4日間で既に10公演。それもそうそうたるアーティスト陣のパフォーマンスの連続で、ここ数ヶ月のフラメンコ不足が解消されつつあります。14年前からこのビエナルに通い始めて、毎回当たり前のようにシーズンを迎えていましたが、よく考えると一つの街で、一ヶ月間もフラメンコフェスティバルが開催されるというのは、なかなか他に例がないのではないでしょうか?それも同日に有料無料のイベントが複数必ずあるのです。

2 (3).jpgビエナル二日目、アンダルシアの"新人公演"?!若者のためのコンクール受賞者のお披露目公演に行ってみました。カンテ、ギター、バイレの各部門1人ずつで全員20代前半の男性です。バイレはさすがにスペインの層の厚さを感じました。バックのミュージシャンも同世代の仲間のようでしたが、ファルーカ(ガリシア地方起源のフラメンコの曲種)ひとつ踊るにも、ちゃんとストーリーのある展開を上手く構成していました。「うまいな~」と感心していましたが、同じ日の真夜中の公演で、同じ20代前半のエル・バルーリョ(El Barrullo)の踊りを見ると、うーん、さすがプロの迫力。セビージャ出身でファミリア・ファルーコ(Familia Farruco:バイラオール故ファルーコが初代家長のヒターノのアーティスト一族)の一員である彼が、同じアンダルシア若者コンクールに出ていれば、優勝間違いなしでしょう。スペインにはそんなレベルの高いアーティストがたくさんいます。その公演には、2011年にラ・ウニオンに取材に行った時のバイレ部門の優勝者、ルシア・アルバレス"ラ・ピニョーナ"(Lucia Alvares La Pinona)とカンテの部門賞をとったルビオ・デ・プルーナ(RUbio de Pruna)も。この3年でさらに磨きがかかっていました。また前回(2年前)のビエナルあたりから注目されている、カンテのトニ・フェルナンデス(Toni Fernandez.男性のような名前ですが、女性です)が出ていました。トニ、たしかにフラメンコないい声でした。(右上写真)
話を若者コンクールに戻します。カンテは、一般的に聴くとうまいのですが、やはりプロと比べると格段の違いがありました。昔と違って情報も多く、生活も変わった現代では、幼子が爺さんたちの歌を聞きながら覚えて上手くなっていくという現象はだんだんと少なくなってくるかもしれません。ギターは、弾き始めは緊張感溢れていましたが、二曲弾き終わって挨拶をするときには、きりりと引き締まった表情になっていたのが印象的でした。発表の場と観客の声援、拍手。こうやって将来のアーティストが育てられていくんですね。

VORS4.jpg続いて向かった大劇場マエストランサ。来ました!ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(以降、ヘレス)からのカンテの大御所たち。マヌエル・モネオ(Manuel Moneo)、カプージョ・デ・ヘレス(Capullo de Jerez)、ルイス・エル・サンボ(Luis el Zambo)、フアナ・ラ・デル・ピパ(Juana la del Pipa)、フェルナンド・デ・ラ・モレナ(Fernando de la Morena)、マカニータ(Macanita)。そしてマヌエル・アグへタと(Manuel Agujeta)、ヘレス独特の黒い声、カンテヒターノの名手たちがずらりと揃いました。ここ数年で、カンタオールのフェルナンド・テレモト(Fernando Terremoto)、エル・トルタ(El Torta)、そしてギタリストのモライート(Moraito)と40代から60代の現役バリバリの素晴らしいアーティストを相次いで失ったヘレス。そして2月に急逝したギタリスト、パコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)も同じカディス県。彼らへのオマージュの意も込められた公演。CDにもなっている公演のタイトル「V.O.R.S」は、Very Old Rare Sherryの頭文字をとったもの。Sherryとは「ドライシェリー」でお馴染みのシェリー酒で、ヘレスで作られているお酒です。こちらではVino de Jerez=ヘレスのワインとも呼ばれます。ヘレス名産の超レアもの古酒ですから、その味わいは特別です。ブレリア(曲種名:ヘレスのブレリアは特に有名)を歌うときには、歌手自身による粋なひと振りの踊りも。カンテのお手本のような素晴らしい歌唱に、カンテフラメンコは魂の叫びなんだなと再認識させられました。特に、マヌエル・アグヘタのマルティネーテ(Martinete ヒターノの鍛冶場での労働から生まれた曲種)!ただし、この「叫び」は、カンテや音楽の中にあるのであって、ただ声を荒らげて叫べばフラメンコではないのです。新人や脚色されすぎたカンテコンサートで物足りなさを感じるのは、この内なる叫びがないのかもしれません。最後は、ヘレス恒例のお祭り、フィエスタ・デ・ブレリアを彷彿させるようなブレリアの歌い回しと踊り。石畳一枚からはみ出さずに踊るのが粋だと言われるヘレスのブレリアらしく、それぞれが個性的なグラシア(愛嬌)に溢れ、おもわず頬がほころんでくる場面の連発でした。

