<バイレ群舞総評>

菊地裕子
●今年の群舞部門の印象を一言で言うなら、やはりバラエティの多さだろうか。出場者も8組と多かったが、いずれも異なる作品ばかりで、そういう意味では観るのも選考するのも、非常に刺激に満ちていた。私が奨励賞に推したのは特A評価をしたラ・クラベ・デ・ソル。このところ、フラメンコ性を追求した土臭い群舞が目立ってきていたところに、バレエ・ナショナルもかくやの洗練された群舞で高いフラメンコ性を感じさせてくれた。こんなことがあるから群舞は面白い。逆に、辛口と取られても仕方ない書き方をしたものもあるが、そのように自分の価値観をはっきりさせないと、ものを書いても読む方を混乱させるだけだろうという判断からだ。私が王道と思うものは、実は偏狭かつ辺境のものかもしれない。そもそもフラメンコの群舞に、王道などというものがあるかどうか。それでも王道と書くのが、ものを書く人間としての私のスタンス。それは、そうあらまほしきことを書くことによって道を確実に拓くお手伝いをいくばかりかでもしたい、それだけのことなのだ。未来に向かって進む、全ての出演者と関係者の汗と涙に拍手を!

西脇美絵子
●今年は8組が出場。それぞれのグループが、さまざまな方向性で群舞に取り組んでおり、異なる個性を楽しませてもらった。フラメンコの群舞には、さまざまな実験、試み、創意工夫があってよいと私は考えるが、どんなに自由な発想で作られたものでも、フラメンコ本来の魅力、質感がそこに感じられることは極めて重要なことだ。そもそもフラメンコの群舞なのだからそんなことは当たり前の話なのだが、これがなかなか難しい。フラメンコ舞踊には極めて厳格な様式・スタイルがあり、なおかつそれは個人技を基調にしたものなので、安易にクリエイティブに加工しようとすると、フラメンコが形骸化してしまうのだ。このフラメンコ群舞の危うさに少しも足をとられることなく、フラメンコ舞踊の王道をゆく風格を示したのがラ・クラベ・デ・ソル。あまりに正攻法な攻め方に唸ったが、こういう群舞、実はこれまであまり見た記憶がない。王道にして新鮮だったのだ。フラメンコの群舞は、最近かなり活発に取り組まれるようになってはきたがまだまだ確立されていない段階。皆が試行錯誤しつつ駒をすすめている。そこに一つの方向性を指し示す作品だったのではないだろうか。

8.ラス ニーニャス カンパニー(ジプシー・アラビック・フラメンコ)

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8人による「ジプシー・アラビック・フラメンコ」。正直、私にはフラメンコの要素がほとんど感じられず、どう評価していいのかわからない。舞踊的にも未熟さが目立つ。パフォーマンスとしてのアイデア自体はわからなくはないが、惜しむらくは出演者が多くの点で力不足であり、何をしたいかが伝わってこなかった。まずは皆さん、フラメンコの身体を作り、リズムを身につけることを基本にしてください。(菊地裕子)

●アラブ音楽とフラメンコ舞踊のコラボレーション。こんなイメージで踊りたい、こんな世界を描きたい、そういう思いは多分明確にあったのだろうと察する。だが、残念ながらそれがこちらの胸に響いてこない。コラボレーションはどちらの世界のことも相当にわかっていなければ、身についていなければ、上手くいかない。個性の強いフラメンコが他ジャンとコラボする時はよけいにそうだ。いろんな意味でイメージだけが先行してしまった印象。(西脇美絵子)

9.花岡陽子S.D.カンパニー(ガロティン)

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9人によるガロティン。シルエットで始まった出だしは美しく、楽しげで良かったものの、明るくなってみると、踊りの動きは丁寧だがフラメンコ特有のリズムのノリが弱く、体操みたいに見えてしまう。また、合間に入ったコミカルな演技がややリアリティに欠け、中途半端な感じが残った。よく練習していることがわかるだけに残念。振付の最後、全員がかぶっていたハンチングを飛ばしてロングヘアが現れたのには、ちょっとニヤリ。カルメン・アマジャのような鉄火な踊りであれば、もっとインパクトが増しただろうと想像した。(菊地)

