2022年アントニオ・ガデス舞踊団来日公演によせて
それは、フラメンコ界だけでなく、舞踊の世界において永遠に輝き続ける星。
アントニオ・ガデス。
本名:アントニオ・エステべ・ロデナス。
1936年スペイン、バレンシア州アリカンテ県エルダに生まれた、アントニオ・ガデス。父親の仕事でマドリードに移り、厳しい経済状況故に、11歳から働き始めた。様々な職業を転々としながらも、自分の可能性を試そうと色々なことにチャレンジしていく中、舞踊学校のレッスンを受けたことで、踊りの才能を開花せることになった。
その舞踊学校とは、現在でもマドリードにある「アモール・デ・ディオス」。(場所は1994年に移転)
私が「アモール・デ・ディオス」のレッスン風景を初めて見たのは、カルロス・サウラ監督の映画『カルメン』の劇中。アントニオ・ガデスとギタリストのパコ・デ・ルシアが、カルメン役のダンサーを探しに行くシーンだ。 私事だが、フラメンコの世界に入るきっかけになったのは、この映画「カルメン」だった。当時ブラジルに住んでおり、近所にスペイン人が先生のフラメンコ教室があったので、そこに通うと言ったら知人がこの映画のビデオを貸してくれた。
“フラメンコ”という言葉は知っていても、いわゆる典型的なイメージだけで、実際の知識は何もない状態で観たスペインのフラメンコの世界。本場スペインのダンサー達の力強い動き、リハーサルの厳しさ、音楽を作り上げていくミュージシャンたちの粋なやりとり、そして、主役のアントニオ・ガデスの鋭い眼力、気迫、色気。フラメンコの音楽と踊りの「カッコよさ」に、ガツンとやられてしまったのだ。
映画『カルメン』は、1983年の作品。ガデスは、当時、40代後半。13歳から踊り始め、ピラール・ロペスの元で舞踊手、そして振付家としても研鑽を積み、1960年にはピラール・ロペス舞踊団の来日公演にも参加していた。ちなみに、ガデスが初めて「カルメン」の演目を踊ったのは1957年の舞踊団公演の中だった。
ピラール・ロペスの元を離れ、独立後の20代後半は、イタリア、フランスへ渡り、振付家として活躍。「カルメン」はここでも創り続けられ、イタリア人のキャストでヴェローナ闘牛場にて公演。30代になってから、その後20年間コンビを組むことになるクリスティーナ・オヨスとも出会い、映画やマドリードでのタブラオ出演と、スペイン内外でさらに活躍の場は広がった。1970年にはパリのオデオン劇場での舞踊団の成功が呼び水となり、「血の婚礼」の世界ツアーが始まり、この時期日本も訪れている。
1975年にキューバに移住するまで、創作の熱に駆られて、ひたすら走り続けたガデス。キューバ国立バレエ団のアリシア・アロンソの元で、一時止めていた踊りを再開。その後スペインに戻ってからは、この経験を活かして、スペイン国立バレエ団の監督を引き受けた。
その頃知り合ったのが、映画監督のカルロス・サウラ。舞台とスクリーンでの見せ方の違いを懸念しながらも、サウラの提案する映画化に取り組み始めた。
サウラとの最初の映画作品は、スペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカ原作の「血の婚礼」。既に舞台作品としては出来上がっているこの作品の映画化。単に舞台公演を撮るのではなく、舞踊団のメンバーが集まり、本番さながらの緊張感溢れる通しリハーサルという設定。サウラ特有の色彩、陰影は、この作品では、真っ白なリハーサル室とモノトーンの衣装とのコントラストが印象的なものに仕上がっている。主役は、アントニオ・ガデス、クリスティーナ・オヨス、フアン・アントニオ・ヒメネス。舞台作品そのものだ。
続く第2弾が「カルメン」。前作と違って、舞台作品の場面だけなく、メリメ原作のビゼーのオペラ「カルメン」を舞台作品化していく過程をドラマ仕立てで描いている。物語が進むうちに、舞台「カルメン」の役どころと、舞台を作るアーティストたちとがオーバーラップして、虚実と現実が交錯するスリリングな作品だ。この作品は、オスカーの外国映画賞の候補にもなり、海外でも高く評価され、フラメンコ、そして、音楽を担当したパコ・デ・ルシアも、世界から注目を浴びた。
第三作目の「恋は魔術師」を含めた、カルロス・サウラとアントニオ・ガデスの映画は通称「フラメンコ三部作」。舞台を映画化することで、より多くの場所で、多くの人の目にふれることが可能になり、フラメンコの舞踊スタイルと音楽を全世界的に広めることになった。
アントニオ・ガデスの功績は、フラメンコというヒターノの生活から生まれた“民俗芸能”を、劇場で公演できる舞台作品にまで昇華させたことが真っ先に挙げられる。しかし、ガデスの凄さは、ダンサー、振付家、演出家として作品づくりをしていくだけにとどまらず、創ったものを世に出す、人々の目に触れさせるための手段を、その時代に合った形で自ら模索していったところにもある。自分の創作作品を「残す」こと。その方法の一つとしての映画化。自分の姿を映像に残すことで、表現方法、舞踊スタイル、さらには、眼差しの鋭さまで、鮮明に、そして確実に伝え、残すことができたのだ。そして、舞台作品として立体的に残す方法として、自らの舞踊団「アントニオ・ガデス舞踊団」を設立した。自分の作品を舞踊団のレパートリーとして、再演していくのだ。
今回の日本公演の演目になっている「カルメン」は、1983年の映画化と並行して、実際に舞台での上演も行われた。そして、約40年の時を経てもなお、上演され続けることで、作られた当時は新作だった「カルメン」は、今や舞踊団のクラシックレパートリーの筆頭となっている。
時代とともに、ガデスのいた初演時と比べると、ダンサーたちの体型も変わり、客席にはアントニオ・ガデスの踊りを見たことのない層もいるだろう。舞台は生ものなので、空気感は変わっているかもしれないが、ガデスの作品はそこにある。それを見る前、または見た後に、原点である映画「カルメン」で、在りし日のアントニオ・ガデスの姿をご覧いただくと、より舞台が楽しめるだろう。
スペイン国営放送が、2015年に制作したアントニオ・ガデスのドキュメンタリーがある。(「Antonio Gades. La ética de la danza」)この番組を日本でDVD化するにあたって、日本語字幕作成を担当した。ガデス自身の言葉や共演者、関係者のコメントと舞台や映画の映像だけで構され、ガデスの人生とアーティストとしてのキャリアを網羅した内容。貴重な映像の数々やその肉声から、生涯持ち続けた創作への情熱が伝わってきた。機会があれば、こちらも見ていただきたい。
発表当時、革新的だったスタイルや作品が、今やクラシックとなって、後世に引き継がれ始めている。素晴らしい芸術は、こうやって残っていくのだと思う。今回の日本公演をきっかけに、アントニオ・ガデスという偉大で自由なアーティストの存在が、多くの人々に、特にあらゆるジャンルの舞踊に関係する方々に改めて認知されることを切に望む。
星の輝きは、何百年、何千年も先の未来にも届くはずだ。
フラメンコ・ジャーナリスト
坂倉まきこ