santelmo.jpg明けて、日曜の昼、17世紀の歴史的建造物であるサンテルモ宮殿の礼拝堂でのコンサート。この場所でフラメンコが演奏されるのは初めてだそうです。バロック音楽との共演は前回のビエナルで、アルカンヘル(Arcangel)とアカデミア・デル・ピアチェーレ(Accademia del piacere)によるコンサートがありましたが、それとは趣の違うもの。セビージャのバロックオーケストラのソリスタの演奏と、フラメンコからは二人のセビージャ出身のアーティスト、カンタオールのホセ・デ・ラ・トマサ(Jose de la Tomasa)とギタリスト、マノロ・フランコ(Manolo Franco)が交互に演奏と形式でした。途中、マノロのギターとバロックギターとが絡む場面は、マノロのギターが寄り添うように始まり、やがて美しいハーモニーへと変わっていきました。そして、自ら詩を書くホセ・デ・ラ・トマサのカンテは、バロック様式の礼拝堂に荘厳に響き渡りました。会場にはカンタオーラのマイテ・マルティン(Mayte Martin)も来ており、歌い終わったホセが歩み寄る場面もありました。共に尊敬しあうアーティストの姿は美しいものです。

1.jpgさて、その夜はイスラエル・ガルバン(Israel Galvan)の公演。会場のロペ・デ・ベガは入口が狭く、開演時間を過ぎても入場するための列が続きます。幕開け早々、イスラエルがスペイン語で「男性のバイレとは~」と言うのを、バイオリニストのエロイサ・カントン(Eloisa Canton)が英語で訳すという不思議な掛け合いからスタート。全体的にコミカルタッチ。カンテ、ギター入り混じっての演奏パフォーマンスやパーカッションのミュージシャンが突然前に出てきて、絶妙なサパテアードとパルマ(手を打ってリズムを刻むこと)を始めたりとサプライズの連続。イスラエル・ワールド全開!弾けまくっていましたが、イスラエルのバイレの部分はどんな動きをしていても恐ろしく美しいライン。そして狙ったところにぴたっと決まる緻密さと緩急のつけ方は脱帽。他の誰にも真似できません。(間違っても真似しないように!)。イスラエル・ガルバンというアーティストを観ることを目的とするなら、彼のもつ魅力満載な作品でした。一般的には「フラメンコ公演」としては、かなり難解だったと思います。あ、そう言えば、公演のタイトルは「フラメンコ」ではなく「フラコメン」でしたね。

manuel_de_la_luz2.jpgさて、2回前のこのコーナーでご紹介したマヌエル・デ・ラ・ルス(Manuel de la luz)のギターコンサートもありました。元修道院の建物内で行われ、早くからチケットは売り切れ。同郷ウエルバの双子のパルメーロ(手拍子=パルマを打つ人)のロス・メジス(Los Mellis)、歌には義理の妹のカルメン・モリーナ(Carmen Molina)、そしてパーカッションには、ベテランのアントニオ・コロネル(Antonio Coronel)が出演。マヌエルは、エバ・ジェルバブエナのカンパニーでセカンドギターを務めており、アントニオとはそこでも長く共演していました
一曲目はプログラムを変更して「ミネーラ(鉱山地方起源の曲)」から。本番直前までいいものを演奏しようというこだわりが感じられました。二年前にはアンダルシア舞踊団の音楽監督兼ギタリストとしてビエナルに出ていたマヌエル。それほどのギタリストでありながら、日本のタブラオに出演するために来日していた時も、毎日早めにタブラオに行き、何時間も弾いていたようです。朝ドラ「花子とアン」のブラックバーン校長の言葉「最上のものは過去ではなく 未来にある」そのもの。そして見事にコンサートでは鳴り止まぬ拍手に包まれました。曲ごとにその場の空気を変え、曲調が変わるとまるで波が形状を変えていくような感覚を与えられる。一流ギタリストのなせる技です。このコンサートの後、またビッグなオファーも来たようですし、これからの活躍に期待したいです。

