今回はカンタオールをご紹介します。プロとしての初舞台はたったの6年前。しかし今年のビエナルでは4公演に登場。今や、ファミリア・ファルーコのカンテにはなくてはならない存在、ペドロ・エル・グラナイーノ(Pedro El Granaino)です。
「フラメンコを歌うには「声」が必要。その「声」は誰もがもって生まれるわけではない特別な声。それを彼は持っていたのよ。」と、記者会見後の会話の中でペドロの奥様が言いました。私も以前から、フラメンコのカンテは地声だと思っていました。話しているときの声と歌っているときの声は同じ。歌うときだけフラメンコ風に声をかすれさせたり、声色を変えているわけではないのです。持って生まれた「声」。その「声」を言葉で定義するのは難しいのですが、声質、高低の違いはあっても、フラメンコを歌える、フラメンコを感じさせる、ある種の「声」があるのです。
ペドロ・エレデイア "エル・グラナイーノ" の声はカマロン(42歳の若さで急逝し、今も現代フラメンコ界のアイコン的存在の歌手。Camaron de la Isla)系の声ですが、他の誰とも違う独特の味があります。熱く語りかけてくる、心の叫びのような響きがあります。グラナダ、サクロモンテのヒターノのファミリーに生まれたペドロ。幼い頃からフラメンコは身近にあり、小学校でも歌がうまいと評判で人前でもよく歌っていました。家族で小売業を営み、市場で物売りをして暮らしていたペドロは「フラメンコアーティストとして生きるなんて考えたこともなかった」そうです。
ところが、人生を大きく変える出来事が6年前に起きました。それはファルキート(Farruquito)からの電話。「ペドロ、僕に歌ってくれよ。一緒に仕事しないか?」仲間内でのフィエスタでしか歌ったことのなかったペドロにとっては、信じられない話。「ファルキートのような大スターに歌えるわけない。大体、フィエスタでしか歌ったことがなかったし、舞台のことも何も知らないんだから。」と断っていたら、今度はファルキートの弟、ファルーコ(El Farru)からのオファー。「マドリードで2ヶ月舞台をやるから、そこで歌っていろいろ覚えればいい。」
2007年のマドリードでの公演「AL NATURAL」は、ファルーコ(El Farru)、ホセ・マジャ(Jose Maya)、エル・バルーリョ(El Barullo)の若手3人のバイラオールを中心にした作品(左写真)。当時、ちょうど日本公演を企画中だったフアン・デ・フアンらとマドリードで話し合いをしていたので一緒に観に行ったのですが、その時、見たことのないカンタオールがいました。それもそのはず、それがペドロ・エル・グラナイーノのデビューだったのです。マドリードでの2ヶ月間の公演が終わり、また市場での仕事に戻ったものの、再度ファルキートから一緒に仕事をしようというオファーの電話。そこでようやくプロとして生きることを決心したそうです。
たった6年のキャリアとは思えない歌いっぷり。踊り手、しかもファルキート・ファミリーのようにフラメンコの中に生まれ、育ってきたアーティストが支持する実力。それは、ビエナルでのカンテソロのコンサートでも証明されました。
「一体どうやって勉強したんですか?」実はこの質問は一番最初にしたのです。そしてその答にたどり着くには、前述のペドロがプロとなったいきさつが必要でした。なぜなら、ペドロがカンテを学んだ「元」を提供したのはファルキートだったのです。
ファルキートから「これを聴くように」と渡されたCD。そこには、トマス・パボン(Tomas Pavon)、マヌエル・トーレス(Manuel Torres)、フアニート・モハマ(Juanito Mojama)、マノリート・デ・マリア(Manolito de Maria)、チョコラテ(El Chocolate)、ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Nina de los Peines)のカンテが入っていました。それをとにかく聴いて、そこからカンテを学んだのです。そしてその中でも、トマス・パボンが自分の一番のマエストロだと言います。「カンテを学ぶにあたって、皆それぞれ好きなマエストロの曲を何度も聞くと思うけど、僕の場合はトマス。なぜかトマスの歌はすっと自分の中に入ってきて、吸収することができたんだ。トマス・パボンに学ぶことによって、カンテフラメンコの世界への扉が開けた。」
「CDの制作予定はありますか?」という問いには、とびきりの笑顔でこう答えてくれたました。
「CDを作ると言うことは一生残るものだから、大切に考えてきたんだ。だから十分に準備ができていない状態で始めたくなかった。それが今、ようやくできるという自信もついて、周りのアーティスト達からも、録音するならいつでも協力するよと言ってくれている。今こそ、やるべきときが来たと思っているよ。」
ペドロのカンテは、その声のもつ魅力はもちろんですが、カンテへの敬意、そこに込める想いが伝わってきます。コンサート前日、ギターのフアン・レケーナ(Juan Requena)に各曲をそれぞれ自分がどう歌いたいかを伝える姿、リハーサルでの集中力、そして本番の熱いカンテ。30歳過ぎまで、普通の社会人として子供や家族を養ってきて、急に新しい世界に入るのは勇気のいることだったと思います。しかし、それまでの人生経験が今のペドロのカンテの源となっていることは言うまでもありません。フラメンコの世界では、既に大先輩の同世代のアーティスト達もペドロの真摯な姿勢や人柄から温かく迎えてくれ「いろんなことを学ぶたいから、よくアドバイスを求めるんだ。ギターのフアン・レケーナ、そして彼を通じて知り合ったホセ・バレンシアやアルカンヘルにもよくアドバイスしてもらっている。」とのこと。
フラメンコは生き方、フラメンコは人生。一朝一夕で結果の出るものでもないし、何が起きるか分からないサプライズもあるということを、ペドロの話を聞いていて改めて感じました。グラナダの市場に響いていた声は、フラメンコの舞台へと場を移しました。きっとこの「声」は、今のフラメンコの世界に必要だったのでここに呼ばれてきたのでしょう。これから長く聴いていきたいと思えるカンタオールです。(右写真:ビエナルでのソロコンサート終了後)
公演写真:Antonio Acedo