若手がめきめきと台頭してきた1990年代後半から現在に至る日本のフラメンコを語るとき、今枝友加が担ってきた役割、存在感はあまりに大きい。ここ20年の間に、日本のフラメンコは大きな変貌を遂げたが、今枝は、その変化を最も顕著な形で体現したアーティストだからだ。


彼女の存在感の核になっているのは、カンタオーラとしての傑出した才能だ。深く沁み渡るヒターナ声、日本人離れした発声や節回し、それは天性の資質を感じさせるものだ。加えて鉄火肌な気風の良さは観客のみならず若手アーティストたちのカリスマ的存在に彼女を押し上げた。
2002年、日本フラメンコ協会主催新人公演で奨励賞を受賞。以降、破竹の勢いで活躍の場を広げた。当時、今枝の登場に日本人カンテの実力もここまで来たか、という感慨を多くの業界関係者、ファンは持ったはずだ。しかも奨励賞受賞の翌年、なんと今度はバイレ・ソロ部門でも独特のアイレを放った踊りで奨励賞を獲得。そこで彼女が発したメッセージは、カンテが分かっている人の踊りは違う、というものではなかったか? 
バイレ全盛の流れの中でフラメンコの要はカンテであり、フラメンコ舞踊がフラメンコたるにはカンテの理解が不可欠であることを、皆頭では理解していた。彼女はそのことを身をもって示したのだ。20年前の日本のバイレと現在のそれとの際立った違いに、踊り手たちの音楽への傾倒がある。日本のフラメンコにカンテはなかなか浸透せず不毛の時代が長らく続いたが、今や踊り手たちがカンテを口ずさむことは珍しいことではなくなった。このところ増えているカンテ人口の多くは踊り練習生たちである。今枝のフラメンコが踊り手たちのカンテへの関心を喚起したであろうことは想像に難くない。さらに彼女とほぼ時を同じくして、続々と実力ある若い歌い手たちが現れた。それは、明らかに日本のフラメンコシーンのありように変化をもたらしたのだった。
去る1月23日、六本木のスィートベイジルで行なわれたリサイタルは、ここ10年の今枝の"勢い"をまさに体現したものだった。彼女のこれまでのコンサートに参加してきた総勢18名ものアーティストたちが一堂に会し、会場が揺らぐほどのパワーを見せつけた。そして今枝は、このコンサートを最後にすべての活動に区切りをつけ、ギタリストの夫こうづゆうじと3歳になる息子とともにスペインへ渡った。何を思い、彼女は今旅立ったのか、渡西直前の今枝にインタビューした。
渡西記念リサイタルの炸裂
――スィート・ベイジルでの渡西記念公演、ステージも客席も大変な興奮でしたね。出演者全員のパワーが、終始ステージ狭し!とばかりみなぎっていました。
今枝 はい。渡西前の公演ということで皆凄いテンションでした。私が気張らなくても、共演者みんなが私のいいところを引き出してくれました。私、甘えるの得意じゃないですけど、今回は仲間たちに本当に支えてもらいました。
――ドラマチックで変化に富んだ構成。多摩美シリーズ(今枝がリーダー格になって行っている多摩美術大学フラメンコ部OGによる超エンターテイメントな公演)の笑いのテイストとは違いますが、リサイタルでも面白い試みがたくさんありました。シリアスだけど、笑いのスパイスもちりばめられていて今枝公演ならではの作品。ああいう作品では台本があるのですか?
今枝 台本はないです。今回は、詩との絡みを軸にしたので、必ず読みあげたい詩をまず私の方から提示しましたが、あとはイメージを伝えてカンタオール(ダニエル・リコ)に詩を選んでもらいながら作っていきました。タブラオではないので、いつもの「笑い」のテイストとも違う方向性を意識しました。
――織り込まれた仕掛け、演出は今枝さんが考えたものですか?
今枝 最終的にまとめるのは私ですが、皆で作っていきます。練習しているとああしたらいいんじゃない?というアイデアがいろんな人からでてくるんです。周囲が面白半分に言ってきたことを、私、拾っちゃうんですよ。いいなと思ったらどんどん採用していきます。。
今枝友加 インタビュー
――今回のリサイタルも、これまでに重ねてきた多摩美グループでのステージ作りが、下敷きにあると感じました。多摩美グループの公演は、フラメンコに笑いのセンスを盛り込んだ独特のもの。徹底したエンターテイメントで観客を沸かせます。ただ、ああいった芸風には、賛否両論あったと思いますが、今枝さんとしては、どこに向かっていたんでしょう?
今枝 笑いの世界ってすごく難しいですよね。シリアスなものというのは一生懸命やればできちゃうんですけど、笑いはそうはいかない。でも、フラメンコにもそういうチャレンジが必要じゃないかと思ったんです。「フラメンコであんなことやっちゃっていいの?」っていう声も聞こえてきたし、特に上の世代の人たちたちからは厳しい意見もありました。実際、かなり危い部分もあったと思いますけど、"笑い"っていきなりトライしてできるものではないでしょう? まだ馬鹿なチャレンジが許される年かなって感じでやってきました。
――新しいフラメンコを作りたいとか?
