海外への渡航となると、現地の気候が気になるもの。スペインと日本は緯度がほぼ同じだからか、気候はわりと連動しています。日本が暖冬だとスペインも暖かかったり、逆もあったり。しかし、朝晩の気温差が日本より大きいことと、湿度による体感温度には違いがあるので、その点は気をつけたいところです。携帯アプリの天気予報に表示される気温も、ここ数日実際の体感温度とはかなり違っていました。
へレス・デ・ラ・フロンテーラは、セビージャからバスや電車で一時間半弱。同じアンダルシア地方で比較的近いのですが、セビージャに比べると気温は低めです。ここへレスのビジャマルタ劇場は、年に一度のフラメンコフェスティバルのメイン会場。昨年から経済的理由で閉鎖が噂されるなど不安定な状況でしたが、今年も無事に開催されることとなりました。
2月24日から3月11日まで開催される2017年の第22回フェスティバル・デ・へレスのオープニングを飾るのは、新生アンダルシア舞踊団の作品「...Aquel Silverio(アケール シルベリオ(あのシルベリオ))」。Silverioとはシルベリオ・フランコネッティ(Silverio Franconetti,1831-1889)のこと。カンテフラメンコの創生期を語るのに欠かせない歌手です。残っている肖像画を見ると、ちょっと"西郷どん"のような風貌です。
さて、フラメンコの原点はカンテ(歌)です。巷では、フラメンコのアーティストはヒターノ(ジプシー)でなければダメだ!という人もいます。しかし、ヒターノのカンテをヒターノの名歌手から引き継ぎ、初めてプロの歌手としてフラメンコのコンサートをし、初のカフェ・カンタンテ(フラメンコを観ながら飲食できるお店)をセビージャに開き、フラメンコをスペインだけでなく海外にも広く知らしめたシルベリオは、ヒターノではありません。(ちなみに、フラメンコの世界では、ヒターノではない人はパジョと呼ばれます。)その名前からも推測できるように、父がイタリア人、母はスペイン人。軍人だった父の仕事の関係で、基地のあるアンダルシアのモロン・デ・ラ・フロンテーラに住んでいました。そこで、子供の頃、働いていた農場に来ていたカンタオールのエル・フィージョに見出されて、カンテヒターノの全てを教えられました。パジョなのに、どのヒターノよりもうまく歌うこの少年に周りも驚いていたようです。ヒターノが持つ独特のアルテや醸し出す雰囲気があるのは確かですが、ただ単に、ヒターノかパジョかだけで先に評価を決めてしまうというのはどうか?と思います。パジョといえば、私たち日本人はもちろんパジョ。ですが、フラメンコを趣味として観たり聴いたり踊ったりするだけでなく、職業としている人々もいるわけですから、それを否定することにもなりかねないのです。起源に対するレスペクトとフラメンコを真に愛する心を持ったアーティストのアルテを偏見なく楽しみ、支援していきたいものです。
話が逸れましたが、今回の作品は、アンダルシア舞踊団新監督に昨年秋に就任したラファエル・エステべス(Rafale Estevez)とバレリアーノ・パニョス(Valeriano Panos)によって演出、振り付けされています。ラファエルはバイラオール=フラメンコ舞踊手、パニョスはバイラリン=スペインのバレエ(=クラシコ・エスパニョールを含むスペイン舞踊全般)ダンサー。この二人の作品を踊る舞踊団のメンバーとなるには、フラメンコとスペイン古典舞踊の両方の知識と経験があることが必須となりました。189人の応募者から事前審査で選ばれた73名が5日間にわたるオーディションで8名に絞られました。一つ前のラファエラ・カラスコ監督時代のアンダルシア舞踊団のメンバーからもオーディションで3名、エドゥアルド・レアル(Eduardo Leal)、カルメン・ジャネス(Carmen Yanez)、そしてこのフラメンコ・ウォーカーで以前から注目しているアルベルト・セジェス(Alberto Selles)が選ばれました。
公演に先立っての記者会見。19世紀、シルベルオが生きた時代のバイレ、ファミリア・ペリセー(Familia Percet)が確立した舞踊ボレロやヒターノたちから生まれたフラメンコについて綿密な調査を重ねて作られたこの作品とのこと。しかし「当時の再現をするのではなくて、当時のフラメンコをベースにして、現代のものとして作った作品」、あくまでも"actual"=今のものであることが強調されました。昨年11月末からリハーサルが開始され、朝8時から毎日8時間、セビージャのスタジオで稽古を重ねてきました。音楽担当のギタリスト、ヘスス・ゲレーロ(Jesus Guerrero)も稽古に立ち会い、その流れを見ながら作曲をしていきました。その作業は「大変だったけれど、舞踊団には良い調和感が芽生えてきた」と監督は満足そうに語っていました。そして、何より「観客に楽しんでもらいたい」と会見の最後に述べていました。
