あの日から、
もう1週間も過ぎたなんて信じられないけれど、
あの時確かに、私はフラメンコの光の中にいた。
そんなふうに思える
素晴らしいフラメンコ体験をさせてもらいました。
10月30日にアクースティカ主催で行われた
「ルイス・ペーニャを囲んでフィエスタ!。
今年の盛り上がりは、半端なかったです。
このフィエスタ、
当世はやりの、とにかく楽しい、
気軽なフィエスタとは、
かなり趣が違います。
それは、フラメンコとして本来の、というか、
昔ながらのスペインのフィエスタの流儀を
尊重して行われるフィエスタだからです。
ルイスのフィエスタでは、
楽しさだけではなく、
フラメンコへのリスペクト、
フラメンコでは一番大切とされるアフィシオンを
参加者にも求められるのです。
「求められる」とは、
そういう硬派な雰囲気を
フィエススタに生きてきたルイスは、
その身にすで携えているので、
それが自然に伝わって、その場の空気ができるということです。
それは、
ルイスが日本で
フィエスタのブレリアのクルシージョを始めて10年、
うちでのフィエスタは4回目。
この年月の間にルイスを軸にした輪が、
ここ日本でも育まれてきた
ことの証でもあります。
そう、本来のフィエスタが成立するための
いわば条件が、
できてきたということです。
こんなことを説明的に描くと、
説教臭くて、堅苦しいイメージが
あるでしょう?
でも違うんです。
その日のフィエスタは!
最初の口火こそ、
ルイスが切ってくれましたが(今年はルスのソレアから始まりました)、
そのあとはもう、
のっけから、参加者たちの自発的なアルテで盛り上がっちゃったんです。
途中大阪からの参加者がカンティーニャを歌い出すと、なんとルイスの初バイレ・デ・カンティーニャまで飛び出しました。
本来フィエスタには、演者と観客を隔てるものはありません。
参加者全てが、その時時で主役になったり脇役になったりしながら
アルテを共有していきます。
この日のフィエスタは、まさにそれで、
ルイスのアルテに共感する人々が参加者となり、
そのアルテを、大切に大切に
皆で共有し、膨らましてしていったのです。
大阪から参加したモロンテイストたっぷりのギター弾き、O君。
歌っても、踊っても、弾いても、渋好みなN君。
自身のアイレたっぷりに、この上なく粋に歌い踊るO姐さん。
ゆっさゆっさとコンパスに乗せて腰を揺らすブレリア娘、Mちゃんなどなど、
ツワモノ・アフィシオナード(ダ)がいっぱい!
でも、彼らは、
ただ歌いたい、踊りたい、見せたい、聞かせたい、
ではないのです。
そこにある互いのアルテを受け止め、
それにに触発されて、
導かれるようにうに誰かが歌い出したり、踊り出したりするのです。
こんなに自然で、自発的で、
ルイスを含めその場に居た全員が、
エネルギーとアイレを交換しあい、
フラメンコでコミュニケーションを重ねていく、
そんなフィエスタが、日本でもできたなんて!
しかもそれは、
閉鎖的でも緊張を強いるものでもなく、
解会場を満たしていたに空気は、
開放感そのもの(ここ大事!)。
フラメンコって、やっぱいいなぁ、
この場にいれて幸せだなぁ、
心底そう思わせてくれたフィエスタでした。
いつか、きっと、私も
心意気だけじゃなく実践で
ツワモノ・アフィシオナードの一人になるそ!、なんて
心密かに、誓ったKIRICOなのでありました。
このルイスのアルテを
10年にも渡り、日本に紹介し続けてきた
ルイスの一番弟子、井山直子さん、
それをサポートし続けた俵英三さん、
二人の着実な活動が
長い時間を経て花開いた
そんなフィエスタでした。