カディスの風が吹いた。どえらい岩手の風も吹いた。
11日、渋谷桜ホールで行われた中田佳代子フラメンコ公演「追憶~Reminiscencia de Cai~」東京公演。


中田佳代子が一世一代の思いを込めチャレンジしたこの大プロジェクトは、
大きな実りを実感することのできる、すばらしいものだった。
最初こそ、やや硬さが感じられたものの(でもそれも佳代子流に見せてしまう)、
終始一貫して中田佳代子は中田佳代子であり続け、
カディスのツワモノたちを率いて一歩も引かず、
堂々たる座長ぶり。肝の据わった舞台。
猪突猛進、まっしぐらな中田の潔さ、気風の良さ、可愛らしさが
彼女の全身から溢れ、観客はそんな彼女に魅了された。
舞台奥に大きなスクリーンが張られ、
要所要所でカディスの映像が映し出される。
その映像に導かれるように、会場はカディスの様々なシーンに、フラメンコに
没入して行く、という仕立てだ。
プログラムには歌がたっぷりと組み入れられ、
カディスのフラメンコを丸ごと表現するにふさわしい選曲。
これほど「カディス」を打ち出した作品も珍しいが、
カディスの粋なグラシアと哀愁を満喫することができた。
陽気なエンタテーナー、パコ・レジェス、
切ない歌心がにじみ出るラウル・ガルベス
カディスの太陽のような色香と重厚さを併せ持ったマイ・フェルナンデス。
歌い手たちは三者三様の魅力を聴かせてくれたが、
私はマイ・フェルナンデスの歌に特に心打たれた。
中田は、カディスとの出会いをフィーチャーさせた普段着のブレリア、
思いをグッと内側にため込んだ硬派なソレア、
岩手民謡とジョイントしたマルティーネーテ、
バタ・デ・コーラのアレグリアス、
そしてカーニバルの中でめちゃくちゃ楽しいタンギージョを踊った。
こうして書き上げると随分沢山踊っているが、一つ一つが変化に富んでいたせいか、歌がしっかりクローズアップされていたせいか、出ずっぱりの印象はまったくない。
中でも、故郷岩手を代表する福田こうへいとのマルティネーテは圧巻だった。
カディスの歌い手たちによる、濃厚なフィエスタの後場面は一転、スクリーンには岩手の山が映し出され吹きすさぶ風の音が重ねられる。
東北の暗いうねりが、どこかフラメンコの黒い世界とつながる不思議な空間。深い陰影の照明が効果的だ。
福田こうへいが無伴奏で岩手追分(この日のために構成されたと聞いている)を歌う。
中田が踊る。さらにラウルとパコのパルマ、大儀見元のパーカッションが加わる。
カンテから福田の歌への転換がきわめてスムーズで違和感がない。
パンタロンの衣装もさりげなく自然だ。
そして何よりグッときたのが、岩手民謡と中田の動きが自然でマッチしていたことだ。
切れ味よく、歌に切り込んでいくように踊りがからむ。
後半、たたみかけるようにサパテアードが重ねられるが、歌と踊りは一つの大きなうねりを創出した。
それは、いわゆるコラボの域を超えていた。
なんという説得力。
ルーツをたぐりよせるとはこういうことか...。
これまでの中田が経験したであろうさまざまな思いが舞台を駆け抜けた気がした。
こちらも興奮で、目頭が濡れた。
観客が一番熱狂した瞬間だった。オレ!とブラボー!が飛び交った。
カディスと言えばカーニバルだ。
ラストはめちゃくちゃご機嫌なカーニバル・シーン。
客席も一緒になってハレオを掛け合い、
出演者たちが客席を練り歩く一幕も。
会場が一つになって盛り上がり、舞台は終わった。
一つだけ。惜しむらくは、やや冗長気味になったフィン・デ・フィエスタ。
カーニバルのあとは、ストレートにカーテンコールで良かったと思う。
2012年夏、
中田佳代子は、一回りもふた回りも大きくなって、
私たちの所に帰って来た。
中田らしい今後の活躍に、ますます期待が募る。

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