●ミュージカルのワンシーンを見ているかのような小作品。演劇的手法を多用しながら、楽しい作品に仕上げられていた。出演者もフラメンコとはまったく無縁な動きをよく演じていたと思う。だが、フラメンコの群舞としては、フラメンコのテイストが弱い。残念がらフラメンコの群舞を見ているという感じがしなかった。一般的なフラメンコ公演でならば、こういうものもあってもいいのかもしれないが。(西脇)

10.エストゥディオ・アレグリアス(ソレア・ポル・ブレリア)

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5人によるソレア・ポル・ブレリア。カンテを損なわない、趣味の良さを感じさせるステージング。舞踊的なレベルは特筆するほどではないが、自然で無理がない。派手さはなくとも、非常に中身を感じさせて引きつけられた。全員で醸し出すハーモニーが心地よい。出演者のレベルで最上のものを引き出したステージだと思った。このままの方向性で精進すれば、きっと感動的な群舞ができあがると確信します!(菊地)

●フラメンコ舞踊本来のあり方をそのまま群舞に持ち込んだ作品。一人ひとりがオーソドックスにフラメンコを踊りながら、ステージングもよく考えられており群舞としての統制美への配慮も感じられた。なかなかの意欲作だと思う。ただ、4人という人数の群舞は、どうしても一人ひとりの技量に出来が大きく左右されてしまう。その点は、まだまだこれから頑張っていってほしい。(西脇)


11.スタジオ・トルニージョ(カンティーニャス)

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3人によるバタ・デ・コーラのカンティーニャス。水準以上の踊り手が揃っている印象で、曲のイメージにも品がある。だが、ちょっときれいにまとめすぎたかな。たった3人なのだから、全然違う得意技を少しずつ披露するとか、もっと個性を発揮してもらいたかった。そうそう、曲の途中で1人が転んだけれど、その後、全くゆるまずに踊ったことでマイナスは帳消しになったと思う。何が起きるかわからないのが本番。凛と胸を張って踊ったあなたに、客席は心で拍手していましたよ![A](菊地)

●実力ある3人の踊り手がバタ・デ・コーラで挑んだ群舞。出演者一人ひとりの魅力が舞台から溢れた。カンティーニャらしい華やぎがあり、スッキリした構成でよくまとまっていた。相対論で言えば、かなりのレベルだ。ただ、スタジオ・トルニ―ジョならではの緻密さ、強烈な世界観、徹底した完成度の高さは今回あまり感じられなかった。ここ何回か圧倒的なトルニージョの群舞を見て来たので、ちょっと物足りないと感じたのは私の思いこみが強すぎたせいかもしれない。(西脇)


20.ラ・クラベ・デ・ソル(ファルーカ)

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9人によるファルーカ。非常に高い美意識に貫かれた作品。女性らしい揃いの衣装を着て、男振りもしないのだけど、振付・構成のそこかしこにファルーカらしさがあふれている。踊り手たちはまるでファルーカを踊る1人の踊り手の細胞の一つひとつだった。一糸乱れぬ動きというのではなく、振付に、身体に、所作に、リズムが息づいていて、ああ、これがバレエ・フラメンコの美学だと思った。素晴らしい![特A](菊地)

●派手なことや目新しいことは何もやっていないのだが、フラメンコ舞踊の様式、押えるべき守られるべきルールが大切に織り込まれてムイ・フラメンコ。女性たちがスカートの衣装(黒とベージュのツートンの衣装がまた素敵!)に身を包んでファルーカを踊るのだが、なんと皆男前な女たちであることか。ファルーカという曲種の特徴、美学がみごとに表現されていた。出場者一人一人の実力もあり、それぞれがフラメンコを丁寧に踊りつつ、全体としての統制美もあり、硬質なエネルギーが舞台の上で炸裂。極めて正攻法なアプローチで体現したその完成度の高さに、フラメンコ群舞の王道とも言うべき風格を感じた。私の一票もこの作品に投じたが、選考委員の過半数を超える支持を集め、みごとに奨励賞受賞。おめでとう!(西脇)

21.ラス・マジョーレス(ティエント)

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6人によるティエント。年齢のことを言ってはいけないかもしれないが、御年65歳以上のお姐さまたちのフラメンコは、ただどっしりとそこにいて、マルカールするだけで、感じている何かを伝えてくる。観ているほうは、人生やら喜怒哀楽やら踊れる幸せやらフラメンコの味やら、もう勝手に感じて開放されれば良いのである。マルカールしていれば人生は過ぎて行く。うん、フラメンコってそうだよね。ありがとう、マジョーレス!(菊地)

