5月2日、新宿文化センターでの(株)イベリア主催フラメンコフェスティバル。
Jairo Barrullがソレアのコンパスを従えて舞台下手から登場したとたん、空気はぐぐっと重みを増し、フラメンコにしかない、あの気配が充満した。
歌に対して、脈々と受け継がれているマルカールを繰り返す。
レマーテをかける。
やっている側の心拍数は平常で、受け止めるこちらは心臓がバクバクするような、怖いレマーテだ。
そしてまた、深く深くマルカールを繰り返す。これ以上の何があるというのか。
歌い手もギタリストも、皆分かっている。
覚悟を決める。
フラメンコが降りた。フラメンコ、そのものが。
超絶技巧をこれでもかこれでもかと見せつける踊りがある。当然客席は圧倒される。
しかし、このハイロの踊りこそ、実は達人級の技だ。
フラメンコを踊る方法は数々あれど、歌に対してこのマルカールに勝るものはない。断言出来る。
だからこそすたれない。しかし、これをやればフラメンコになるというものでもない。
むしろ、ただシンプルなことをやっているだけ、ってことになる場合が多い。
当然踊り手としては、存在価値が薄くなる。
モロンのヒターノであるハイロは、モロン特有の細かい高速の足をいとも容易く繰り出して、
小気味いいレマーテを入れる。こちらは歌振りよりもっと分かりやすく「すごい!」と言われる瞬間だろう。
しかしあの、ぐっと手綱を引いた歌振りの後に、必然として出て来るエスコビージャであるから美しい。もちろん、足の音の美しさは言うまでもないことだけれど。
バイレフラメンコにとって、流れはとても大事だ。
しかし最近は、箇所箇所でビックリする踊りが多いのが私は不満である。細かくて限りなくリンピオでかっこいい足、だからすごい、ということではなく(それもまた素晴らしいことですけど)、
すべてが必然、よって自然、だから、感動するのだ。
このスタイル、つまり、歌の間ぐっとマルカールを繰り返し、エスコビージャで流れを作り、ブレリアまで持って行く王道スタイル、これがほんとは最も力を持っているってことを、他のスタイルで踊っている人も知っているに違いない。でも、それをやってフラメンコを連れて来れる人は、限りなく選ばれた人だというのも知っているのだろう。
あくまで私の知る範囲だが、スペイン人でフラメンコに携わっている人は心底フラメンコが好きだ。
つまり、アフィシオナードだ。(当たり前のことのようだが、そうでもない。アフィシオナードではないけれど、プロフェッショナルってこともある)
アフィシオナードはどこにフラメンコが隠れているか大概知っている。フラメンコに内臓を鷲掴みにされたいと思っている。でも、王道スタイルでフラメンコが降りてこないなら、違うスタイルで自分が連れて来れるものを連れて来たいと思うだろう。それがたとえ、プーロフラメンコが持っているあの味とは違っても。自分が作れる何か、自分こそが出来る何か、それを持って自分の存在価値を見出そうとするのは、これもまた人間の自然な姿だ。
同じくモロンのヒターノで、ペペ・トーレスという人がいる。
彼は独特の飄々とした立ち振る舞いで、恐ろしく深く、豊かなフラメンコを連れて来る。
セビージャのタブラオ『ロス・ガジョス』に出演していた時、他の出演者全員がよく彼の踊りを2階から見ていた。一晩に2回のショーで、一人15分位踊るのをほぼ毎晩繰り返しているから、他の人の踊りを見ていることは、そう多くはない。でも、やっぱりペペのことは見るんだ、やっぱり皆プーロフラメンコが好きなんだ!そう思って嬉しくなったのを覚えている。
そういえば、イベリアで出しているDVDの中に、ペペの踊りもあります。
ペペの踊りは、もちろん文句なく素晴らしいのですけど、クアドロのメンバーの表情がかなりいい味出してます。皆フラメンコが好きなんだなー、ってのが分かって、にんまりしてしまいます。
機会があれば、是非見てみてください。
ペペは自分では「あれはそんなにいい出来じゃない」って言ってましたけど、私はすごく好きです。「長く踊るのはいいと思わないし、好きじゃない」とも言ってましたが、まさにその通りの、簡潔でサボールに満ちた踊り。幸せな気分になります。
自分の6月15日の公演のことを書きたかったのですが、ハイロの踊りに久しぶりに心がフラメンコに満たされ、こんなことになりました。
6月のことを少し。
公演の題名は『FABULAE』。ラテン語で「物語」「寓話」という意味です。スペイン語だと、fabulaです。私がフラメンコに出会ってからの、憧れ、葛藤、矛盾、苦しみ、そして喜びなどを題材にした、ストーリー性のある作品になる予定です。次回、この公演のことをもう少し掘り下げて書いてみたいと思います。