本コーナー6年ぶりの今回は、邦人カンテアルバムとして、衝撃的なレベルのデビュー作「Akari-Ciando el Cante」(2019年12月25日発売)を発表したカンタオーラ、山田あかりさんのロングインタビューです。前・後編の2回に分けてお届けします。
30代からカンテを始めた山田あかりさんは、2008年、日本フラメンコ協会主催の新人公演で奨励賞(カンテ部門)を獲得。その後10年以上の時を経て、念願のヘレス録音の新譜となったのです。
現在、山田さんは太平洋に面した港町、高知県香南市で中学生の息子さんと二人暮らし。スペインどころか、一番近い大都市の神戸や大阪まで200キロ近く離れた場所に住みながら、一体どのようにカンテの研鑽を積んだのでしょうか。本作のプロデューサーで師匠のカンタオール、ダビ・ラゴスのレッスン法とは?
「絶対ほめなかったんですよ、私の歌を」
1973年ヘレス生まれ、現在40歳半ばのダビ・ラゴスは、昨年サードアルバム「オディエルノ」を発表し、バイレ界の鬼才イスラエル・ガルバンの最新作「恋は魔術師」の専任カンテも担当する、トップカンタオールの一人。そんなスターとの出会いは、地元高知の隣県徳島でのある公演が契機だった。
「一番最初は小島章司先生(2月にヘレスで「Lorca×Bach」を公演した80代の現役フラメンコ舞踊家)が、徳島市のイベントにダビとチクエロといった錚々たるメンバーと来た時です。小島先生は何度か私を新人公演で見て頂いて、『この子はちょっとカマロンみたいな声なんだよ』って言ってくださったんですよ。でも発音とか色々、小島先生が聴かれたら気になる所があったんでしょう。だから『教えてあげてくれよ』とダビに言ってくれたんです。それでダビにホールのロビーで最初のレッスンを受けたんです」
――ホールのロビーで?
「はい(笑)。2014年に。そのダビのレッスンが私には衝撃的だったんですよ。
それまで当然スペイン人には習ってました。そこではだいたい、私がブレリアとか歌うと、みんな面白がって『日本人が唄ってる、OLE!』って言われちゃうことが多かったんです。あたしは習いたいから必死なんですけど。でも、ダビのレッスンは、初めてガルガンタ(喉)の使い方のテクニカ(技術)を、細かく教えてくれたんです。そして、絶対ほめなかったんですよ、私の歌を」
――スペイン人では珍しいですね。
「もういきなり厳しい。まずソレアを教えてもらった時に『(歌詞の)意味が分かってないだろ』とか。タンゴの時は『ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの歌唱法で、ホタ(J)の発音を入れなければフラメンコにならない』などと、細かいことを指摘されます。あとは『ゴルペ・デ・ボス(強すぎる声)』です。今もずっと言われるんですが、強くしすぎちゃう。『そう聴こえるかもしれないけど、そんなに強く出してない』と、全部指摘されます。エスカラ(音程)、メロディア・デ・エスカラ(メロディ上の音程)、これはこの音だ、と細かくきっちり教えてくれたんですよ。そんなレッスンは初めてでした」
ダビ・ラゴスの本音の指導に感銘を受けた山田さんは、その後も連絡を取り合い、スペインと高知をつなぐ遠距離インターネットレッスンがほどなくスタートする。パソコンのメールやスカイプ(ビデオ通話アプリ)など幾つかの手段を試した今は、メッセージアプリ「ワッツアップ(WhatsApp)」でのやり取りへと落ち着いた。「ライン(LINE)」とよく似た機能だが、欧米での人気が高く、スペイン人はほとんどがこれを使っているためだ。
「自分が歌った音源をワッツアップでダビに送るんです。それをダビが直して送り返してくれるんです」
――どうやって直すんですか?
「(送ったものの)上から録音するんです。二重録音して、今はワッツアップで簡単にできるんですよ」
そこでミネーラの修正音源の一部を、レッスン例としてインタビュー中に聞かせてくれた。山田さんの歌う一節一節に「ビエン」「ビエン」とダビの声が小刻みにかぶさるのが、非常に印象的だ。
――ダビの指示がすごく細かいですね。
「そうなんですよ! めちゃめちゃ細かいんです」
"クイダード・コン・ゴルペ・デ・ボス(Cuidado con golpe de voz)"と、録音の中からダビの声が聴こえてくる。
――「ゴルペ・デ・ボスに気をつけて」と言われると、山田さんはどう直すのですか?