タイトルの「...Aquel Silverio」はロルカの詩集「カンテ・ホンドの詩」の中の「シルベリオ・フランコネッティの肖像」の一節から取られたもの。作品中のカンテは「シルベルオへのトリビュート」とでも言うべきもので、シルベルオが歌った曲種や歌詞を古い資料も参照しながら使ったそうです。フラメンコは誰々が歌ったソレア、誰々のブレリアという風に、先人のものを歌い継いでいきます。その過程でその歌手の個性が加わりリクリエーションされていきます。そのリクリエーションのものも含めて、シルベリオに関するものを、シリンダーからビニール晩に至るまで古い録音を集めての学習もなされました。
舞台では、フラメンコの歴史本に出てくるような19世紀のフィエスタ、カフェ、劇場、軍隊、闘牛場などが象徴的に作り出され、シルベリオの人生と、彼の生きた時代の生活と文化をモチーフに展開していきます。カンテも多くのバリエーションが盛り込んでありました。港町カディス発祥の明るい系のアレグリアスなどの曲種をつなぎ合わせた賑やかなシーンと、暗いトーンのシギリージャス系の曲種が続く影のあるシーンとの対比もあり、現代の万人にも通じる人生や世相の明暗を表しているようでした。音楽全体は、フラメンコ以前のもの、フラメンコ、アンダルシア民謡、ボレロを取り入れて、新たに現代のものとして作曲されました。
舞台が始まると、出演者たちが舞台上で椅子や鏡を移動させながら、徐々に舞台を作っていきます。白と黒を基調としたグレートーンで統一された、クラシカルなデザインの衣装。スペイン古典舞踊=クラシコ・エスパニョールとフラメンコが行き交う複雑な振り付け。ラファエル・エステべならではの独特の"間"でのレマテやサパテアード。どの場面も目が離せないスピード感です。舞踊団メンバーは、クラシコとフラメンコ両方の心得があるとは言え、それぞれの踊り手にどっちかというとフラメンコ系、クラシコ系という個性があって、それを観るのもなかなか興味深いものがありました。
公演の中でとても印象的だったのは、バレリアノ・パニョスの美しいクラシコ・エスパニョールの踊り。クラシコはフラメンコの元になっているとも言われているので共通点はあるのですが、基本的に体の使い方、姿勢が違います。そして、よく回り、よく飛ぶ!クラシコを見事に美しく、華麗に舞うバレリアノ。フラメンコを踊るときは、力強いサパテアードでまた違った一面を見せます。ちょっとトム・クルーズ(前述のアルベルトを混ぜるともっとトム・クルーズなんですが)な感じの美男な容姿もさらにプラスとなって、その佇まいから動きの全てが美しい素晴らしいダンサーです。
対照的に、監督でもあるラファエル・エステべは、一見ダンサーっぽく見えないのですが、とんでもない博識さとリズム感も持ち主。振り付けは時折パントマイムのような動きが入ったり、肩の動きやマノ(手)の独特な使い方など、かなり個性的で複雑です。彼のカンパニーにもいたことのある女性のソリストはそれをよく体現していて、女ラファエル!と言いたくなるほど。また、群舞というとみんなが同じ振り付けを踊ったり、多少のシーケンスが入ってバリエーションを出しますが、ラファエルたちの振り付けでは、それぞれに違う振りを踊りながら微妙にシンクロしている群舞。高度です。舞台の袖に捌ける最後の一歩のところで別の踊り手とのシンクロがあったり。そして、すべてのシーンがほとんど途切れることなく次のシーンに繋がっていきます。この段取りを頭に入れるだけでも、凡人には到底できないなと妙に感心してしまいました。また、本来スペイン舞踊の華であるクラシコ・エスパニョールをレパートリーに加え、その優美さとフラメンコとの繋がりを改めて認識させてくれたことには感謝です。ラファエル自身も幾つかのシーンで踊ります。しばらく左足の病気で入院生活を送り、ダンサー人生すら危ぶまれましたが、回復を信じ、入院中にこの作品の構想を練っていたそうです。無事回復し、今回の舞踊団監督就任で、作品とともに、ラファエルらしい個性的な動きを本人のバイレで見ることができました。
注目の(個人的にですが)アルベルト・セジェスは、前アンダルシア舞踊団時代は、ソリストのダビ・コリア(David Coria)、ウゴ・ロペス(Hugo Lopez)の次以降での出番でしたが、今回の舞踊団では一気に役割が増え、オープニングの合図から始まり、複雑なサパテアードのパート、バレリアノ・パニョスとの絡みも多く、大躍進!さらには、カンテも披露。名カンタオール、アウレリオ・デ・カディスの血を引くだけあって、アレグリアスを踊りながら自ら歌うという器用さ。大喝采を受けていました。現代の若手には珍しい、爽やか、かつ骨太でまっすぐなフラメンコ。昨年秋、ミニインタビューをしましたので、それも含めて別の機会にさらにご紹介します。
公演は21時から始まり、前日のゲネプロよりも長引き、約2時間。23時頃に終了。そして、次のコンサートは12時から、シェリー酒ではおなじみのTIO PEPEを造っている酒蔵(ボデガ)の敷地内にある会場です。へレスのフェスティバルは多少距離はあっても、すべて歩いて移動できるのが利点です。普段は静かな夜の街を、フェスティバル初日とあって、多くのスペイン人、そして外国人が行き交いました。
