自分の恥を晒すようで気が引けるのですが。。。
先日、まないたの上の鯉だっけ?あれ?鯛だっけ?と、とんちんかんな疑問がふと頭をよぎったので、いやいや鯉だろー。。と思いつつも、自分を信用できず調べてみた。


鯉だった。よかった。。。
【自分の力ではどうすることもできず、相手のなすがままになるしかない状態。また、覚悟を決めて、見苦しく騒いだりしないことのたとえ。】
と書いてあった。
美しい。
侍みたいだ、と思った。
侍に会ったことないけど、たぶんそうだ。
鯉にサムライ精神があるとは思えないけれども、影響を受けやすい私は鯉を見習いたいとさえ思ってしまった。
覚悟を決めるということは、なかなかできそうでできない。
きっとまないたの上にいる鯉は、もう美学の塊だ。
私はどうだろう。
リハで心が散らかってしまっても、
絶対に本番始まる時には、私の鯉スイッチを押さなきゃいけない。
お腹が痛くても、腰が痛くても。
客席にどんな人が座っていても。
前にテレビで見たのだけれど、
緊張の反対はリラックスではなくて、『集中』らしい。
何かの研究者の人が、あがり症を克服したい人にアドバイスしていて、
私も緊張しいなので、なんだか他人事ではないような気がして聞き入ってしまった。
妙に納得した。
納得というか、目からウロコだった。
つまり、きっと、その先生が言ってるのは、私の言葉で言うところの、鯉スイッチ押しなさいよ、ということだろう。
私の今年の目標のひとつに、『シギリージャを勉強する』というのがあって、昨日のライブでシギリージャを踊った。
リハは、緊張で地に足がつかない。
走りすぎて床に足をつく暇がない。
もしかしたら10秒くらいは浮いてたかもしれない。。。
直前になっても、いまいち腹をくくれずに、やっぱり違う曲に変えようかなと、もやもやぐずぐずしていた。
美しい鯉とは程遠い。
結局、予定通りにシギリージャは踊ったのだけれども。
撃沈した。
ただ、やっぱり大事なのは、美しく潔い鯉としてそこに臨んだのか、あーだこーだと言い訳を並べて中途半端に死んだのか、きっとそこだ。
残念ながら昨日の私は前者ではなかったように思う。
鯉スイッチが入るのが遅かった。
なんとか共演者のみなさんの冗談やら雑談やらでリラックスさせてもらったものの、最後の集中スイッチは自分でしか押せない。
そこはビシッといい女でなければならないのだと思う。
やるだけやったと思えるなら、ジタバタしない。
あと1週間あったら、あと1カ月あったら。。
もしかしたらもっと準備できたかもしれないけれど。
腹をくくらない鯉には、あと3年あったとしても、なんの感動も起こせないのだと思う。
結局一番大事なのは、まな板の上に乗った時の在り方なんだと学んだ。
4/1esperanza
【写真1】鯉スイッチを持っていたとしても出してはくれない後ろ姿
【写真2】ジタバタする私を支えてくれたみなさんとわたし

アクースティカ倶楽部

アクースティカ倶楽部イメージ
アクースティカ倶楽部は、仲間とともにフラメンコの「楽しさ」を追求する、フラメンコ好きのためのコミュニティです。