flamenco.jpgひとつではないフラメンコの魅力
スペイン旅行につきものと言えば、タブラオ(フラメンコ専門のライブハウス)での"本場のフラメンコ"鑑賞。スペイン旅行した多くの人は、これにて「フラメンコ見たことある!」状態になるわけですが...、ちょっと待って下さい! それは氷山の一角。世界無形文化遺産にまで指定されたフラメンコは、あのタブラオのフラメンコだけではないのです。

例えば、同じく世界遺産に登録された和食。外国人観光客が日本に来て、一度天ぷら定食を食べただけで「和食、シッテマス」「デモ揚物ハ苦手ナノデ、アマリ好キデハアリマセン」と言っていると「?」と思いませんか?「他にも美味しいものがありますよ!」と教えてあげたくなります。寿司、麺類、鍋物、高級割烹からB級グルメ。そして各人の好みも十人十色なだけに、美味しいと感じるものも違ってくるでしょう。
 
 フラメンコも同様。色んな味、色があります。あなた好みのフラメンコに出会っていただくためにも、ある程度一通り味わっていただきたいものです。「じゃあ、またスペインに行けって!?」もちろんそれもいいのですが、次の長期休暇までお預けになってしまうでしょう。そこで、1時間40分ほどでそれを叶えてくれそうな優秀な映画を二本ご紹介します。

サウラ監督の究極の映像美がフラメンコの本質を映し出す
 その名もずばり「フラメンコ」(1996)。そしてもう一本は「フラメンコ・フラメンコ」(2010)。これなら検索するのに「あれ?タイトルなんだったっけ?」と迷う余地もありませんね。「"フラメンコ"ください!」でOKです。

saula.jpg監督は「血の婚礼(1981)」「カルメン(1983)」「恋は魔術師(1986)」というフラメンコ三部作を、故アントニオ・ガデス(フラメンコ舞踊手)とのコンビで撮ったカルロス・サウラ氏。さすがフラメンコのもつドラマ性を十分に理解した監督だけあって、ストーリーなどなくとも、フラメンコの本質に迫る素晴らしい作品に仕上がっています。まるでライブを観ているかのように、豪華なアーティスト陣が次々と登場します。

フラメンコを知ることは、本物のフラメンコを観て、聞いて、感じること。いいか悪いかの評価は他人がするものではありません。しかし、自分自身のフラメンコを観る目を養うためには、まず本物を観ないことには始まりません。それを叶えてくれるのがこの作品です。このコーナーでは、作品をご覧になるにあたっての豆知識的なことを補足させていただきます。

フラメンコは"人"の芸術。新旧のスターが総出演!

まず今回は、映画「フラメンコ」についてお話ししましょう。この作品が公開されたのは1995年(日本公開は1996年)で、撮影されたのは約20年前ということになります。しかし、芸術は不変。時の流れを感じるどころか、むしろ新鮮にすら目に映ります。
 
スペインでは、前述のタブラオ以外に、劇場、野外ステージやペーニャ(愛好家達がグループを作って運営するフラメンコを楽しむサロン)などでフラメンコが楽しまれています。公演は、その日 "何" をやるかよりも "誰" がやるかの方が重要。それによって客足も変わります。フラメンコは『人』が芸術なのです。

では、この映画に登場する『人』達はというと、現代のフラメンコを語る上で欠かせないアーティスト達が目白押し。

日本では、スペインのフラメンコアーティストはあまり知られていないので、初めて聞く名前ばかりかもしれませんが、ご安心下さい。ここに出ているアーティストは、正真正銘、本物のフラメンコ達。スペイン人=フラメンコと称しているだけで本場の人は誰も知らないとか、ただ上手にダンスを踊って最後に「オレ!」と言って「はい、これフラメンコです」というような"オレ!オレ!詐欺"の類いではありません。

内容的にも、70種類以上あると言われる曲種の中から代表的な14曲種をカバー。まずこの映画を見ることが、フラメンコを知るための一歩となるでしょう。
 
また近年、日本の歌舞伎界同様、スペインのフラメンコ界でも大スターの逝去が相次ぎました。この映画のなんと20幕中12幕に、今は亡きスターの姿があります。実はこの原稿を書き上げた後にも、パルマ(手拍子)で第14幕に出演していたエレクトリコ、そして大晦日には第一幕で歌っているエル・トルタの訃報が入りました

フラメンコは、人がアルテ=芸術。そのアルテは、亡くなったら終わりというものではなく、名唱、名演はいつまでも色褪せることはありません。その人となりも含め、人々の心に残り、聴き継がれ、語り継がれていくものです。現在活躍しているアーティスト達が何から学んできたかと言えば、亡き先人達の演奏や踊りからなのです。このようにオリジナルから学ぶことで、フラメンコは本来のエッセンスを失わずに守られてきたのだと思います。

