第一弾でご紹介した「フラメンコ」から15年。「フラメンコ・フラメンコ」が制作されました。スペインでの公開は2010年秋のことでした。
前作同様、脚本や台詞はなく、まるで目の前で公演を見ているかのような臨場感と迫力あふれる映像。ほとんどの場面が4分前後というテンポのよい展開となってるのは、まだフラメンコをよく知らない人でも飽きることなく、様々なスタイルのフラメンコを楽しめるようにとの監督のアイディアです。ストーリーなど探す必要はなく、純粋にフラメンコを感じてほしい、まさに世界各国にフラメンコの魅力をアピールするために作られたような作品です。残念なことですが、いまだもって、制作者の先入観やイメージに合うようにアレンジされた映像や番組が「フラメンコ」として世に送り出されています。とりあえず薔薇とオレ!というかけ声、そして音楽はジプシーキングス...。ひどいときは音楽がサンバだったり(涙)。しかし、今回ご紹介した2本の映画をご覧になれば、これからは違いが分かる男女にきっとなられることでしょう。ここでは、21世紀の今、現存するフラメンコをリアルに映し出しています。「ようこそフラメンコの世界へ」ということで、まず観ていただきたいソフトとしてフラメンコ・シティオから自信をもってお勧めできるものです。
早速、中身を観ていきましょう。
スペイン絵画とリンクする色彩と個性溢れるアーティストのラインアップ
前作「フラメンコ」は、光と影を巧みに使った作品でしたが、「フラメンコ・フラメンコ」では、さらにドラマティックな色彩が加わりました。作品全体のベースとなっている色は、暁と夕暮れの空の色。橙から闇紺へと続くグラデーションです。これは、この映画のコンセプト「生命の旅と光」を象徴しています。生命がたどる旅、誕生〜幼少期〜思春期〜成人期〜死、そして再生。それぞれの時期を、夜明けから日没までの太陽の光や夜を照らす月の光で表しています。例えば、強く白い光で誕生。夕暮れの橙から濃紺へのグラデーションで成熟。そして死を意味する暗闇...のように。その後に続く再生は、希望の色、緑で表現されています。そして、それぞれの場面がまるで一枚の絵画のような印象すら与える映像となっています。
出演アーティストの選出には、この映画の音楽監督を務めたイシドロ・ムニョス(ギタリスト、マノロ・サンルーカルの弟)の協力で、前作「フラメンコ」に出ていたアーティスト、その子息、さらに孫の世代にわたる素晴らしいラインナップとなっています。ちなみに最若手は、1998年生まれのエル・カルペタ(El Carpeta)。祖父ファルーコ(Farruco)と兄のファルキート(Farruquito)が出演した前作の公開時には、まだ生まれていませんでした。もちろん、今回も出演しているファルキートの成長ぶりにも注目です。
全体を通して、15年の間に起きたフラメンコ、特にバイレ(踊り)の革新ぶりや表現の変化も見てとれます。フラメンコは伝統文化ですが、完成されたものをただ守っていくだけでなく、現代でも生き続けています。その歴史は、18世紀末からと日本の歌舞伎よりも100年は浅いのです。そう考えると"変化"というにはまだ早すぎますね。"発展の過程"と言った方がよいでしょう。
では続いて、各場面を観ていきますが、全21幕もありますし、細かい解説をするよりは映像を観ていただくのが一番!というわけで、またマメ知識&情報系のコメントでいきたいと思います。時々、私情もちらりと入ってしまうかもしれませんが、フラメンコへの愛ゆえということで何卒ご容赦ください。前作「フラメンコ」とリンクする部分もたくさんありますので、併せてご覧いただくことで、よりお楽しみいただけると思います。
各場面の見どころとミニ解説
オープニング。撮影されたのは前作同様、セビージャ市内。92年セビリア万博の未来館(Palleón del Futuro)が撮影スタジオとなりました。その特徴ある天井の骨組みに続き、18世紀から19世紀の画家たち、ゴヤ(Goya)、フリオ・ロメロ・デ・トーレス(Julio Romero de Torres)、ギュスターヴ・ドレ(Gustave Doré)らによるフラメンコを描いた作品が映し出されます。