今枝 それはないですね。自分たちが楽しみたいというのがまずあって、やってみたら、これ新しくない?みたいな感じ。そういう路線はこれまでになかったですから、やるしかなかったんです。やってみなきゃ始まらないし、何がいいのか悪いのかもわからない。
――フラメンコに笑いをとりこんで、エンターテインメントなステージを作ろうとしたとき、気をつけたことはありますか?
今枝 内輪ノリにならないことですね。自分たちだけで盛り上がっちゃうのは避けたいと。でも、お客さんも知り合いが多いから結局最後は内輪みたいな感じなっちゃうんですけどね。 
――なるほど。でも、そこだと思うんですよ、あの軽妙にショーアップされたエンターテインメントなステージを誰に見せるのか? 観客は身近なファンが多っかったですが、義理でもファンの予定調和でもなく、思いっきり切り笑い楽しんでいたと思います。エンターテイメントとしてのクオリティは高いものでした。これって実はフラメンコでは画期的なことです。そういう舞台、それまではなかったんですから。でも、このまま今枝さんたちはどこへ行っちゃうんだろう?みたいな不安はありましたね。ここまでやるんだったら、芸能とか演芸とかショービジネスの世界に殴りこみかけちゃえばいいのにって思ってましたよ。そんなふうに今枝さんはこれからどこに向かうんだろうと、陰ながらドキドキして見ていたら、一家でスペインへ渡るという報が入ってきたのです。
一生に一度のバカンス、神様からのプレゼント
――これまでもスペインへはよく行かれていたのですか?
今枝 最後に行ってから6年になります。頻繁に行っていた時期もありますが、長くても1、2カ月いう感じでしたね。
――今度はどのくらい?
今枝 まだはっきりとは決めていません。最長で3年、と思ってはいます。ビザを申請中で降りたら一度取りに戻ります。
――なぜ今スペインだったのでしょう? スペインのフラメンコにどっぷりつかってみたいという欲求があったのですか?
今枝 ということでもないのですが、子供が3歳になって、長期で行けるのは小学校前の今しかないと。子供が1歳を過ぎたころ病気をしたり、私も子育てと仕事の狭間でぼろぼろになってしまったんです。この状態は続けられないと、去年の5月のライブを最後に活動を中断しようと一度決めました。その後東北大震災が起こってしまい、今歌わないでどうする?という気持ちになって、チャリティだけはやることにしたんです。そうしたら周りは「あぁ、またやるのね」っていう感じでドンドン仕事の依頼が入って休止撤回状態になってしまった。そうこうしているうちに、「あぁ、日本にいたら仕事は辞められないんだな」と悟りました(笑)。日本にいれば仕事から解放されない。それはありがたいことですけど、このままではいかんと。ならばスペインへ行ってしまおうと思ったわわけです。
――子育てと仕事の両立は難しかったのですね。
今枝 私には難しかったですね。上手く気持ちの切り替えができないのです。子育てしている時でも、仕事のことを考えてしまう。本番を控えていると子供と一緒にいても練習したくなっちゃうんです。私、なんでもゼロか10になっちゃうんですね。"ほどほどうまく"ができない。それでは子供と向きあえない。
――なるほど。
今枝 だから、今回のスペイン行きはレッスンが目的とか、ライブに通い詰めるとかは考えていません。日本にも仲間はいるし、正直何が何でもスペインへ行かなきゃという感覚はあまりありません。今回は、子供とのバカンスだと思っています。一生に一度のバカンス。子供優先です。だから、期間もはっきり決めていないんです。向こうの生活が合えば長くいるだろうし、合わなければ意地を張らずに帰ってくるつもりです。
――どこの町に住むのですか?
ヘレスです。フラメンコ博物館の近くにピソを借りました。
――フラメンコが目的ではないけれど、やっぱりヘレス?
今枝 ヘレスのゆったりした時間の中で生活してみようと思っています。私、どこにいてもやること探しちゃうんです。うまくOFFなれる人っていますけど私はそれができないのです。だから状況をOFFにしてしまおうと。学生時代からずっと走り続けてきました。今回のことは、神様からいただいた人生最初で最後のバカンスと思っています。
――それでもヘレスだと。フラメンコのメッカです。
今枝 初めてヘレスへ行った時に、タクシーの運転手さんに「お前、フラメンコ知ってるか」っていわれて、「うん、ちょっと」って答えたら車を止めて
歌わされて、「まぁまぁやるな」なんていわれたことがあったんです。あぁ、ここではタクシーの運転手さんにこんなことされるんだって。スペインへ行こうと思ったときに、その時のことが頭に浮かびました。
今枝友加 バイレ
――また、そういうアンダルシアのフラメンコおじさんたちに会いたい?
