると思います。スペインへの航空券を買わなくても彼女が観られる今、日本の方に見逃して欲しくないアーティストです。
写真/FOTO :(C)タブラオ・ガルロチCopyright to Garlochi
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