第1幕。いきなりきました、前作とのリンク!「フラメンコ」のエンディングを覚えていますか?フェデリコ・ガルシア・ロルカ(Federico García Lorca)の詩に曲をつけたこのルンバでした。前作でギターを弾いていたホセミ・カルモナ(Jose Miguel Carmona)以外はメンバーが変わり、アレンジも違っています。スイート&ハスキーな声で、緑のドレスをまとった女性歌手は、マリ・アンヘレス・フェルナンデス(Marí Ángeles Fernández)。父であるギタリスト、トマティート(Tomatito 第17幕に登場)のアルバムでもその歌声が聴けます。コントラバスも入り、現代のフラメンコ音楽の流れも取り入れています。
第2幕は、1998年に発表した自カンパニーの作品「Sueños 夢」以来、立て続けに成功を収め、世界的にも有名になったバイラオーラ、サラ・バラス(Sara Baras)。映画のポスターにもなった場面で踊るのはアレグリアスという曲種。彼女の故郷カディスが起源とされています。この曲を踊るときは、フリルのたくさんついた水玉の衣装で、裾の長いバタ・デ・コラを着ることも多いのですが、ここでは彼女の引き締まったボディとキレのある動きを、シンプルな衣装が際立たせてくれています。衣装は現代的でも、色のチョイスやマントン(刺繍された大きなショール)を使うことで、アレグリアスという曲の本質と伝統はきちんとおさえています。踊る人の力量によって、衣装のスタイルの可能性も広がっていくものです。
"フラメンコは踊りを観るもの"と思われている方はまだ多いかもしれませんが、実は始まりは歌。そこにギター、バイレが加わっていきました。バックのペナゴス(Rafael de Penagos)の絵画も目を楽しませてくれる第3幕では、歌とギターをじっくり聴きましょう。ギターは、前作「フラメンコ」で多くの場面に登場していたギタリスト、モライート(Moraito)の息子、ディエゴ・デル・モラオ(Diego del Morao)。2011年、54才での早すぎる別れとなった父のアイレ(アーティストが醸し出す空気感)を受け継ぎ、人々の期待に応える演奏ぶりで人気を集めています。歌手のモンセ・コルテス(Montse Cortes)は、バルセロナのヒターナ。長年、地元のタブラオで歌っていたのですが、ある日、アントニオ・カナーレス(Antonio Canales)に見込まれたのをきっかけに、広くフラメンコ界にデビューしました。いい声です。話しているときもこのまんまの声。フラメンコは作り声でなく、自分が持って生まれた声で歌うもの。それゆえ、フラメンコを歌える人は「選ばれし者」的なところがあります。彼女はソロアルバムを2枚出していますが、どちらもフラメンコ初心者の方にもおすすめの聴きやすさです。
第4幕は、2台のフラメンコ・ピアノ。ファンにとっては、まさに夢の競演。ドランテス&ディエゴ・アマドール(Dorantes / Diego Amador)です。このシーンを再現したコンサートをフランスのフラメンコ・フェスティバルで観る機会があり、その際の記事に二人のことを書いております。その記事はこちら。
簡単な打ち合わせしかしない、ほぼ即興の演奏でありながら、見事な掛け合いでお互いのテイストを存分に発揮しています。穏やかな笑顔と茶目っ気あふれる表情も印象的なシーンです。幸運にも、このお二人とは日本ツアーの際に仕事でご一緒させていただき、そのアルテを目の当たりにしました。楽譜では表せないフラメンコという音楽をピアノという楽器で弾きこなすには、彼らのような血やバックグラウンドが必要なんだと痛感しました。
第5幕は、ロシオ・モリーナ(Rocío Molina)のバイレ。今年2014年4月に来日しました。なんとびっくり、くわえタバコで踊っています。むせやしないかと心配になる人もいらっしゃるかも知れませんが、ロシオ・モリーナはこういう人並みはずれたことをクールにやってのけてしまう天才なのです。しかしまた、なんでタバコ?という疑問は残ります。ここで踊っているガロティンという曲種を初めて踊ったのは、エル・ファイーコ(El Faíco 1870-1938)という男性舞踊手でした。またガロティンの語源は、脱穀場で麦を打つ人たち、または麦を打つのに使ったこん棒(garrote)から来ているという説があります。その労働者たちは男性です。この二点から男性の踊りというイメージがわいてきます。実際、このガロティンを踊るときには、小物で帽子=ソンブレロをよく使います。それもコルドベスと呼ばれるもので、アンダルシアのコルドバで作られるもの、つまりアンダルシアの男の象徴です。長くなりましたが、そこから推察すると男性を表す"コルドベス"の代わりに"タバコ"を用いたのではないかと。さあ真相はどうでしょう?
