第62回グラミー「Best Latin Rock,Urban or Alternative Album」受賞の「エル・マル・ケレール」
2020年1月26日、米ロサンゼルス・ステイプルズセンターで開催された第62回グラミー賞授賞式で、スペイン史上8人目の受賞者となったアーティスト「ロサリア」を、シティオ読者の皆さんは御存知だろうか?
弱冠26歳の彼女の受賞部門は「Best Latin Rock,Urban or Alternative Album」で、対象作品は2018年11月2日に発売したセカンドアルバム「エル・マル・ケレール(El Mal Querer)」であった。
約800年前の13世紀に書かれた小説「フラメンカ」にインスパイアされたアルバムで、11章からなる男女の"歪んだ愛(=El Mal Querer)"が作品の中心テーマだ。そのアルバム全編を貫く音楽的エッセンスが、何と伝統の「カンテ・フラメンコ」なのである。
発売前にはニューヨーク・タイムズスクエアの巨大なオーロラヴィジョンに派手な広告が打たれ、先行リリースの「マラメンテ(Malamente)」はYou TubeとSpotifyで驚異的な再生回数を記録し、カタルーニャの歌姫だったロサリアは、一瞬で世界的スターダムに登りつめたのだった。
さらにアフィシオナードを狂喜乱舞させたのは、式当日のパフォーマンス。今年1月発表の新曲「Juro que」でタンゴ・フラメンコを歌い、白い稲妻のようなバイレ・ポル・ブレリアで大喝采。カルメン・アマジャのファンでもある彼女のバイレは、コンサートでも強力な武器となっている。グラミー会場でのフラメンコ登場は、約20年前のホアキン・コルテスの時代まで遡らなければならない、実に久々の出来事だったという。
エル・マル・ケレールの8曲目「エクスタシー」ライナー写真より
強く美しき女たち――パケーラ、サジャゴ、レポンパへ捧ぐ
グラミー受賞後の2月頃からコロナ禍が本格化し、日本へは欧米ほどロサリアの偉業は伝わっていない。先月訪ねた新宿の大手CD店でも「エル・マル・ケレール」は在庫切れで、渋谷に2枚在るだけだった。これほどの楽曲群が、日本のフラメンコ・ファンに知られず埋もれてしまうとは――本稿執筆の動機のそもそもの発端だ。
さて「エル・マル・ケレール」の楽曲を大別すると、フラメンコのパロ(曲種)が下地のものと、ポップスやヒップホップ系にフラメンコを融合させた二種類に分かれる。どのナンバーも完成度は高いが、アフィシオナード諸氏に奨めたいのが、名アルティスタへ捧げた以下の3曲である。
中でも衝撃だったのは、8曲目の「エクスタシー」だ。この曲のメロディーは100%フラメンコのタンゴだが、ベースは何とレポンパ・デ・マラガである。レポンパは1950年代に20代前半で夭折したヒターナ歌手で多くのアルティスタにリスペクトされる存在として知られる。
「ジャリジャリ...」と有名な歌い出し後に始まる、密室の恋人ふたりの会話。やがて場面はベッドに移り――と、伝統タンゴに自作のレトラを組合わせ、見事にセクシーな現代ラヴソングへと転生させているのだ。
2曲目「月よ出ないで」はヘレスのブレリアだが、トップに女帝パケーラ・デ・ヘレスとパリージャ伴奏の音源をサンプリングし、自らはあの「リリアリ...」のサリーダから熱唱する。ロサリア自身のカンテは小細工無し、真っ向勝負のストレートなノリが素晴らしい。
9曲目「子守唄」では、2015年に95歳で亡くなったエンカルナシオン・マリン"ラ・サジャゴ"のナナ(子守唄)をオマージュ。サジャゴは生地サンルーカル・デ・バラメーダを代表するカンタオーラで、90代で筆者が面会した時も、凛とした佇まい、即興で一節唸ったマルティネーテが強く印象に残る。サジャゴは最晩年までマネージャーの世話にならず、自ら契約を取っていたのは有名な話だ。
ロサリアは常々、強い女性のアイコンでありたいと公言している。この先輩カンタオーラ三人は、独立独歩で生き抜く、誇り高きフェミニズムを象徴する存在なのだ。
ロサリアソロデビュー作「ロス・アンヘレス」(2017年)
伝統カンテ×ロックギター――「ロス・アンヘレス」
「エル・マル・ケレール」のグラミー受賞で、にわかに脚光を浴びたのが、約三年前に発表されたロサリアのデビュー作「ロス・アンヘレス」(2017年)だ。とはいえ、アルバムのクオリティは実に高く、フラメンコ性も十分な佳品。せっかくの機会ゆえ、この場を借りてご紹介させて頂こう。
"死"がテーマとなるレトラを基準に選んだ伝統曲の数々を、アコースティックギター一本の伴奏で唄う全12曲。だがしかし、伴奏はフラメンコギターの技法を極力使わない――これが本作の最大のポイントであり、最高の魅力といえる。
ニーニャ・デ・ロス・ペイネスのアレグリアスや、マノロ・カラコールのシギリージャ、エンリケ・モレンテのティエントのレトラを、その内容に忠実な感情表現に徹するロサリア。初々しく澄んだクリスタル・ヴォイスに、70年代のパンクロックのようなアレンジングの激しいリフは、高いテンションを保ちながら、絶妙な調和を見せるのである。
相棒のギタリストは同郷バルセロナのベテランミュージシャン、ラウール・フェルナンデス・レフリー。ジャズ、ロック、フュージョン系に強く日本でも人気のシルビア・ペレス・クルスの共演者と言えばご存知の方もいるかもしれない。
二人の果敢なチャレンジ精神は、リリース当時も大きな賛辞をもって迎えられた。ザラリと硬質でダークな音世界の奥には、確かにカンテ・ホンドと同一の黒いスピリッツが息づいている。ラウールは、グラナダの名手ぺぺ・アビチュエラの音色を参考にしたという。
2020年5月の最新作はラップ歌手トラヴィス・スコットとの共演「TKN」
カマロンと疾走するロサリア
将来は自分が元々好きなポップス&ポピュラー系と交流していきたい――キャリア初期のインタビューでそう答えていたロサリア。言葉通り、「エル・マル・ケレール」後も新作を立て続けに発表。2019年の「コン・アルトゥーラ」「オート・クチュール」「ミリオナリア」といったシングル群を通して、ヒップホップやラップへ傾倒の度合いを深め、2020年5月の最新作「TKN」では、やはり米ラップミュージシャンのトラヴィス・スコットとコラボが話題に。怒涛のようにブラック・ミュージックへと突き進むカタルーニャの歌姫は、一体どこへ向かうのか。
だがしかし、彼女は決してフラメンコを忘れないだろう。「私のベースはフラメンコ」と常時、インタビューで強調しているせいもある。さらに前述のスマッシュヒット作「コン・アルトゥーラ」の中では、100%ラップのリズムに乗せて、こう歌っているからだ。
「llevo a Camarón en la guantera ( de la Isla) 」
「グローブボックスにはカマロンが入ってる(イスラの)」
今も世界のどこかを疾走するロサリアのクルマには、カマロン・デ・ラ・イスラが鳴り響いているに違いない。アフィシオナードの私達は、心安らかに、次なる新作を待とうではないか。
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