ボデガでのコンサートは、地元のギタリスト、マヌエル・パリージャ(Manuel Parrilla)のコンサート。「パリージャ家」は、ティオ・パリージャ(Tio Parilla)という名で親しまれたバイレ、ギター、歌とすべてをこなしたアーティストに端を発し、息子は、2009年に他界したパリージャ・デ・へレス(Parrilla de Jerez)、今回のコンサートの主役マヌエルの父のフアン・パリージャ(Juan Parrilla)、そしてアナ・パリージャ(Ana Parrilla)といずれもフラメンコ・アーティスト。コンサートではマヌエルの兄弟のフアン(Juan Parrilla)がフルート、ベルナルド(Bernardo Parrilla)がバイオリンで参加。二人とも、バイラオール、ホアキン・コルテス(Joaquin Cortes)が日本でも大人気だった時期のグループで活躍していました。フラメンコにフルート、バイオリンという新しい楽器を取り入れ、ホアキン・コルテスの「ジプシーパッション(Gipsy Passion)」などに見られる、ちょっとかっこいいフラメンコ音楽を作った人たちです。
客席の一列目には、父親の姿。そして、ゲストのカンテには、こちらも地元の名門フラメンコファミリーから、ドローレス・アグヘタ(Dolores Agujeta)が登場しました。まさにアグヘタ家のカンテ!ヒターノのファミリーでは、生まれた時から家族のカンテを聴いて育っているので、家ごとの歌い方が脈々と受け継がれていくものです。特にアグヘタ家のカンテは、カンテフラメンコの中でも、ヒターノの叫びをそのまま歌にしたような、腸(はらわた)から歌うカンテです。その他、歌にはエル・ロンドロ(El Londoro)、ベルナルドの奥さんのサンドラ(Sandra)、パーカッションにはディエゴ・カラスコの息子、アネ・カラスコ(Ane Carrasco)、パルマにはバイラオール、ホアキン・グリロの弟のカルロス(Carlos Grilo)、カンタオールのホセ・バレンシアの従兄弟でへレスに住むフアン・ディエゴ(Juan Diego)と100%へレス!そして客席も地元率がかなり高く、彼らのフラメンコ仲間の姿が見られました。
フラメンコギターでは、モロン、グラナダと共に土地ならではのタッチがあるへレス。力強い音ながらも、重暗くなく、繊細、軽快、粋なタッチが特徴です。マヌエルのギターもどんなに細かく音が散りばめられていても、全ての音が潰れることなく心地よく伝わってきました。私はギターの専門的な知識はありませんが、とにかく良いものを聴き続けることが、耳を肥やす修行になると信じてコンサートに足を運んでいます。毎日毎日、美味しいお米を食べていたら、違うものを出された時にその違いが分かるような感覚でしょうか。曲はへレスならではの、ブレリア、シギリージャ、ファンダンゴ、ソレア、タンゴ、etcと後半につれてどんどん盛り上がり、最後は父親が舞台に上がってブレリアを披露。初日の夜は、その後もへレス市内のあちこちのバルやフラメンコスポットで遅くまで賑わっていたようです。
フェスティバル期間中は劇場での公演、レッスンの他に資料や写真の展示もあります。アンダルシア・フラメンコセンターでは、へレスのバイラオーラで多くアーティストを世に送り出しているマエストラ、アンヘリータ・ゴメス展「ANGELITA, BAILE Y MAGISTERIO」が5月9日まで開催されています。何を隠そう、私も数年前まで、アンヘリータ先生に年に一回このフェスティバルで10年以上にわたって教えを受け、へレスの愛嬌たっぷりで粋なブレリア(曲種名)の魅力を教えていただきました。フラメンコ、そしてへレス独特のリズムに乗ることの楽しさを初心者に対しても丁寧に教え続けておられます。
サント・ドミンゴ修道院では、フラメンコ・カメラマン、パコ・サンチェス氏の写真展「BAILAORAS」。その名の通り、バイラオーラ=女性フラメンコ舞踊手たちの迫力ある写真が見られます。昨今、写真の展示会をするのも、予算的に厳しくなってきたスペイン。そんな中でも開催されているものには、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。
さて、初日公演ということでかなり長く書きましたが、これから毎日3公演という日々が続きます。明日以降は、セレクトしたものや写真メインとなるかもしれませんが、できるだけ「今」の本場でのフラメンコシーンをお伝えしていきたいと思います。
写真/FOTO : Copyright to JAVIER FERGO/ FESTIVAL DE JEREZ (その他はクレジットに準ずる)
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