2016年のセビージャのビエナルでのヒラルディージョ賞受賞アーティストの中から、イノベーション賞 の ファミ・アルカイ&ロシオ・マルケス(Fahmi Alqhai y Rocio Marquez。コンサート名は、"Dialogos de viejos y nuevos sones")、新人賞のカンタオーラ(歌手)マリア・テレモト( MARIA TERREMOTO)、そして「カテドラル("Catedral")」で最優秀作品賞のパトリシア・ゲレーロ (Patricia Guerrero)の公演などをご紹介します。

Pack de fotos `Dialogos de viejos y nuevos sones´ 06b.jpg今回新たに公演会場の一つとなったサン・ルイス・デ・ロス・フランセセス教会(Iglesia de San Luis de los Franceses)は、セビージャのバロック様式の建築物の中でも特筆される芸術性の高いもの。セビージャに現存する、サンテルモ宮殿、サルバドール教会、ロス・ベネラブレス病院などを作った建築家レオナルド・デ・フィゲオラ(Leonardo de Figueora)によるもので、1699年から1730年まで実に30年以上かけて造られたそうです。しかし、その後、政治、宗教、経済など様々な事情で40年もの間、閉鎖されていました。それが2016年にようやく一般公開される運びとなりました。ビエナルの公演に先立っての内見記者会見の時に、地元の人々までも、新鮮に驚きの声をあげていたのは、長い閉鎖という事情があったからなのでした。

rycardo.jpgここで行われたコンサートシリーズ「バロックの光(La luz del barrco)」は、座席数が少ない上に、時間的に次の公演に間に合うには、最後のいいところで抜けなくてはいけないなど、いろんな意味で難関なコンサートでした。出演アーティストは以前の記事でご紹介しましたが、ベテランからは、ハイメ・エレディア"エル・パロン"(Jaime Heredia El Parron)、ドローレス・アグヘタ(Dolores Agujeta)やラ・トバラ(La Tobala)、そして既にご紹介したディエゴ・ビジェガス(Diego Villegas)の他にも若手の有望なアーティストが勢ぞろい。その中には、レブリハ出身の注目のギタリスト、リカルド・モレノ(Rycardo Moreno)もいました。ローレ&マヌエル(Lole y Manuel)の娘で歌手のアルバ・モリーナ(Alba Molina)のアルバムの作曲やアレンジを手がけたり、歌手のアレハンドロ・サンスやピアニストのドランテスのアルバム「SIN MURO」、また今年逝去された大御所カンタオール、エル・レブリハーノの最後のアルバムにも参加。ニューヨークに在住して音楽活動をした経験が、自分のルーツであるヒターノの音楽、フラメンコにも影響して、独特の感性が磨かれたようです。こちらの動画を見ると、その融合ぶりの感じが伝わるのではないかと思います。
残念ながら教会でのコンサートには行けませんでしたが、別の場所でギターソロを聞く機会があり、独学で身につけたという奏法で、フラメンコでありながらジャズのようなタッチは、なかなか個性的。「リカルド・モレノ」という名前は、スペインではサッカー選手から政治家まで"ありがち"な名前、ということで、リカルドの綴りの一部を「i」から「y」に変えたそうです。これによって運気アップ!したとのこと。画数は変わっていませんが、アルファベットでも姓名判断って有効なのかもしれませんね。

Pack de fotos `Dialogos de viejos y nuevos sones´ 03.jpgさて、この教会でビエナル期間中合計4回行われたのが、ファミ・アルカイとロシオ・マルケスのコンサート。4回あってもチケット入手困難という人気ぶりでした。
ファミ・アルカイは、バロック音楽界で世界的に注目されているセビージャのビオラ・ダ・ガンバ奏者。歌手、アルカンヘル(Arcangel)との作品「Las Idas y Las Vueltas」以来、フラメンコ界とも深く繋がり始めました。共演は、アルカンヘルと同じウエルバ出身の二人、カンタオーラのロシオとパーカッションのアグスティン・ディアセラ(Agustin Diaserra)。
オープニングは、ファミとアグスティンの演奏。海の波を感じさせる音色が表情豊かに繰り広げられました。そしてそこにロシオの歌でコロンビアーナ(Colombiana)。コロンビアーナという曲種はその名の通り、南米コロンビア起源の曲が、スペイン大航海時代に持ち帰られたもの。続いてフラメンコの曲、バンベーラ(Bambera)。ファミは、ビオラ・ダ・ガンバをギターのように抱えて演奏。17?18世紀に活躍したフランスのガンバ奏者、マラン・マレー(Marin Marais)の肖像画を思わせます。バロック音楽とフラメンコのレパートリーを織り交ぜ、タイトルの"Dialogos de viejos y nuevos sones"=古い謡と新しい謡の対話が続きます。

Pack de fotos `Dialogos de viejos y nuevos sones´ 05b.jpgフラメンコの子守唄である「ナナ(Nana)」をガンバのソロ演奏で、ロシオの歌とアグスティンのパーカッションでフラメンコの中でも民謡色が濃く、しかも二人の故郷の曲であるファンダンゴ。続いてファミが、モンテ・ベルディのマドリガーレ「Si dolce e'l tormento(苦しみはかくも甘き)」を甘くも重い響きで弾きました。続く舞曲のロス・カナリオス(Los Canarios)は、打って変わって軽快に。フラメンコの伝統曲種、シギリージャ(Seguiriyas)では、ロシオの歌に絡むガンバの音がまるでフラメンコ舞踊のサパテアード(靴音)のようでした。最後は、ペテネーラをベースにした曲。教会の厳かな雰囲気にマッチしていました。アンコールには、これまた教会で聴くとより思いが深まる「Angelitos Negros」。キューバ人の歌手、アントニオ・マチンが歌って大ヒットした曲です。教会を出る時には、まるでバロックとフラメンコのミサを受けたような、心洗われるコンサートでした。

