先月6月15日(日)、豊島区立舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」にて、初めての創作作品を発表しました。
ご来場いただきましたお客様、本当にありがとうございました。キャンセル待ちをしてくださったお客様、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。

この作品をどうやって形にするか。イメージを具現化するには???

私がこれまでに積み重ねて来たものを総動員しなかったら、とても無理だ。
いや、総動員したって充分じゃない。フラメンコ以外のジャンルからも出演者を考えなくてはならない。同時に、自分の中にあるものや、周りにあるものを見渡してみる。するとそこには、真剣勝負で教えて来た長い年月があり、それによって育ってくれた生徒達がいた。あの子達となら、私がやりたいことを共有出来るかもしれない。そう思って舞踊団を結成、まずは舞踊団シーンの振付へと入って行きました。

3月半ばから舞踊団の振付を始める。毎週水曜夜と、土曜の午後~夜が舞踊団稽古日。ある土曜日は12時間コースなんてことも。通常のクラスレッスンも受け、且つ仕事も持っている彼女達の疲労は、凄まじいものがあったと思う。私自身も相当の疲れとストレスを溜め込んでいたに違いない。

そして、5月14日の夜。

裸足で、舞踊団を相手にぐっと足を踏み込んだその時、右ふくらはぎがブチッと音を立て激痛。みるみるうちに腫れて歩けなくなる。タクシーで救急病院へ。突然の出来事に茫然自失。事実がよく掴めない。

夜の病院は待ち時間が長い。ようやく先生が現れ、レントゲンを撮る。骨には異常なし。触診で腓腹筋断裂と診断され、ギプスで固定し、松葉杖を渡される。
松葉杖翌々日再診。6月15日に舞台を控えていると相談する。
「15日?うーん、15日は踊れるんじゃないでしょうかねー。」
「その前の稽古はどうなります?」
「それはちょっと、、、難しいんじゃないでしょうかね。」

私の焦りは先生には伝わらない。触診のみの、あっという間の診察。
心強くして「何か治療方法はないんですか?」と問う。
「これが治療方法です。」今度ははっきりと言われる。
触診、ギプス、松葉杖、以上。松葉杖をうまく使えず、処方箋を渡されても、薬局に行くことも出来ない。これって何とかならないのか?

業を煮やし、ネットで見つけた治療院へ。
松葉杖なしで歩いて帰れるという謳い文句に、藁にもすがる気持ちで出掛ける。結果、松葉杖で帰る。

「ここに行きなさい!絶対にいい先生だから!」
知り合いが麹町の接骨院を紹介してくれた。エコーで診ると、腓腹筋は傷付いておらず、ヒラメ筋が断裂しているのが分かる。骨に近い抗重力筋だ。肉離れには珍しいケースらしい。ギプスをさらにしっかりしたものに替え、脇が痛くてうまく使えなかった松葉杖をジャストサイズに交換、松葉杖で歩く指導を受け、階段の上り下りも一緒に練習する。
「6月15日の舞台のことは、来週またエコーを撮って、それで考えましょう。」

やっと自分の怪我を把握し、状況を落ち着いて捉えることが出来た。ここは、先生はじめスタッフ全員が、治す、というシンプルな目的に向かっている。紹介してくださった方にただ、感謝。ここで治療に専念しよう。「よろしくお願いします。」と頭を下げる。

テーピング翌週のエコーで、6月から少しずつ動けるようになり、公演のある週にはなんとかなる、という診断が出た。ここの先生が言うのだから間違いないはず。
舞踊団シーンの骨組みが出来ていたのは、不幸中の幸いだった。しかし、果たしてどの程度踊れるのか、それは分からない。

予定を入れてくださっているお客様、飛行機を予約してくださっている方もいる、歌い手、ギタリスト、パルメロ、長屋さん、舞踊団、音響、照明、舞台監督・・・、なんとたくさんの人が舞台に関わっていることだろう。改めて舞台というものの重みを感じ、すべての人を巻き込んでの延期と、決行の間で、揺れに揺れた。

毎日のように生徒が車を出してくれ、治療院へ向かう。とにかく、出来るだけいい状態へ持って行くこと。やれることはそれしかない。日々少しずつ変化がある。松葉杖は2本から1本になり、ギプスからテーピングになり、こわごわと、自転車を漕ぐリハビリへ移行し、そして公演3日前の6月12日には、テーピングと包帯を外して動けるようになった。

日々焦る気持ちを抱えながらも、麹町白石接骨院へ行くと何故か心が落ち着いた。決して広くはないけど、風が通り抜ける気持ちのいい空間で、超音波気泡水治器に足を浸しながら、窓の外を眺める。風に揺れる木の葉の音を聞き、舞踊団シーンを考え、自分の踊りを思った。「踊りたい」という気持ちが、歩けない日々の中で膨らんでいった。舞台はやる。延期はしない。そう決心した。

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フラメンコに出会った時、コンパスすら分からないのに、懐かしいような、そして一方では気持ちを駆り立てられるような、なんとも不思議な気持ちになりました。しかし、そんな気持ちだけでは向かって行けない、甘くはない壁がフラメンコにはあって、そのイメージを、自分の中に聞こえて来たリズムを舞踊団員のサパテアードに置き換えることで、振付けました。私を簡単には入り込ませないフラメンコのプライドと、フラメンコに近付きたい自分が対峙する瞬間。まさにその稽古中に怪我をしたのですが、そこは今回の作品の重要な一場面になりました。

他には、ファンダンゴ・デ・ウエルバとシギリージャを舞踊団に受け持ってもらいましたが、いずれも場面作りの重要なファクターになったように思います。
1人で踊っても、群舞であっても、「中に生まれたものを目に見えるものにする」というルールを守れば、嘘にならない。作品作りには、「効果」というものも無視出来ないけれど、「効果」の考えが先に立つと、空々しくなる。それらを踏まえながら挑戦する作品作りというのは、難しくも魅力的な戦いだと実感しました。

_FSA1588_large.jpgビジャンシーコ
ブレリア

次回新たな作品作りもしたいし、この作品をバージョンアップさせて再演もしたい。
そんなことを考えながら、また新たな意欲が湧いて来ている今日この頃です。

写真/遠山しゅんか

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