farruquito-1.jpgそして続くマエストランサ劇場では、ファルキート(Farruquito)公演。「撮影禁止」のアナウンスにも関わらず、フラッシュが飛び交う熱狂ぶり。やはりバイレ界のプリンスはこの人か?!この劇場では、本舞台と客席との間に奥行3メートルくらいのオケボックスを塞いだような空間があり、客席との距離が遠い状態になっています。舞台の奥手でアーティストが演じると、一階席前方からでもかなり遠く、小さく見えてしまいます。しかしこの公演の最初のソロではぐっと前に出てきて、その塞がれたスペースで踊ってくれました。観客にとっては嬉しい限り。その後はほとんど本舞台で踊られましたが、時折ファルキートも、観客との距離をもどかしく思っているように見えました。公演タイトルの「PINACENDA」は、ヒターノの言葉で「アンダルシア」を意味します。プログラムは、アンダルシアの各県の代表的な曲種を組み込んだ構成。バックにヒターノを象徴する旗を映し出したり、随所に「ヒターノ」の伝統を示唆する小物などの演出もありました。タンゴとセビージャへのオマージュの場面では、叔母のピラール"ファラオナ"(Pilar/"Faraona")が登場。ヒターノのバイレを継承するフラメンコの名門、ファミリア・ファルーコの中で、ファミリアの長であった故ファルーコにもっとも近い空気を醸し出すファラオナ。巨体から醸し出されるアルテに「オレ!」の声が飛び交いました。フルートで出演したヘレスのフアン・パリージャ(Juan Parrilla)にも声援が多くかかっていました。こちらもティオ・パリージャを擁す有名なファミリアです。ちょうど同じ日の午後、兄弟のギタリスト、マヌエル・パリージャ(Manuel Parrilla)のコンサートの会見があり、そこにも姿を見せていました。
様々な舞台フォーメーションながら全てがスムーズに運び、作品としても見事にまとまっていました。それにしてもファルキートのバイレは、カッコいいですね。ほとんど即興ではないかと思えるような音楽やカンテと戯れる動きの一つ一つが「フラメンコ」。しなやかで力強く、でもどこか哀しみを感じるのです。ここスペイン、地元セビージャ。それもビエナルでの舞台に賭ける想いもあったのかもしれません。熱い舞台に観客たちも大満足の様子でした。

Ines_Bacan1.jpgそんな興奮も冷めやらぬまま、最後は元修道院サンタクララの中庭でのコンサート。オープンエアでこじんまりとしたこの会場でのコンサートは、今回のビエナルではとても人気で、売り切れ続出。日本と違って、夜の長い地元の人達にとっては23時スタートはアクセスしやすく、また建物内が全面禁煙となった今、野外なので喫煙可能というのも人気の秘密かもしれません。レブリハの二人のベテランアーティスト、イネス・バカン(Ines Bacan)、ミゲル・エル・フニ(Miguel el Funi)。フラメンコの原点を感じさせるカンテ。昔ながらの野外フェスティバルに来ているようなシンプルな舞台は、凝った演出のコンサートよりもずっとフラメンコをすんなり楽しめるように思えました。商業的ではない分、守っていきたいフラメンコ界の大切な宝ではないでしょうか。

FOTO:ANTONIO ACEDO La Bienal Oficial

お詫び:パソコン環境の関係で、スペイン語表記のアクセント記号が逆向きになております。ご了承ください。

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