スペインでヒターノ(=ジブシー)というと、南部のアンダルシアのイメージが強いのですが、歴史的にヒターノがスペインに入ってきたのは、北からという説もあります。パンプローナで開催されたフラメンコフェスティバル「フラメンコ・オン・ファイヤー(Flamenco On Fire)」の運営メンバーであるリカルド・エルナンデス(Ricardo Hernandez :ナバラ州のヒターノ連合のコーディネーター)によると、実際、北のバスク地方にもヒターノは住んでおり、その割合はスペイン全土のヒターノ人口率と同じ。つまり、北にはいないというわけでは無いのです。ただ地域によって、ヒターノと非ヒターノの"距離"はまちまちだそうです。つまり、ヘレスのようにほとんど混ざって暮らしているところもあれば、ヒターノ居住区がはっきり分かれていて、生活上もあまり接点がないなど。ナバラ州にも8,000人ものヒターノが在住しているそうで、今回のフェスティバルにも観客として来場して、特にヒターノのアーティストの公演には多く集まり、独特のハレオ(掛け声)をかけていました。
グラナダのヒターノのアーティストのファミリー、アビチュエラ(Habichuela)からは、ぺぺ・アビチュエラ(Pepe Habichuela)とその息子のホセミ・カルモナ(Josemi Carmona)を前回ご紹介しましたが、ぺぺの兄で昨年他界したフアン・アビチュエラ(Juan Habichuela)の息子、アントニオ・カルモナ(Antonio Carmona)のコンサートも開催されました。アントニオ・カルモナとホセミ・カルモナは従兄弟同士で、2004年に解散した人気グループ「ケタマ(KETAMA)」の元メンバー。今はそれぞれ違うキャリアを歩んでいます。
コンサートが行われたのは、サラ・セントラル(Sala Zentral)。座席はなくディスコ状態の会場です。その日は、ここでアントニオのコンサートの前に、まずポポ(POPO)のコンサート「Soniquete con Flow」がありました。ポポは、同じくグラナダのカンタオールの故エンリケ・モレンテ(Enrique Morente)の奥さん方の甥っ子にあたり、いとこで売れっ子カンタオーラ(=フラメンコ歌手)のエストレージャ・モレンテ(Estrella Morente)やその弟のキキ・モレンテ(Kiki Morente)の舞台でラップやパーカッション、バイレでコラボをしてきました。芸名の「ポポ」は、小さい頃から呼ばれてて、本人もなぜかは分からないとのこと。父はカンタオール(フラメンコ歌手)で生まれた時からフラメンコだけでなくいろんな音楽に溢れた環境で育ってきたとのこと。そんな中で、自分が何をやるか...と考えて、ラップ系の道を選んだとか。今回のフェスティバルでも、様々なアーティストの舞台でコラボをしていました。そのポポのコンサートには、フラメンコラップの大御所、トマシート(Tomasito)もゲスト出演。アントニオ・カルモナのコンサート前に会場を温めました。
そして、アントニオ・カルモナが登場すると、かつての「ケタマ」の人気を思わせる盛り上がり。いわゆる正統派カンテではなく、ポップでノリのいいフラメンコポップ、フラメンコロック的な音楽でスタート。残念ながら別件で最後までコンサートに残ることができず、その後の23時半からの公演、バイラオール、ホセ・マジャ(Jose Maya)の「マジャ(MAYA)」へ。
ホセは以前、ギタリストのトマティート(Tomatito)のグループのメンバーとして来日した時に同行したり、出演していたトニー・ガトリフ監督の映画「ヴェルティージュ・めまい ~ フラメンコ・エクスタシー(Vertiges)」の日本発売にも関わった関係で、久しぶりの再会でした。数年前からパリ在住。サラサラのロングヘアー、常にぐっと胸を張った姿勢の良さは変わりません。
カンテには、エンリケ・エストレメーニョ(Enrique Extremeno:動画で向かって右)とルビオ・デ・プルーナ(Rubio de Pruna)。パーカッションにはピラーニャ(Pirana)と、男らしい骨太なフラメンコが存分に楽しめました。その踊りは下記のビデオをご覧ください。(by Deflamenco.com)これはブレリアという踊りで、即興で踊られます。音楽と一体化し、どんなに速い動きをしても静と動のメリハリがビシッと決まっています。そして、カンテ(歌)を受けて湧き出す動きを見事にコントロールしています。今回のフェスティバルはバイレの公演が少なかったのですが、こんなにレベルの高い、がっつりフラメンコな公演が一つ観れれば、十分満足。
エンリケは日本でもおなじみのベテラン、そしてルビオは10年以上前に知り合っていたのですが、ここ数年で別人のようにルックスが変化。サラ・バラス(Sara Baras)の公演で来日もしていたのですが、気がつかないくらいスマートに!しかし、声を聴けばすぐ分かりました。この夏は、エル・ペレ(EL Pele)やマイテ・マルティン(Mayte Martin)らのトップ歌手とともに、アンダルシアのフェスティバルからも声がかかり、周囲の評価もどんどん上がってきているようでした。元はスーパーで働いていたルビオがフラメンコの世界で生きることをきめ、才能を開花させてフラメンコ界で活躍している姿は、前にご紹介した歌手のペドロ・グラナイーノ(Pedro el Granaino)と通じるものがあります。スペインには、フラメンコのファミリアに生まれ、フラメンコアーティストへの道が半ば開かれている人もいれば、努力とアフィシオン(Aficion:フラメンコへの情熱)で力をつけ、アーティストへの道を進んでいる人がいます。
フラメンコのファミリアに生まれたアーティストと言えば、今回「バルコニーからのフラメンコシリーズ」に2度登場した歌手のサロメ・パボン(Salome Pavon)。「パボン」という名字でフラメンコ通の人はピンとくるかもしれませんが、父は最初のフラメンコピアニスト、アルトゥール・パボン(Arturo Pavon)、母はカンタオールのマノロ・カラコル(Manolo Caracol)の娘の歌手ルイサ・オルテガ(Luisa Ortega)。父方の祖父は父と同名のアルトゥール・パボンで、歌手のトマス・パボン(Tomas Pavon)、パストーラ・パボン(Pastora Pavon=ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(Nina de los peines))の兄。カンテ・フラメンコの歴史を創ったファミリーの出身で、カンテファンにとっては、今、羅列したアーティストの血を引く人が目の前にいるだけで、興奮してしまいそうな血筋です。たまたま、劇場では座席が近く、いつも金髪をふわりとさせてかっこいいヒターナ!という雰囲気のスペイン美女。ご主人で、父は闘牛士、母はバイラオーラという名門ヒターノ出身で闘牛とフラメンコのジャーナリストであるホアキン・アルバイシン(Joaquin Albaicin)にエスコートされていました。
そのサロメの歌を生で聴くのは初めてでしたが、さすが「持ってる」というのが第一印象。バルコニーからのマイクテストの時のさりげない観衆への声かけからも、生まれながら端から見るとすごい世界の中で自然に生きてきた気負わない気さくと品格が感じられました。その歌は、オーセンティックで心地よく、自然にフラメンコを感じさせてくれるもの。カンテに向かう真摯な姿勢が素敵でした。個人的には、こういうフラメンコもこれからもっと聴きたいなと思いました。
とりあえず踊れる、歌える、弾けるだけではプロとはなれないレベルの高い本場スペイン。そこで活躍するアーティスト達をこれからもご紹介していきたいと思います。
写真/FOTO : Sin credito(C)Flamenco On Fire /Javier Fergo otros その他:Makiko Sakakura
映像/VIDEO: (C) Deflamenco.com
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