この映画は比較的新しいものですが、もう既に、ライブで観ることはできなくなったアーティストたちのアルテにふれることができる、フラメンコファンにとっての貴重なアーカイブとしての意味もでてきました。オメナヘ(オマージュ)の気持ちも込めて、ここに他界されたアーティストの方々のお名前を列記させていただきます。

f-マリオ2 (2).jpgf-フェルナンダ2 (2).jpg第1幕の一番最初に歌いだす迫力のカンテ(歌)のパケーラ・デ・ヘレス、4人目の歌手、エル・トルタとギタリストのモライート(11幕にも登場)、第6幕のマリオ・マジャ(踊り・写真左)、第7幕でファンダンゴ・デ・ウエルバを歌う2人のカンタオール(歌手)パコ・トロンホとアントニオ・トスカーノ、第8幕で歌う"ソレアの女王"と言われたフェルナンダ・デ・ウトレラ(写真右)、第10幕のエンリケ・モレンテ(歌)、第12幕のファルーコ(踊り)とチョコラーテ(歌)、第14幕のマルティン・レブエロ、エル・エレクトリコ(パルマ)、第15幕のフアン・パリージャ(ギター)、第17幕のチャノ・ロバート(歌)、第18幕のラモン・デ・アルヘシラス(セカンド・ギター)、そして最後20幕のマンサニータ(ギターと歌)です。いずれも決して忘れられることない大切なアーティスト達です。(写真左上:マリオ・マジャ/右:フェルナンダ・デ・ウトレラ)

さて、この映画の見どころはというと...「全部」です。困りました。一幕ずつ、細かく中継を入れたいところですが、百聞は一見に如かず。作品を観ることに時間を充てていただきたいので、できるだけ手短に、私の独断と偏見も入ってしまうかも知れませんが、鑑賞前の予備知識を述べさせていただきます。

全体を通して注目すべき点は、出演アーティストの素晴らしさや内容にプラスして、光と影のもつ魔力を活かしたドラマティックな映像の美しさです。撮影の舞台となったのは、スペイン・アンダルシア地方のセビージャにある旧コルドバ駅。現在は、プラザ・デ・アルマスという名前のショッピングセンターになっているので自由に出入りすることができます。建物に入って上を見上げると、映画の冒頭とエンディングに映しだされる天井部分を目にすることができます。

各演目の解説
まずはプロローグ。出演者たちが巨大なスタジオセットの中を行き交います。老若男女、見た目も服装も様々です。そう、フラメンコはスタジオや舞台だけでのものではないし、それぞれのスタンスや環境の中で関わっていける、生活に近い芸術でもあるのです。そしてどんな人にも扉は開かれているのです。
 
f-パケーラ (2).jpg 第1幕は"ヘレスのブレリア"。ヘレスとはアンダルシア地方にある、セビージャ、グラナダと並びフラメンコのメッカと称されるヘレス・デ・ラ・フロンテーラという名の町。ドライシェリーの産地でもあります。フラメンコ界では、ヘレスと言えばブレリア・デ・ヘレス=ヘレスのブレリア。ブレリアとはこの場面で流れている音楽です。聴いていると、思わずそのスイングにつられて身体が動きだしてしまうようなノリの曲です。まず最初に、大迫力で歌いだす恰幅の良い女性はパケーラ・デ・ヘレス。彼女のブレリアには誰もが圧倒されます。阿吽の呼吸で歌が始まり、踊りを踊るべき者がすっと前に出てくるというフラメンコの即興性が最も求められるのもこのブレリア。まるで、暗黙のルール、いや、彼らの身体の中にだけ刻まれている、共通のコードでもあるかのようです。またヘレスのブレリアは「一枚の石畳の上で踊れるのが粋」とも言われています。

f−メルチェ2 (2).jpg第2幕の「グアヒーラ」は、メルチェ・エスメラルダの美しいシルエットから始まります(写真左)。「これもフラメンコの曲?」と思われるかも知れませんが、そうです。フラメンコの曲種の中には、大航海時代に南米大陸との行き来によってもたらされた影響を受けた曲種(カンテ・デ・イダス・イ・ブエルタス)がいくつかあるのです。そのひとつ、この「グアヒーラ」の起源はキューバ民謡。歌詞にもその特徴が表れています。ちなみにここでは、美しいキューバ女性に求婚する内容です。
 
