今年のビエナル公演「ヘレス」では、同地の代表として、カンタオールのエル・トルタ、ルイス・エル・サンボらが登場した。ブレリアで真骨頂を見せた彼らのアルテ(芸)の核心を、濃縮スープのようにまとめた3枚組が本作「アル・アイレ・デ・ヘレス(ヘレスの空気へ)」(2006)だ。
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラが代表的なフラメンコの生地だとは、ファンならずともご存知だろう。ただ、この小さな街の中でも、微妙な地域差は存在する。なかでも数多くのアーティストを輩出してきた、北部のサンティアーゴ地区と、南部のサン・ミゲール地区は歩いて20分程度しか離れていないのだが、本作を聞くと、両地区のテイストの違いが非常によく分かるのだ。
サン・ミゲール地区を代表するモネオ・ファミリーの一枚「ラ・プラスエラ・デ・ロス・モネオ」。一家の頭領マヌエル・モネオのカンテは、映画「フラメンコ」(1995年)の第5幕で唄ったマルティネーテが有名だ。はげ頭に三白眼、マフィアの頭領のようなコワモテ親父と、"最後の野性"マヌエル・アグヘータとの競演は、ファンの間では語り草となっている。その弟フアン・モネオ・ララが、冒頭にご紹介の「エル・トルタ」だ。天才肌のボヘミアン気質で知られ、「ヘロイン」というブレリアでは、麻薬に溺れ破滅寸前だった自分を唄った。地獄を見た男のカンテは、退廃と鬼気が自然に溶け合い、多くの熱狂的なファンに支えられている。
このように、サン・ミゲール地区出身のアーティストは、伝統的に痛みや苦しみを、ストレートに表現することが多い。前述のモネオ家の二人もそうだが、過去のアーティストを見ても、パケーラ・デ・ヘレスやアグヘータ・ビエホ(前述のアグヘータの父)など、お祭り騒ぎの代名詞のようなブレリアでも、かなりシリアスなトーンで唄う。
対照的に、軽妙洒脱なブレリアを聴かせるのは、サンティアーゴ出身のアーティストだ。サンボ家「アル・コンパス・デ・ロス・サンボ」と、モレーナ家「エン"カ"フェルナンド・デ・ラ・モレーナ」の2枚である。
サンボ家のエースは、これも冒頭でご紹介のルイス・エル・サンボ。代々続くサンティアーゴ街の入り口の魚屋が、アマチュア時代からの生業だった。モレーナ家は"コンパスの帝王"の称号を持ち、農場労働者やタクシー運転手から身を起こした苦労人、フェルナンド・デ・ラ・モレーナが家長である。
絶妙な押韻と遊び、血と民族の業を語る歌詞、千変万化の掛け声、渦潮のようなコンパス。ヒターノ(スペインのジプシー/ロマ)たちの、聖地ヘレスのフラメンコの奥義が、惜しげもなく開陳される。誰にもマネできない、虹色に輝くアルテを、ぜひ聴いてみてほしい。サンボ家の最後9曲目、13分32秒も及ぶ「ロス・サンボス・ポル・フィエスタ」は、まさにその典型だ。
こんな重量級のアルバムに太刀打ちできる酒は・・・と、あるスペインバーで悩んでいると、ママが「これなんかどう?」と、目の前にボトルを滑らせた。見たことのない酒である。中米カリブ諸国で蒸留し、スペインのヘレスで熟成されたラム「インヘニオ・マナカス」であった。昨年発表されたばかりの新商品という。
分厚いボディに、立ち昇る豊かな芳香。ソレラシステム(※)を使い、主としてアモンティジャードやオロロソのような、濃い味のシェリーの熟成に使ったアメリカン・オーク樽で寝かせているのだ。発売元のロマテ社は、高品質のシェリー作りで有名で、そのノウハウをラムに応用したのである。
グラスの中で揺れる褐色のラムを眺めていると、この御三家の中で唯一の知り合い、フェルナンド・デ・ラ・モレーナの顔が浮かんだ。モレーナ(褐色の肌の女)とはフェルナンドの母の名である。この間、彼の小さなペーニャを訪れたとき、なぜかノン・アルコールビールを二杯も奢ってくれたな。カルネ・コン・パタタ(鶏肉のジャガイモ煮込み)もアツアツでウマかったな・・・などと、秋の夜長にふける物思いは、何だかとりとめもない。
(※)樽を幾層にも積み重ねて行う、シェリー独特の熟成法。第3回のブイカ「エン・ミ・ピエル」の項に詳述。