今枝 いえ、そういうことではないんです。 やはりヘレスに行った時に、子供たちのカンテコンクールがあって聴きに行ったことがあります。そこにはマカニータとかホセ・メルセーとか、とんでもない大者たちの子供や孫が、いっぱい出ていました。子供たちの合間におばあちゃんも歌ったりしてね。自分の家の子供が出ると一族総出で熱狂的な応援が始まる。子供たちの歌もおじいちゃんおばあちゃんたちの歌もそれはすごかった。そこには脈々と受け継がれてきた、私たちには絶対は入れない世界がありました。こんなに感動できるフラメンコがあるんだったら、なにも私があくせくフラメンコやらなくてもいいんじゃないかと思いましたよ。たまにいいフラメンコを見て奥さんになって家庭に入るのが一番じゃぁないかってね。ヘレスでならそういうことができる気がした。半端な意欲なんか持ってヘレスに行ったら、ガツンとやられてほんとにやめちゃいそうで怖いです(笑)。だったら最初から無欲で行った方が、やめないで済むような気がする。
――確かに。それはフラメンコに真剣に向き合う日本人がぶつかる壁ですね。
今枝 若い頃スペインへ行った時には、めいっぱいレッスンを受けて、詰め込んでやってましたよ。そういうやり方で学ぶこともあるとは思いますが、私はそれは数年前に卒業しました。向こうで詰め込むだけ詰め込んで日本に帰ってきて、それで何が身につくのだろうと疑問を感じるようになったんです。向こうのアイレを吸収したいと思っても付け焼刃では本質は何も変わらないしね。セビージャの慌ただしい生活は、たとえそれがフラメンコでも、今の私には必要ない気がします。だから、今回はへレス。普通に近所づきあいして友達たくさん作りたいですね。
――肩の力を抜いて、向こうの当たり前の生活をするわけですね。 それは逆に今まで走り続けてきた今枝さんにとっては刺激的というか、生活の変化は大きいのではないですか。そこから得るものはたくさんあるような気がします。本当の充電! 
今枝 やっぱりヘレスですからね、時々はペーニャに行ったりもするでしょうし。でも、今回は歌い手今枝友加がどう変わって帰ってくるか?は、あまり期待しないでほしい。がつがつ、あくせくは今回はなしです。
――いやいや、大いに期待しますよ。そうした生活の中だからこそつかめるなにかがあるように感じます。"OFFが不得手の今枝友加"は当たり前の生活の中でもアンテナの感度は落ちないですよ、きっと(笑)。ヘレスの近所づきあいですよ、そこからだって、超コアなフラメンコがこぼれ落ちてきそうです。その中でどんな変貌を遂げるのか、予想がつかない。楽しみです。ところで教室はどうされるんですか?
今枝 いったん閉鎖しました。生徒さんたちをあちこちの教室に送りだしました。
――それは大英断でしたね。
今枝 私が帰ってくるまでずっと待ってるなんて言ってくれる生徒もいたし、私も生徒さんたちに対しては情も感情移入もあるから、踏ん切りをつけるのは難しいのですが、教師の側がそういう気持ちに流されてはいけないと思うんです。教える側と教えられる側の適正な距離というのが必要です。そう思って決断しました。
――今枝さんらしい潔い決断ですね。迷いはなかった?
今枝 なかったですね。お別れといっても2、3年なんてあっという間ですから。去年の5月頃のある晩、スペインへ行くのは今だ!もう行くしかない!っと思った瞬間があったんです。今と思ったら今しかない。そうしたら眠れないくらい興奮してしまって。即決しました。そこからすべてが少しずつ動き出しましたね。
――教室も閉めて、自宅も引き払って、全てをリセットしての再出発ですね。不安はありませんか?
今枝 あまりないですね。何とかなる気がしちゃってるんです(笑)。もうよけいなことは考えなくていいかなと。この間荷物の整理をしていたら、カンテを歌い始めたころの資料、レトラやメモが山ほど出てきました。あぁ、夢中で練習してたんだなぁと、初心を思い出しました。
――以前伺った話では、バイレはたくさん練習したけどカンテはほとんどしていないっていってましたよ(笑)。
今枝 いや、してたんですねぇ(笑)。特にインプットの方のね。書いてあるノートもぼろぼろで、歌をとるための練習はやっぱり半端なかったんだなぁと。スペインで生活することは、やはりなにかしらプラスになると思います。レッスン通いしないなりに、特に歌は何か変化があるかもしれませんね。
――きっとそうだと思います。思いっきりスペインの太陽を浴びて空気を吸って、お子さんとの時間を堪能して、充電なさって来てください。より豊かなフラメンカになって、私たちのところへ戻って来てくれる日を待っています。今日は渡西直前のお忙しい中、ありがとうございました。
インタビューの間中、まるで自分に言い聞かせるように、彼女は「フラメンコ修行に行くのではない」と繰り返した。それは、彼女なりの覚悟のように感じられた。母としての覚悟。その奥に一時封じた、だが厳然としてあるフラメンカとしての覚悟......。渡西前日、今枝から一通のメールが届いた。
「元気に行ってきます。日本の仲間たち、フラメンコのためになるお土産を探してきますね」。

写真 大森有起 高瀬友孝

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