もうひとつ、この映画全体を通して注目すると面白いのが、衣装。それぞれの曲のスタイル、歌われる場面にふさわしい衣装が使われています。但し、ホアキン・コルテスの場面は少しだけ例外です。(気になる方は第4幕へ直行!)例えばこの「グアヒーラ」は、まさに白の衣装にアバニコ(扇)というのが定番です。最近は、流行の衣装でどんな曲も踊られる傾向があるので、写真を見ただけではどの曲を踊っているのか予想できなくなりました。本来は、踊り手の衣装で曲種が大体分かるほど、曲に合った衣装を選んで身に着けて踊り、それが曲に対するレスペクトの現れでもありました。
 
f−マチルデ2 (2).jpg第3幕第17幕は「アレグリアス」です。かたやギターとラップ。もう一方はアカデミアでのレッスンの場面と趣は全く違いますが、第3幕の方でのマノロ・サンルーカルのギターソロ演奏部分を聴くと、第17幕の音楽との共通点がよく分かります。第17幕では、バタ・デ・コーラという裾が長い衣装で、女性バイラオーラ達がマエストラのマティルデ・コラルの指導の元に踊っています。次にマティルデが生徒達に囲まれて踊ります(写真左)。カンテ(歌)のランカピーノとチャノ・ロバートは2人ともカディス県の出身。このアレグリアスという曲が生まれた地元です。曲のもつニュアンスや魂は彼らの身体の中に完璧に宿っているというわけです。加えて、フラメンコ芸術を共に育んできたマティルデに対する愛情たっぷり注がれ、素晴らしい場面となっています。マティルデ・コラルはバイレの大御所。姿勢、腕、指先の動きから足の踏み出し位置まで、全てが最高のお手本です。もうひとつのポイントは、マティルデの踊っているスペース。こんな小さな場所であっても、一曲を踊りきることができるのです。本来、人々が集まる宴の席から生まれたフラメンコならではのことでしょう。

第4幕は、ホアキン・コルテスによる「ファルーカ」。アルマーニの衣装やセクシーな"フラメンコダンサー"として日本でも有名になりました。日本ではフラメンコを踊る人は女性が多いようですが、本場スペインのプロの世界では男性舞踊手も同数くらいいるように思います。スペインでは、子供の頃から学校の授業の後に、学校の補習に引っかからなければ、各自で習い事に通わせます。音楽、スポーツ、芸術...その中には舞踊もあるので、男性の舞踊手も早くから育つチャンスがあるのでしょう。また、家族でフラメンコに関わっていれば、生まれた時から、いえお腹の中に居る時からフラメンコのリズムを聴いているわけですから、外に習いに行かなくとも自然にフラメンコを身につけていくこともできます。そうなると10歳前後で、もういっぱしのオトコ。ちょいワルキッズなカッコ良さを醸し出すようになっています。きっとホアキン・コルテスも少年時代からさぞかしモテモテだったことでしょう。熱愛騒動話題になったスーパーモデルとの出会いは96年末と言われているので、この撮影よりも後ですが、なるほど上半身裸という出で立ちにも違和感を感じさせない、野性的な魅力があります。
 
野生と言えば、次の第5幕のカンタオール達。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラのヒターノ(ジプシー)であるマヌエル・モネオとマヌエル・アグヘタ(写真左)。飼いならされていない野生の魂の叫びのような、アグヘタのカンテ。フラメンコの真髄ここにあり!という感じです。歌われているマルティネーテという曲種は、この場面のようにギター伴奏はなく歌のみという最も原始的なスタイルで歌われます。

この「マルティネーテ」に踊りをつけたのが続く第6幕。サパテアード(靴音)でマルティネーテのもつリズムが刻まれ続けます。中央で踊るマリオ・マジャは、バイラオーラのベレン・マジャ(第19幕に登場)の父。アントニオ・ガデスに並ぶ、フラメンコを舞台芸術として高めた先駆者です。この場面には、いまや大スターのイスラエル・ガルバン(右側)の姿もあります。左側は、マルコ・バルガス。マリオ・マジャ亡き後、彼の背中をみて育ったアーティスト達が現代フラメンコを支えています。
 
 第7幕は「ファンダンゴ・デ・ウエルバ」。スペイン語で「デ(de)・〜」というのは、英語の「of」。つまり、"何処何処の""誰々の"という意味です。ウエルバはセビージャに隣接する県で、最近よく見かけるようになったイベリコ豚さん達の故郷です。山海の幸に恵まれたウエルバのもうひとつの名物は、この「ウエルバのファンダンゴ」。各村が独自のスタイルをもち、名手はそれを見事に歌い分けます。土地だけではなく、歌手によってもスタイルがあり、それを次々と歌いつないでいく様はまさにお家芸。この場面のように人々が集まって共に歌いながら守られてきた曲種です。