第6幕では、フラメンコの起源に近いスタイル。皆が集まるテーブルを指で叩いてリズムを取りながらのカンテです。ギター伴奏はありません。こういう場面から多くのフラメンコの歌が紡ぎだされてきました。カンテは、あとで登場するエストレージャ・モレンテ(Estrella Morente)、アルカンヘル(Arcángel)と並んで若手カンタオールとして注目されてきたミゲル・ポベダ(Miguel Povada)。もうすっかり中堅の貫禄です。マドリードで行われた日西400周年交流記念行事では、小島章司先生、今井翼さんと同じ舞台で歌っていました。
背景のポスターには、歌詞の中で名前を挙げて讃えている4人の女性歌手の姿が見られます。コプラ(=スペイン歌謡)の女王と言われたコンチャ・ピケール(Concha Piquer)。ちなみに、ミゲル・ポベダはコンチャ・ピケールの大ファンのようで、ドキュメンタリーでもコメントをしています。16歳でニューヨークデビュー。スペイン初のトーキー映画に出演しました。同じくコプラの歌姫、セビージャ出身のフアニータ・レイナ(Juanita Reina)。さらに、フラメンコ歌手の二人、ロラ・フローレス(Lola Flores)とパケーラ・デ・ヘレス(Paquera de Jerez)。ロラとパケーラは、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの出身。ロラ・フローレスは、カルロス・サウラ監督の「セビジャーナス」にも出演しています。歌手、そして女優としても40本以上の作品に出演し人気を博し、1995年75歳でがんで亡くなる直前まで歌い続けました。
パケーラ・デ・ヘレスは、前作「フラメンコ」のオープニングで歌っていましたね。ヘレスのサンミゲル地区に生まれ、兄弟は8人。生活は貧しく、パケーラを学校に通うのをやめさせられ、生計を助けるために歌手の道を歩み始めました。あの魂の叫びのような声は、そんな境遇から生まれたものだったのです。
第7幕、アメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent)の1882年の作品「エル・ハレオ(El Jaleo)」が映し出され、背景には月と沈む太陽の両方があります。場面ごとに背景の濃紺と橙の分量が違うのも面白いところです。
今年2014年3月に来日したエバ・ジェルバブエナ(Eva "Yerbabuena")がソレアを踊ります。バックには、夫でギタリストのパコ・ハラーナ(Paco Jarrana)といつも彼女の公演で歌っている3人のカンタオール、エンリケ・エル・エストレメーニョ(
Enrique "El Extremeño")、ホセ・バレンシア(José Valencia)、ペペ・デ・プーラ(Pepe de Pura)。たった4分半ですが、ソレアという曲の持つ苦しみ、悲しみ、重みが伝わってきませんか?エバは、それほど素晴らしいフラメンコの表現者です。
前作になく、「フラメンコ・フラメンコ」で加わったのがセマナ・サンタ(Semana Santa=聖週間)に関わるフラメンコです。セマナ・サンタは、カトリック教の行事で毎年3月末から4月の1週間のことで、各地でキリストの受難〜死〜復活を表す山車を中心とした行列の行進が行われます。特にセビージャのセマナ・サンタは規模も大きく有名で、国内外から多くの観光客が訪れます。
