スペインのセビージャで開催中のフラメンコ・フェスティバル、"ビエナル"。二日目以降は毎日、1日に3?4の公演が毎日開催されています。開演時間は19時、20時半、23時。日によっては12時からの公演もあります。定時に始まればハシゴする人もまずまずの余裕で移動できるのですが、15分押しで始まったり、公演時間が長引いたりして、ややマラソン状態です。幸い(?)、次の公演も定時に始まらないので、なんとかなっていますが、ヒヤヒヤは厳しいですね。
フラメンコは、そもそも歌から始まり、やがてギター伴奏がつき、踊り=バイレが生まれました。日本ではフラメンコ=バイレというイメージが強いのですが、歌やギターも、それぞれソロで「フラメンコ」なので、フラメンコのコンサートには必ずバイレがあるというわけではありません。しかし、バイレが入ると聴覚だけでなく視覚的に訴えるものも加わり、また言語を超えた表現としてはより分かりやすくなります。もちろん、それが効を奏するバイレのレベルによりますが。
そのバイレに一生を捧げてきたセビージャの4人のマエストロ達の公演がマエストランサ劇場で行われました。タイトルも「Bailando una vida」、踊り続ける人生を表すものです。
バタ・デ・コラ(裾が長い衣装)の名手、ミラグロス・メンヒバル(Milagros Menjibar)、クラシカルでエレガントなバイレでピラール・ロペスを彷彿させるアナ・マリア・ブエノ(Ana Maria Bueno)、多くの弟子たちを輩出してきたマノロ・マリン(Manolo Marin)、イスラエル、パストーラの二人の子供が今大活躍をしているホセ・ガルバン(Jose Galvan)。皆、セビージャ派のバイレを確立し、守り続けているアーティスト達です。もちろん、一口にセビージャ派と言っても、その中では彼ら4人は皆同じではなく、それぞれの個性、美の基準を持って、そのアルテを伝えてきていますので、長年の好ライバル同士とも言えるでしょう。その4人が一堂に介したこの公演。まとめ役のディレクターを務めたのは、以前アンダルシア舞踊団を率いていたルーベン・オルモ(Ruben Olmo)です。
公演前日のリハーサル。ちょうど二人ずつで踊るシーンのリハーサル中。監督のルーベンは、大御所たちのパフォーマンスをじっと見つめて枠組みを確認しているようでした。終了後お話を伺うと、非常に丁寧に優しく対応していただき、舞台で見るカリスマティックな姿とは違う、親しみを感じました。今回の公演は3ヶ月くらい前から実際の制作に取りかかり、リハーサルを始めたのは3週間前。出演者全員の体力的なことも考えて、短い時間、少ない回数でより内容の濃いリハーサルにするように心がけてきたそうです。確かに、最年長のマノロ・マリンは1936生まれ、最年少のアナは1955年。とはいえ、本番では「身体が動く限り踊り続けるぞ!」とホセ・ガルバンが宣言してくれたのは、なんとも嬉しい言葉でした。
舞台にはまず4人全員が登場。それぞれ楽屋の姿見を見立てたような枠組みの中で、ウォーミングアップ的に曲に合わせて踊っています。この時点で、それぞれのキャラクターの違いがよく分かります。舞台上の背景や紗幕でプロジェクションを使った現代的な演出と各マエストロの踊るストレートな伝統的フラメンコが違和感なく繋がっていました。内容は各自のソロが一曲ずつとミラグロ&ホセ、アナ&マノロのパレハ(=ペア)の踊りが一曲ずつ。
若い頃のアナ・マリア・ブエノの写真が映し出されると、そのままフラメンコダンサーのフィギュアにできそうなくらい美しくバランスのとれた姿。ほっそりと長い手足に小顔。そして優美な腕や手の動きに女らしさが引き立つ首の角度。シギリージャ(シリアス系の曲種)を踊り、絶妙なパリージョ(カスタネット)や激しいサパテアードが入っても、ウエストから上はノーブルに穏やかなまま。クールビューティーを保っているところはさすがです。有名なコンク?ルで受賞し、高く評価されるようになっても、観光客が多く訪れるタブラオでの仕事を現在でも続けておられるので、セビージャを訪れる方はその踊りが見れるチャンスがあります。