 第8幕、第11幕、第12幕と「ソレア」という曲が続きます。数あるフラメンコの曲の中でも「カンテの母」と呼ばれている重要な曲種です。
「ソレア」を歌う鍵を握っている...と歌にも歌われるほどの名手が、第8幕のフェルナンダ・デ・ウトレラ。妹のベルナルダと共に"ウトレラ姉妹"と言えば、フラメンコ界では知らない人はいないでしょう。お二人とも既に同じ83歳でこの世を去られました。まるでカンテの神様から83年の期間限定で遣わされたようです。フェルナンダのカンテはまるで語っているように見えませんか?フラメンコの歌は、"お歌"を上手に歌い上げるよりも、魂から魂に訴えかける力が宿ってこそ本物なのです。

 第11幕と第12幕の「ソレア」はバイレが入ります。カンテは、ヘレスのホセ・メルセー、そしてセビージャのエル・チョコラーテ。まず第11幕では、当時30代半ばのマヌエラ・カラスコが、重厚感のあるバイレを披露。この場面では、床に照らされた光の円の中で踊らないところが目をひきました。「ソレア」と言う曲種は、悲しみや苦しみがテーマ。どん底の暗闇で嘆き、再び光が指す日が来るかも分からない。ミュージカルと違って、スポットライトを全身に浴びて「見て!」とアピールするものではないのがフラメンコ、という意図でもあったのかもしれません。
 
f12-ファルキート (2).jpg第12幕は、男性バイレの雄、ファルーコ・ファミリーによる「ソレア」です。一族の長であるファルーコ。エル・チョコラーテが歌っている間は、カンテ(歌)をしっかりと受け止め、派手な動きはしませんが、その一挙手一投足にはアルテ(芸術)が込められています。そして一旦導火線に火がつくとエネルギーを炸裂させる力強い動きが観る者を震わせます。ファルーコは、残念ながらこの映画公開の2年後の1997年に亡くなられましたが、そのアルテは続いて踊る孫のファルキート(当時9歳・写真左)とその下の2人の弟(エル・ファルーとエル・カルペタ)にしっかりと受け継がれています。

 第9幕「ペテネーラ」。今でもこのタイトルを口にすることすら嫌うヒターノ達は多くいます。実際、ヒターノの多い町の野外フェスティバルで、歌手が「ペテネーラ」を歌い出すとブーイングが飛んで、帰ろうとする人もいたのを見たことがあります。それくらい不吉な曲として有名なのですが、その起源はまだ研究の余地あり。19世紀にはこの曲を歌うのが流行だった時期もあったのです。そうでなければ消滅していたことでしょう。

 さらにシリアスな曲種シリーズが続きます。第10幕は「シギリージャ」。歌はエンリケ・モレンテ。カンテ・フラメンコの世界で革新的な試みをし、賛否両論受けながらも、アーティストとしても人間としても多くの人々にレスペクトされていました。2010年に67歳で亡くなりましたが、その後、死因となったのは入院時の手術ミスであったことが発表され、さらにその死が惜しまれています。伴奏は、日本でもお馴染みのフアン・マヌエル・カニサレスです。このように、歌手の声とギターがたっぷり堪能できるデュオスタイルは、フラメンコの原点。第13幕と16幕でもそのスタイルが観られます。

 まず第13幕は、歌手カルメン・リナーレスとラファエル・リケーニのコンビ。リナーレスという芸名は彼女の生まれた町の名前。鉱山で栄えた町のひとつです。鉱山労働の中から生まれたフラメンコの曲種群は"カンテ・デ・ラス・ミナス"と総称されます。ラス・ミナスというは「鉱山」という意味なので、前出の「デ・〜」と組み合わせるとお分かりですね。この場面でカルメンの歌う「タランタ」と言う曲種もそのひとつです。カルメン・リナーレスの来日公演の際、スタッフとして数日間ご一緒させていただきましたが、歌っている時だけでなく地声から素敵なハスキーボイス。つくづくアーティストになるには、持って生まれなくてはならないものがあるのだなと思い知りました。