第8幕で歌われるサエタ(Saeta)は、アンダルシアのセマナ・サンタならでは。建物の2階のベランダから、行進の足を止めたイエスやマリア像の乗った山車に向かってフラメンコ歌手が歌うのです。フラメンコの曲として歌われる以前にもサエタとして存在していたようです。それが、よりダイレクトな歌詞とアンダルシアならではの言い回しでフラメンコ歌手によって歌われるようになり、現在のスタイルができたとのことです。マリア・バラ(María Bala)の歌声が荘厳に響きます。続いて、セマナ・サンタの行列をモチーフにした
第9幕。行列には、山車を担ぐ人の前後に、ここで使われているような音楽を演奏する楽隊やナザレノと呼ばれるとんがり帽子で上からしたまで布に覆われた信者が歩いています。
サエタ同様、無伴奏で歌われるのが、第10幕のマルティネーテ(Martinete)とトナー(Toná)。フラメンコの曲種の系統樹で一番根っこに記されるのがこれらの曲種です。マルティネーテの語源はマルティージョ=金槌から来ており、ヒターノたちの鍛冶仕事の中から生まれた歌と言われています。バックで金床をマルティージョで叩いていますが、このリズムがマルティネーテという曲種そのものなのです。歌うホセ・メルセー(José Mercé)は、前作ではソレアを歌っていました。
フラメンコ界のヒターノのファミリーの中でも、バイレと言えば、ファミリア・ファルーコという名前が筆頭にあがってくるでしょう。初代ファルーコ、その娘のファルーカとファラオナ、三代目にファルキート、ファルー、エル・カルペタの三兄弟とエル・バルーリョ(ファラオナの息子)がその血統を踊り継いでいます。最年少のカルペタは、撮影当時は10歳か11歳。ちょうど長兄ファルキートが前作「フラメンコ」に祖父と一緒に出ていた頃に近いです。この第11幕でブレリアを踊る表情のなんと生き生きとしていることか!3歳の頃、レッスンスタジオに現れては、兄たちが教えているパソ(ステップ)を一生懸命で真似し、自分を見てもらえないと泣きべそをかいていたのがついこの間のようです。今や念願の、人々の視線を一身に集める舞台人となって海外ツアーにも参加しています。
アングラーダ・カマラサ(Anglada Camarasa)の絵画と白い月。幻想的な空間でのイスラエル・ガルバン(Israel Galván)の踊る第12幕。初めて見る人には、イメージしている"フラメンコ"とは違うかもしれませんが、固定観念はしばしば目を曇らせます。そもそも、イスラエル・ガルバンのバイレがフラメンコでなければ、ここには登場していないでしょう。楽器による演奏はなくとも、イスラエルが出す音、靴音だけに限らず、すべての音はフラメンコのコンパス(曲を構成するリズムとアクセント)にはまっています。常に誰か、または何かとコミュニケーションをとりながら踊るイスラエル・ガルバン。舞台上ではこんなにも饒舌(もちろん動きで)、アバンギャルドな作品を次々発表していますが、オフではとても穏やかな印象があります。指の先までにもこだわる完璧な動き。いつシャッターを切っても絵になる美しさがあります。
第13幕はグアヒーラ。前作にもあった曲種です。今回は、アルカンヘル(Arcángel)の歌で始まります。歌詞は、ペペ・マルチェナ(Pepe Marchena)が歌ったキューバの女性の美しさを讃える内容。第一弾(リンク)で曲種の説明をしたように、この曲は"カンテ・デ・イダス・イ・ブエルタス"と呼ばれるグループの曲の一つです。アルカンヘルはこの後、バロックグループと共に録音したアルバムを出していますので、この曲調がお好きな方にはお薦めの一枚です。ちなみに、そのコンサートには、ここで踊っているバイラオーラ、パトリシア・ゲレーロも出演しています。こちらでコンサートでグアヒーラを踊っている様子がご覧いただけます。