Maria-Terremoto-05-1.jpgそして、同じ会場でソロコンサートをしたのが、若手カンタオーラ、マリア・テレモト(Maria Terremoto)です。1999年生まれの16歳。普段着の彼女にコンサートの数日前に会いましたが、キュートで可愛い今どきの女の子。しかし、ひとたび舞台に上がると、その年齢とは思えない貫禄。既に将来の大物の風格を備えていました。彼女の名前、「テレモト」で既にお気付きの方もいらっしゃるでしょうが、マリアは紛れもなく、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの名門フラメンコ・カンテ(歌)のファミリー、ファミリア・テレモト・デ・ヘレスの出身。祖父はテレモト・デ・ヘレス(Terremoto de Jerez,1934-1981)。ヘレスのサンティアゴ地区にはその胸像があるほど、カンテ・フラメンコの旗手となって活躍したアーティストです。そして父は2010年に40歳の若さで亡くなったフェルナンド・テレモト(Fernando Terremoto)。テレモト・イホ(イホとは息子という意味)とも呼ばれていました。この動画は父フェルナンドの側で歌う幼い日のマリアです。
父フェルナンド・テレモトは、2004年に病に倒れながらも復帰。晩年にはイスラエル・ガルバンの公演で歌ったり、作曲の才能も発揮。そのあまりに早い死に、皆が衝撃を受けました。その当時、マリアは10歳。すでに生まれた時から、祖父や父を訪ねて多くのアーティストが家に訪れ、彼らの歌を聴いて育ってきたマリアは、既にカンタオーラとなる基礎はできていたようです。父の死後、ファミリア・テレモトの歌を伝えるかのように、周りのアーティストに支えられながら、数多くのペーニャ(愛好家が運営してアーティストを招いて公演を行う組織)や、フェスティバルで歌いはじめ、その才能に磨きをかけ続けています。
Maria-Terremoto-02.jpgそして、今年はビエナルという大きなフェスティバルでのソロ・コンサート。真っ赤なドレスに身を包んで、肩からは黒のマントン(大きなマント)をかけ、無伴奏で堂々と一曲目のマルティネテを歌い上げました。続いて、シギリージャ、これは地元ヘレスが起源と言われている歌で、父へ捧げる意味もあったのでしょう。歌い終わると天に向かって投げキスをしていました。余裕のある歌いっぷりに、豊かな声量。そして、極めてトラディショナルな選曲と歌唱のスタイル。往年の祖父や父のファンもきっとその姿を見て、ヘレスのカンテの将来に光を見出したことでしょう。歌の途中から、観客の方に進み出て、マイクなしで歌うという場面も何度かあり、その度胸も素晴らしいものでした。名前だけに頼る二世タレントとは違い、ファミリアの名前に誇りをもち、それを汚すことなく繋いでいく使命を感じながら舞台に立っているように感じました。ストレートにぶつかってくる、そんな魅力のあるカンタオーラであり続けて欲しいものです。

Patricia-Guerrero-02.jpg作品賞を獲得したパトリシア・ゲレーロの「カテドラル」。カテドラルとは、大聖堂を意味し、舞台も薄暗く聖堂の中のような空気を醸し出していました。宗教の典礼やしきたりで弾圧される女性がそこから自由になっていく姿を描くこの作品。最初に現れるパトリシアは衣装も体の線が全く出ない大きなシルエットのもの。そして、動きも機械的で女性らしさはどこにもありません。彼女を見張るかのような同僚女子(バイラオーラ3名)と修道士(テノールとコントラテノールの歌手)も登場。"教会の常識"に縛られる中で、自分らしく正直に生きていくために、少しずつ風穴を開き、やがて最後は女として自由に自分を表現できるようになる。そんな流れを、バイレで語っていました。

Patricia-Guerrero-09.jpgよく口にする「常識」。それが、誰の?何のための?と問いかけると疑問が湧いてくるものが多々あります。その"常識"が返って、個人が幸せになることを阻んでしまうことすらあります。何処かの誰かが作った"常識"に当てはまらないということで、身近な人にすら受け入れたり理解してもらえなくなるのです。しかし一方で、その"常識"とやらに立ち向かうよりも、常識に従って不幸な道を選ぶことが攻撃されないための温床となって、本当の自分の幸せを追求できない現実もあるでしょう。特に、日本のように島国という閉鎖的な社会では、その傾向は強いかもしれません。パトリシアの故郷グラナダも、明るいイメージのアンダルシア地方の中では異色の土地。以前、同じグラナダ出身で祖母に育てられたというエバ・ジェルバブエナもグラナダの封建的な風潮を語っていたことがあります。そういう意味でも、グラナダ出身のパトリシアだからこそ選んだテーマ、そして舞台で表現できたのかもしれません。
Patricia-Guerrero-11.jpg8歳でデビュー、15際でグラナダ出身でフラメンコの新時代を築いたバイラオール、マリオ・マジャのカンパニーのメンバーに。アンダルシア舞踊団でソリスタを務めた後からは、ソロ作品を順調に発表してきました。また、前述のガンバ奏者、ファミ・アルカイとアルカンヘルの作品にバイレで加わって以来、共演が続き、今回のビエナルでも3回公演されたアルカンヘルのタブラオ公演に出演し、カンテも披露するなど新しいことにもチャレンジをしています。26歳のバトリシア。これからの活躍も楽しみです。

写真(FOTOS): cOscar Romero Bienal de Sevilla Oficial
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ひっそりとですが、このフラメンコ・ウォーカーも100回の連載となりました。ご愛読ありがとうございます。

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