踊りの人も、ギターの人も、歌の人も、フラメンコをやりたい人はすべてここから、「リズム感=コンパス」の習得からスタートしたらよいのではないという、私の中に芽生えていた漠然とした思いが、「松ちゃん先生」こと松村哲志さんの2つのクラスを通して、確信に変わった。


conpas12.17peinto.jpgシティオ塾「歌いたくなる!コンパス講座」「フラメンコが楽しくなる!リズム講座」ともに、今年最後のレッスンを終えた。コンパスクラスの方はロイドのメンバーも全員駆けつけてくださっての最終レッスンとなった。
この2クラスは、私も生徒として参加しているので、そこで感じたことを今年の締めくくりとして書いてみたいと思う。
なぜ振りを追いかけることしかできないのか? コンパスを感じる、コンパスでコミュニケーションするってってどういうことなのか? そもそも自分は正しくコンパスに乗れてれているのかいないのか? 
初心者はもちろんのこと、フラメンコを長くやっていればいる人ほど、「フラメンコは難しい」という袋小路に入ってしまうようなところがある。
もともとリズム感に苦手意識を持っている人は多いし、「リズム感はうまれつきのもの」みたいな思い込みがどこかにあって、一番の肝心要なそこをなかばあきらめたまま、フラメンコを続けてる人って少なくないんじゃないかな? 
フラメンコというのは、アンダルシアの人々の生活の中で連綿と受け継がれてきたもので、元来、スペインのフラメンコたちは、皆、家庭の中で門前の小僧よろしく、身につけていったのだ。もともと論理的に体系化されたものではないから、いざ、頭で理解しようとすると、なかなかひとつの形・枠組みの中には収まってはくれない。はたまた確立されたメソッドなどあるはずもなく、外から入ってきた人間がいざ理解しようとすると、フラメンコはとてつもなく難しいものになってしまう。だから、多くの日本人は「フラメンコは難しい」と、うなだれ眉間にしわを寄せたまま、突き進むしかなかったのでしょう。
だが、しかし、私は発見しちゃったのであります。松村哲志という、傑出した能力を持つ「フラメンコ」の解読者を。
天才的なセンスを持った人ならいざしらず、私のような凡庸な人間が、幸か不幸かこの難しいフラメンコにハマってしまった時、才ある「解読者」の存在は極めて大きな意味を持つ。一人ではほとんど解読不能な部分が、解読者によって理解できるようになるからだ。フラメンコについて客観的に認識できる事柄が、格段に増えるのだ。しかもそれは理屈だけじゃない。リズムもまたしかり、いやリズムこそ、解読者のリードが、とっても大きな効果をもたらしてくれる。
解読者=分析者というのは、おうおうにして、頭で物を考え理屈で道をつけようとする。つまり頭が硬い。
が、「松ちゃん先生」の場合は、もっと感覚的、動物的だ。多分、彼の頭のなかはかなり論理的分析も行われていると思われるが、彼の口から出てくることばは、極めてシンプル、とてもわかりやすい。さらに、彼のギターから、唄からから、口三味線から、繰り出されるコンパス感が、最高なのだ。
松村さんがリーダ-を務める「フラメンコロイド」の意味、知ってますか? 
ロイドって「もどき」っていう意味なんですよ。つまり「フラメンコもどき」。
アルティスタが、普通自分で自分のことをニセモノっていわないですよね。
でも彼はそう宣言しちゃうんです。「俺達日本人のフラメンコなんてもどきさ」って。もちろんそれは、いわずもがな、あまりに偉大なスペインに対するリスペクトの裏がえしとしての「もどき」ですが。
でも、不思議なものですよね。「もどき」と宣言した途端「もどき」の卑屈さ、コンプレックスから彼は開放されちゃうんです。自分のことをそこまで突き放して、ある意味開き直ってしまうと、逆に、フラメンコに対して精神的なゆとリとか、純粋な遊び心とかが出てくるんでしょうね。そして、ここ数年の間に彼はドンドン自由になった。するとますます、彼自身フラメンコが楽しくなる! この流れの中に優秀な解読者としての彼も存在していると、私は感じています。
前説が長くなりました。
が、とにもかくにも、「松ちゃん先生」のおかげで、どれだけの「目からうろこ」があったことか! どれだけ「フラメンコな時間」を過ごせたことか。
ちなみに、今年最後の(コンパスクラス)レッスンでは、ギターや、パーカッションや歌が打ち出すリズムをいかに感じるか、というレッスンが行われた。
例えばパソ・デ・ブレリアのコンパスを身体で(振りではありません。パソの形にすらこだわらない)どう表現するのかを、アクセントの位置のみに波動を合わせ、それぞれが自由に思うままに身体を動かしながらやってみたのです。
そうするとね、最初は動かなかった身体が少しづつ動き出して、だんだん身体でリズムをつかめるようになっていくのです。
パソ・デ・ブレリアのタンタンのアクセントが聞こえてくるのです。それが感じられるようになったら、今度は頭にアクセントを置いてマルカールしてみようってことになった。そう、コンパスが身体に流れていれば、あとはどんなリズムあそびもできるようになるってわけです。
このことを体験した時の興奮、わかってもらえるかなぁ?
私はこういうことを言葉ではなく実感を持って感じたいと長い間、思い続けてきました。取材者としてはそれなリの数のフラメンコを見たり聴いたりしてきたつもりですが、フラメンコはそこからではわからないことが、少なくとも私にはたくさんありました。
あぁ、こういうことだったのか、これでよかったのか、そこはこうだったのか...。私は質問魔になって、一つ一つ「松ちゃん先生」に確認していきました。帰ってくる明快な応え。長い間、頭のなかで渦巻いていた疑問の先に明かりが見えた瞬間でした。ひとつ腑に落ちると、目の前がぱぁっと開けてくるのを感じました。
そして、これが「松ちゃん先生」のレッスンから得た本日今年の結論です。
フラメンコはコンパスが大事。
ならばまずリズムレッスン、コンパスの習得から、フラメンコは取り組むべき。
これなしにどんなに振りやメロディで上塗りしていっても、それは砂上楼閣にしかなりません。っていうか、結局こっちが近道な気がするし、なによりフラメンコが楽しくなる! 
あえて付け加えますが、アルティスタたちが、一生をかけて追求していく「コンパス感」は、また別の次元の話です。フラメンコを楽しめるようになるために、フラメンコをフラメンコとして身に付けるために、最低限必要なコンパス感があるということです。
まぁ、実際はこうして文章にかくほど。簡単に身体は動きませんが、物事の一つひとつを具体的に体得理解できれば、あとは練習あるのみだもんね。バモー!
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