ホセ・ガルバンのソロはソレア。まずは、ラファエル・ロドリゲス(Rafael Rodriguez)のギターが語りかけるように響きます。そして、フアン・レイナ(Juan Reina)のカンテで気持ち良くソレアが始まります。このギター、このカンテでのマエストロのバイレとの三位一体はフラメンコならではの郷愁と次の展開へのワクワク感を与えてくれます。つくづく、バック、つまりカンテとギターの大切さを感じました。音楽により感情を揺さぶられ、時には逆に踊り手の気迫に音楽が押し上げられ、フラメンコという他にはない芸術の醍醐味が味わえます。ソレアはフラメンコの曲の中でも、深い感情、それも悲哀や愛ゆえの苦しみを表現する曲です。そして最後はブレリアという曲種に変わり、その悲しみをおどけて吹き飛ばすかのように速いテンポで終わります。その流れをまさに人生のワンシーンをたどるかのように自然に踊るホセ・ガルバン。60年代からのタブラオ黄金時代に活躍し、1977年に設立したアカデミアからは、息子のイスラエルの他にも、現在活躍している多くのアーティストが育っていきました。シルエットだけで誰の踊りかがわかる、そしてちょっとした動きや身体の使い方で誰に習ったかわかるほど、マエストロたちは確立したスタイルを持っています。しかし、それは奇をてらったもの、目立つだけのものではなく、粋な表現方法とでも言うものでしょうか。ホセのバイレを見ていると、娘さんのパストーラがそのスタイルをよく受け継いでいることがわかります。"血"によってこそできる継承というのもあるでしょう。
ミラグロスのソロは、もちろんバタ・デ・コラを纏ってのアレグリアス。アレグリアスはカディスが代表的な曲なので、港町、海がつきものですが、今回は海の中でも夜の海。バックスリーンに静かに波立つ海と月明かりが映し出されている中でのバイレ。見事なバタ捌きとカンタオール4人と一人一人絡みながらのグラシア(愛嬌)溢れるパフォーマンス。セビージャにフラメンコ留学された方は、ミラグロスにバタを学んだという人も多いと思います。
ソロの最後は、マノロ・マリン。今年80歳になられますが、ブレリアの場面になると無邪気な少年のようにすら見えます。机を囲んでカンタオール達と座って、まるでバルの一角にいるような場面からスタート。踊り手としてだけではなく、コレオグラファーとしてもアンダルシア舞踊団、スペイン国立舞踊団、カルロス・サウラの映画「カルメン」、92年のセビージャ万博での公演などフラメンコを代表するシーンに関わってきたマエストロです。セビージャの男性のバイレの確固たる一派の長。色々書くよりも映像をご覧いただいた方が良いと思います。89年のものがこちらにあります。これはブレリアという、曲の最後やフィエスタで踊られることの多い、速いテンポの曲です。サパテアード(足で打っているリズム)がパーカッションのように音楽の一部になっているのが良く分かると思います。
パレハ(=ペア)での踊りでは、スペインの詩人、ガルシア・フェデリコ・ロルカの「ソロンゴ・ヒターノ」をミラグロスとホセが、そして、アナとマノロは、タンゴ・デ・トリアナ。これはリハーサルで見させてもらったパートですが、"振付"という言葉が全く浮かばないくらい、自然に身体に染み付いた動きが音楽によって引き出されているように見えました。悲しい曲調、嬉しい歌詞、切ない歌詞とメロディー、etcが引き出す踊りがフラメンコであり、それが自然にできる人たちだからこそ真のアーティスト、マエストロであるということを強く感じる公演でした。
今年は公演に先立った記者会見が少なく、コンセプトを事前にアーティストの言葉で聞く機会が減ってしまったのですが、今までとは違った距離感での会見が一部のアーティストと行われています。アントニオ・エル・ピパ(Antonio El Pipa)とアンドレス・マリン(Andres Marin)とは、ブレックファースト形式。場所はグアダルキビル川沿いのトリアナ地区にあるレストラン。ガラス張りの向こうには、黄金の塔(Torre de oro)が目の前に見え、テラス席もあり、昼も夜もセビージャを満喫しながら食事するには最高のシチュエーション。余談ですが、セビージャF.C.に移籍した清武選手も来たことがあるとのことです。(Restaurante Abades Triana (C/ Betis, no 69). Sevilla)