前作「フラメンコ」でメルチェ・エスメラルダが踊っていたグアヒーラとはずいぶん趣が違うのは、振り付けのラファエル・エステべ(Rafael Estévez)とバレリアノ・パニョス(Valeriano Paños)のテイストに依るもの。2人はカンパニーを作って創作活動をしており、個性的な作風の作品を次々と発表しています。バレリアノは、以前ナニ・パニョスという名前で小島章司先生の公演に出演していましたね。
前作に引き続き、ギターの大御所たちも登場します。トップは、第14幕のマノロ・サンルーカル。冒頭、映し出される絵画は、コルドバの画家フリオ・ロメロ・デ・トーレスの1917年の作品「アレグリアス」。美人で評判だったカタルーニャのバイラオーラ、フリア・ボルル(Julia Borrull)をモデルに描かれたものです。演奏の曲種は絵と同名のアレグリアス。マノロ・サンルーカルは、前作でもアレグリアスを弾いていました。そういえば、前作でもグアヒーラの後でした。
サウラ監督が「今回も本当は出演してほしかった」と語っていた歌手のエンリケ・モレンテ(Enrique Morente)の娘、エストレージャ・モレンテのタンゴが第15幕です。エンリケの姿はありませんが、この場面の出演者は皆ファミリー。娘のソレア、息子のエンリケ、妻のアウロラの姿もあります。闘牛士の夫、ハビエル・コンデとの間に2人の子供をもうけ、益々迫力と美しさを増しているエストレージャ。この声、ペドロ・アルモドバル(Pedro Almodóvar)の映画「ボルベール−帰郷」をご覧になった方には聞き覚えがあるはずです。主題歌のボルベールをペネロペ・クルスの吹き替えで歌っていたのは、エストレージャでした。
第16幕は、この作品二つ目の群舞です。群舞は二幕ともハビエル・ラトーレ(Javier Latorre)の振り付けです。作曲とギター演奏はフアン・カルロス・ロメロ(Juan Carlos Romero)。前作では、マノロ・サンルーカルのアレグリアスの場面で、セカンドキターを務めていました。
第17幕の曲は、「時の伝説 - Legenda del Tiempo」。歌詞はフェデリコ・ガルシア・ロルカの戯曲「5年経ったら」に収められている詩。1972年に発表されたこの曲は、1992年に41歳の若さで亡くなった歌手カマロン・デ・ラ・イスラが歌い、フラメンコ界きっての大ヒット曲となりました。当時のギターは、この場面で弾いているトマティート(Tomatito)でした。歌うのは、カマロンと同郷出身の人気歌手、ニーニャ・パストーリ(Niña Pastori)です。歌の間に入るファルセータ(ギターのソロ部分)では、アルバム「Paseo de los Castaños」に収録されている「Dulce Manantial」が。ちなみにアルバムの中でこの曲のボーカルを担当しているのは、第1幕で歌っていた娘のマリ・アンヘレスです。
雨が降り出します。それもかなり激しく。人生にはこんな雨の日もあるでしょう。第18幕では、ミゲル・ポベダとエバ・ジェルバブエナが再び登場します。歌は"子守唄"。メロディーが短調で日本の子守唄と共通点があります。打ちつける雨が時の流れのように、やがて苦しみも悲しみも流してくれるかのようです。そして、希望が未来へと続くかのように、背景にはうっすらと虹がかかっています。このどしゃ降りの中、ハンディカメラでの撮影はなかなか苦戦したそうです。