●全員が還暦以上というメンバーで挑んだ群舞。本来であればアニフェリアに出場するタイプの演技だったと思うが、彼女たちにとってはなぜ新人公演への挑戦となったのか、ぜひ聞いてみたい気がする。難しいことをせず無理のない振付を、全員が力いっぱい踊っていた。中でもさまざまなところで活躍している鈴木高子さんの存在感はピカイチで、アフィシオナーダとしていつも新鮮な感覚でフラメンコに挑戦し続ける彼女の心意気はまさしくオレ!だ。話題賞受賞作品となった。(西脇)

22.鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコスタジオ(マルティネーテ・イ・シギリージャ)

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10人によるマルティネーテ・イ・シギリージャ。出演者の舞踊レベルは高い。鍛えられた身体で表現力も持っている。リズム感もある。それでも、というか、それだけに、私にはこれは高く評価できない。カンテとのアンサンブルのあり方と身体表現のカテゴリーの認識に、あまりにも自分との大きな違いを感じるからだ。カンテとのアンサンブルについては、マヌエル・デ・ラ・マレーナのマルティネーテで、おそらくジュンケの代わりに全員が足を踏み鳴らした。その音のインパクトは、ジュンケの醸し出す空気感とは別物で、カンテが全く聞こえなくなるほどだった。これは私には堪え難い苦痛だった。身体表現については、たとえばつらい、悲しい、怒りなどを表現する時、その人は肚の底から湧いてくる感情を膨らまし、かつ抑制しながら踊るというのが私の認識だが、出演者たちの多くにそれは感じられず、感情のパントマイムに近い印象を受けた。それは、内実がないというのではなく、あるにはあるものの、それ以上の感情を形で吐き出してしまうからだろうと想像する。あなた方の師匠は決してそのようには踊らない。肚で泣き、肚で笑い、肚で怒るのが人間というもの。それがほとばしるのがカンテであり、踊りだが、すべての感情を出し切ってしまわないのがフラメンコの深さである、というのが私の認識です。時に踊りを忘れて、本物の生のカンテに涙する経験を積んでください。(菊地)

●ドラマティックな構成・振付を出場者全員がパワフルに踊った。その一丸となったパワーは、シギリージャの凄みをよく表していたと思う。見応えのある作品で群舞としての完成度の高さは、クラベ・デ・ソルと並ぶレベルだったと思う。鍵田・佐藤スタジオの振付力の高さは皆が認めるところと思うが、今回は鍵田・佐藤スタジオ的振付の手法があまりに盛りだくさん、しかも群舞を踊ることをよく訓練されている出場者たちのスキのない統制美は、どこかマスゲームを見ているようで、やり過ぎ感を感じた。静寂とのコントラスト、抑制された迫力が欲しかった。私はフラメンコの群舞といえども全体の統制美はその出来栄えを決める重要な要素と考える者である。鍵田・佐藤スタジオが一貫して体現してきた統制美の威力は重々認めてもいる。しかしてなお、統制美に埋没しない個としての発露を、単に鍛えられた肉体ではなくその精神の揺らぎをフラメンコの群舞には求めたい。演技者の皆さん!振付にスポイルされない個を作ってください。群舞を踊る時も一人ひとりが自身のフラメンコと向き合ってください。(西脇)

23.島村香フラメンコ教室(ガロティン)

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4人によるガロティン。全員の赤いコルドベスが印象的。一瞥してそれほど突出して上手な人がいるわけではないが、自分たちにできることを等身大に丁寧に踊り、好感度大。一番心地よく感じたのは、ステージから伝わってくる温かさだった。踊ることの喜び、共演者への信頼、曲への愛情が、その温かさを生み出したのだろうと思う。ホッとできる作品でした。オレ!(菊地)

●明るく伸びやかに4人仲好くガロティンを踊っているその空気感が好印象。なんともほほえましくて心がホカホカした。ただ、緊張気味だったのか、全体に硬さが残ったまま踊っていた。もっと弾けちゃったら、より楽しいガロティンになったでしょう。特にこったことはしていないのだが、揃うところはそろい、4人が醸し出す空気感もバランスがよく、群舞としての均整のとれた作品だった。(西脇)

 

3つの壁の乗り越え方

【フラメンコに行き詰まりを感じている方へ】

フラメンコ(カンテ/踊り/ギター/他)が難しい...
先行きが見えない...
壁を感じている...