 第14幕、15幕とフィエスタが続きます。14幕は「タンゴ」。と言っても、アルゼンチンタンゴや黒猫のタンゴとは違います。歌って踊ってフィエスタを盛り上げる才能を持つフェステーラ。セビージャ出身の3人のフェステーラ達が次々と登場します。バックには、一番手のフアナ・ラ・デル・レブエロの息子さん(左側のギター)と旦那様(後ろに立っている男性の真ん中)の姿も。モダンな舞台セットがアンダルシアのパティオに変われば、もうそこはヒターノのフィエスタのようです。
 
f15-ビジャンシーコ (2).jpg第15幕は「ビジャンシーコ」。クリスマスソングです。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラでは、クリスマス前になるとサンボンバと言う名前の楽器−甕の上に皮で蓋をし、そこに棒を通して音を出す−に合わせて皆で「ビジャンシーコ」を歌っていました。ヘレスはヒターノ達が多く住む土地柄、フラメンコ達もそこに加わり、クリスマスソングもフラメンコ化してきたのです。やがてこのフィエスタは、サンボンバ・ヘレサーナと呼ばれ、ヘレス周辺の町にも広がっていきました。今でもクリスマス前にヘレスを訪れると、路上でサンボンバを見ることができます。そのシーンを再現したのがこの場面。出演者はもちろんヘレスの皆さん。楽器サンボンバもお目見えしています。

 第16幕は、ローレ・イ・マヌエルの「ブレリア」。ローレ・モントージャとマヌエル・モリーナのお二人は元ご夫婦。吟遊詩人的なマヌエルのセンスとローレのアラベの祈りのような歌い方で独自の世界を築き、70年代に彼らの出したアルバムは今でも名盤として愛聴されています。スペインの人気歌手、アレハンドロ・サンスも彼らの曲を録音しています。http://youtu.be/cBKVwPKOhw8

 さて、この作品の中には現代フラメンコギターを代表する3人、マノロ・サンルーカル(第3幕)、トマティート、そしてパコ・デ・ルシアが登場しています。スクリーンショット 2014-01-14 16.08.56.png
第18幕はパコ・デ・ルシア&セクステット。フラメンコはファミリーでアーティストというが多く、特にヒターノにはその傾向が強いようです。パコ・デ・ルシアの生まれたサンチェス家はヒターノでありませんが、父のフラメンコ英才教育の成果で兄弟3人がアーティスト。この場面でセカンド・ギターを務めているのが、兄のラモン・デ・アルヘシラス。台上に座って歌っているのがもう一人の兄のペペ・デ・ルシア。第2幕のグアヒーラでも歌っていました。ちなみに2人のアーティスト名の「デ・ルシア」の「ルシア」は彼らのお母様の名前です。ベースのカルロス・ベナベン、フルートのホルヘ・パルドも共にソロアルバムを出している実力派。そして、ホルヘ・パルドの右隣で立ってカホン(ペルー起源の木箱の打楽器)を叩いているパーカッションのルベン・ダンタは、フラメンコの世界にカホンを持ち込んだ立役者です。本当にこの映画では色んなアーティストにめぐり逢えます。向かって右端でカホンに座っているのはバイラオールのホアキン・グリロ。この場面ではバイレでの出番はありませんが、次の第19幕でそのバイレを観ることができます。
 
 第19幕に登場するのは、もう一人のギタリスト、トマティート。長年伴奏を務めていた伝説の歌手、カマロン・デ・イスラの急逝からまだ2年ほどの当時。カマロン系の声のドゥケンデに弾くその表情には、心なしか憂いの色が見えるような気がします。バイレは、ベレン・マジャとホアキン・グリロ。フラメンコが体に沁み込んでいるからこそできる、個性を出しながらリズムと自由に遊ぶ動き。セクシーでスリリングで、何度見ても目が釘付けになります。ベレンは、ストイックに芸術を探究するプロ意識の高いアーティスト。ちなみにこの時の衣装、今でも着られるそうです。

 最後の第20幕は、マンサニータ(前列右から2人目)と人気グループのケタマ(前列右からホセ・ミゲル・カルモナ、アントニオ・カルモナ、フアン・ホセ・カルモナ)で、ノリのいい「ルンバ」。「ルンバ」も第2幕の「グアヒーラ」同様、「カンテ・デ・イダス・イ・ブエルタス」に属する曲種のひとつで、キューバのリズムの影響を受けた曲です。踊れる軽快な曲調でありながら、歌詞はスペイン内戦で暗殺されたグラナダの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩「夢遊病者のロマンセ(ROMANCE SONÁMBULO)」。フラメンコの光と影の世界を象徴しているかのようです。
 
 映画「フラメンコ」のフィナーレとなったこの曲。次に耳にするのは、第2弾「フラメンコ・フラメンコ」のオープニングです。その前に、まずはこの「フラメンコ」をじっくり鑑賞してみてください。では、第一弾はこの辺りで。

3つの壁の乗り越え方

【フラメンコに行き詰まりを感じている方へ】

フラメンコ(カンテ/踊り/ギター/他)が難しい...
先行きが見えない...
壁を感じている...