衣装、舞台構成、音楽、全く違うタイプの作品を公演する二人。作品についての話の後、新聞などによる批評の話になり、批評によってアーティストの名前や今後の仕事に与える影響にも触れられました。プロの世界は発表会ではないので、何をやっても褒めれば良いというものではないと思いますが、明らかな間違いや不手際はともかく、それ以外は書き手個人の見解や知識の度合い、また読者層によってもどこまで掘り下げるべきか、またどこまで説明した上で批判するかは配慮していかなければならないと思いました。ネット社会になり、情報だけでなく、個人の見解である「好き、嫌い」を誰もが発信できるようになりました。それをイコールそのアーティストや作品の正当な評価ととる前に、自分の目で確かめられれば良いのですが、それができない場合は映像を探して観たりするのもいいですね。
アントニオ・エル・ピパは、事故で腎臓に外傷を負うなどの不遇からの復帰への思いが、今回の作品「ガジャルディア(Gallardia)」に込められていると言います。ガジャルディアとは、颯爽とした様子、そして勇気、高潔であることを意味します。作品の中のカンテの歌詞にも「ガジャルディアを持ってこれから前に進んでいこう」と繰り返し歌われていました。また、ヒターノ(=ジプシー)の血を引く者として、同じくヒターノのフラメンコピアニスト、ドランテス(David Pena Dorantes)をゲストに呼び、ヒターノの民族歌である「Gelem Gelem」の演奏にバイレをつけました。
作品の中で目を引いたのが、衣装の豪華さ。黒、赤、白だけを使った8人のバイラオーラたちの衣装はまるでフラメンコのファッションショーのような華やかさでした。
アンドレス・マリンの作品は、昨年のミニ・ビエナルで上演されたもの。当初は屋外の会場で予定でしたが、前日から天候が危ぶまれ当日近くの劇場内での公演となったもの。前回と同じスタッフでしたが、会場や準備のコンディションも違い、音響や照明の完成度も明らかに上がっていました。1969年生まれの46歳。タイトな黒のシャツとパンツ姿で約1時間半一人で踊り続けます。音楽はベースとパーカッションによる効果音的なものとの絶妙な掛け合いもあれば、フラメンコギターや正統派カンテもあり、前衛的で自由な中にもフラメンコがしっかりと存在していました。
まさにタイトルの「カルタ・ブランカ(Carta Blanca)」。その意味と詳しい作品の内容は以前の記事をお読みください。なお、以前、舞台でアンドレスが身につけてた「鐘」。アンダルシアの人から「牛につける」もの聞き、そう書いていましたが、実は「サンパンツャル(Zanpantzar)」というカルナバルの期間のナバラ地方のお祭りで男性がつける衣装の一部ということが、今回判明しました。この場を借りて訂正いたします。
ホセ・バレンシア(Jose Valencia)のカンテ、サルバドール・グティエレス(Salvador Gutierrez)のフラメンコギター、ラウル・カンティサノ(Raul Cantizano)の絶妙なベース、と二度目でも十分楽しめた、いやむしろ二度目だからこそさらなる発見もあったように思います。舞台は生もの、特にフラメンコは全く同じはあり得ないもの。興味の湧くアーティストや作品は、機会があれば繰り返してみるとさらにその意味や思いが伝わって、人生の「お気に入り」が増えるかもしれません。
写真( FOTOS):無クレジットのものは cBienal de Sevilla Oficial / Makiko Sakakura
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