「やさしく(声を)出さないといけないんでしょうけど......。だから今回のレコーディングも、振り返ってみると、各パートを別々に録音していたんですけど...」
――あの録音は、別録りをつないでいるんですか?
「そうなんですよ」
CDでは"デサフィナード"は絶対にダメ
何度も繰り返し聴きながら、それが別録りだとは筆者は全く気付かなかった。勢いに乗ったナチュラルな演唱の数々に「これは一発録りだろう」と、まるで逆を想像していたほど。ライヴ感や即興性を尊ぶフラメンコでは、実際そのパターンも多いのだが......。
「つないであの仕上がりになるのは、ホセ・アモサの腕と技術ですね。ホセは2010年のラテン・グラミーに、ホセ・メルセーのアルバム『ルイド』で、ベスト・サウンド・エンジニアとしてノミネートされているんです。
実際は全部別録りです。先にギターは録ってしまって、そこに私とダビが6時間、二人でスタジオにこもるんです。そんな日がほとんど15日間続きました」(収録は2019年8月)
――ギタリストが歌伴奏をその場でしていないんですか?
「ギター録音時に私はその場にいます。歌の長さが大事なので、今日はそれを知らせるだけでいい、本録りじゃない、とは言われるんですね。初日の録りのアレグリアスだけ、私が着く前に録ってありました。ホセ・アモサはその時初めて紹介されました。
ホセが録音ソフトの前で操作し、私がブースに入って録り始めます。アレグリアスはネットレッスンをずっとやってきたし、発表会やライヴでもなるべくそのレトラを歌ってきたので、自信があったというか、そんなに問題なくスムーズに流れるのでは、一番最初の録りがアレグリアスでよかったと思っていたんです。そうしたら、もう全部ダメ出しでした(笑)」
――ダメ出しは誰が?
「ダビです。それをホセが見ていて、『その日は本録りじゃなくて練習だから』と。ダビ自身も録音ソフトを使ってピッチを変えたり、動かしたり操作ができるんです。だから二人でスタジオにこもれたんですね。一発録りはフラメンコの前に経験していましたが、別々に録っての緻密な作業は初めてでした。『明日アレグリアス本録りをやるから、今日注意した所を今晩練習しときなさい』と。その怒り方が、今まで見たことのないような目をするんですよ。
『あかり、エスペクタクロ(ステージ公演)ではデサフィナード(音程を外すこと)は少々はOKだ。CDは絶対に、絶対にダメだ』と言われました。でも私には音を外しても、それがどこかわからない。最後には私があんまりわからないから、『チッ』とか言われて(笑)。目がギロッて。録音スタジオの片隅に、音が確認できるよう古いギターが置いてあるんです。そのギターでダビ自身が『あかりの出している音はこの音、僕が言っているのはこの音』と弾いてくれて」
――やはり耳がいいんですね。
「すごいんですよ。着いたその日から、私は撃沈で打ちひしがれてしまったんですがやらなきゃと思って、一生懸命練習しました」
――スタジオはどこで?
「ダビの家の一角のスタジオです。家の隣にスタジオが立っている。私のための部屋も、自分達が住んでいるピソの一番上の一角を貸してくれてたんですよ」
――合宿みたいな感じですね。
「そうです。朝起きてメルカド(市場)行って朝ごはん買ってきてちょっと自炊して、練習して、録音して、それの繰り返し。それしかしていないんです。だから観光は二カ所だけ。アルカサルとサンティアゴ教会は近かったので。でもそこまで集中できたからよかったとは思いますけど。着いてその日にいきなり練習でしたから。まずメルチョーラと二人で空港に迎えにきてくれたんです」
――奥さんはメルチョーラ・オルテガ(歌い手)なんですね。
「本名はインマというらしくて、インマインマと呼ばれてましたけど。メルチョーラのカンテは昔よく聴いていた『ドゥエンデ・イ・コンパス・ポル・タンゴス』に録音されていて、声は知っていたんですけど、すごく可愛い人なんです。逆に精神的にはメルチョーラがすごく助けてくれた。同じ建物に一緒に住んでいるような状態じゃないですか、階は違っても。
だから『あかり大丈夫か』って声掛けてくれて。思わずメルチョーラの顔を見るとダビの厳しいのがつらくて、涙出ちゃうんですよ。で、『大丈夫じゃない』って答えると、『今日何してる? ちょっと話しに行こうか』って言って、コーヒー飲みながら話したりしてくれて。そんな風な流れで録音が進んでいきました」
※後編に続きます