続く第19幕。雨が上がり、ファルキート(Farruquito)のサパテアード(靴音)が爽やかに響きわたります。前作「フラメンコ」の撮影の後、祖父と父を亡くし、若くしてファミリアの長となりました。監督によると、出演するアーティストには曲種と制限時間だけが伝えられたそうですが、なかでもこのファルキート場面は超即興。ほぼぶっつけ本番だったそうです。気心の知れた家族のようなメンバーに囲まれて踊る表情は、雨上がりの空のように爽やかです。
第20幕、三人目のギターマエストロの登場です。パコ・デ・ルシア(Paco de Lucía)は、前作「フラメンコ」のと時とはがらりと違う若いメンバーとのセッションです。カンテのラ・タナ(La Tana)は、第3幕で歌っていたモンセ・コルテスと共にホアキン・コルテス(Joaquin Cortés「フラメンコ」出演)のカンパニーで歌っていた時期がありました。先に登場したマノロ・サンルーカル、トマティートも我が子世代に囲まれての演奏でした。受け入れるマエストロの懐の深さによって、次世代にもしっかりとフラメンコが伝わっていきます。
ー追記:この記事を書いたのは2014年2月。ヘレスのフェスティバルに向けて、スペインに出発する直前でした。その2週間後、まさかの訃報。享年66歳。ヘレスでは、その死に衝撃を受けたトマティートの公演は中止となり、葬儀の行われたアルヘシラスへと向かった人もいました。フラメンコギターの魅力を全世界に広めた偉大なギタリスト、パコ・デ・ルシア。その素晴らしい功績と最高の音楽を残してくれたことに改めて感謝するとともに、心からご冥福をお祈りします。スペイン語の報道記事はこちら。
フィナーレの第21幕は、"ブレリア・デ・ヘレス"。「フラメンコ」のオープニング同様、フィエスタ形式でブレリアが歌い、踊られます。まずは、ルイス・エル・サンボ(Luís el Zambo)の歌。本業?いえ副業は、代々続く魚屋さんです。続いて歌うのは、ヘスス・メンデス(Jesus Méndez)。年齢差35歳の2人。カンテのゆりかごと言われるヘレスのお家芸がここでもしっかりと世代を超えて受け継がれています。その横でギターを弾いているのは、前作でも演奏していたモライート(Moraíto)。なんと、ここでは踊りも披露してくれています。ヘレスのブレリアの踊りは、歌を大切にしながら踊るので、歌を遮るようにガンガン足音をたてたり、超絶テクニックで拍手をあおるようなことはしません。歌のスイングに気持ちよく身を任せて見ている人々が、その流れを妨げられることなく、腹の底から「オレ〜!」と言いたくなるような小粋さが特徴です。そして、なくてはならないのがグラシア(=Gracia)。グラシアとはスペイン語で、おもしろさ、洒落っ気、気品、魅力、愛嬌などを表す言葉。それをまさに体現しているのが、このモライートの踊り。踊り手たちをうならせる見事なオリジナルのブレリア。自然な中に茶目っ気もあり、見ていると頬が緩んできませんか?ヘレスのブレリアは、人々を笑顔にする力もあると思います。続いて踊る女性たちも、なんともグラシアに溢れていますね。老若男女が世代を超えて繋がることができるフラメンコ。体型も年齢も関係なく楽しんでいる姿がそこにあります。
さて、21幕にわたる豪華な饗宴が幕を下ろしました。一度にたくさんのアーティストを紹介させていただきましたが、気になるアーティスト、耳に残る曲はありましたか?フラメンコの世界にも "お気に入り"ができれば、音楽を聴いたり、DVDや舞台を観る楽しみの幅も広がるのではないかと思います。
では、あらためまして...「フラメンコの世界へようこそ!」