世界遺産のアルカサル(Real Alcazar de Sevilla)での連夜のコンサート。会場となっている巨大な中庭の客席に座り、後ろを振り返ると、同じく世界遺産のセビージャの大聖堂(正式名称はCatedral de Santa Maria de la Sede de Sevilla)のヒラルダの塔が夜空に一段と映えて見えます。舞台上の出演者からちょうど正面に見える位置。その姿に舞台上から「オレ!ヒラルダ!」と声をかけるアーティストも多くいます。(下写真は舞台側から見たヒラルダ)
ヒラルダの塔は12世紀末に建てられた大聖堂の鐘楼。もとはイスラム教寺院の尖塔だったそうです。現在は高さ約97m。頂には風見計になる勝利を意味す女性の青銅像があります。下から見ると女性像は小さく見えますが、実際には4m。この部分をレプリカにして、ビエナルで授与されるヒラルディージョ賞のトロフィーが作られていました。ヒラルディージョ賞についてはこちら。グラナダのアルハンブラ宮殿(こちらではアランブラ)を彷彿させる、ムデハル様式のアルカサル。そのど真ん中でフラメンコが聴けるのは、なんとも贅沢な感じがします。
フラメンコというと踊りのイメージが強い日本ですが、本場スペインではカンテ(歌)やギターも同じように主流です。
「エル・グイト&エル・ポティート&ラ・マカニータ(El Guito & El Potito & La Macanita)」の公演は、バイレのエル・グイトが25分ほど。カンテ(歌)のポティートとマカニータがそれぞれ40分強といった配分でしたし、翌日の公演「ヘレス(Jerez)」では、カンテとギターで、バイレは最後の数分、フアナ・ラ・デル・ピパの歌の途中に華を添えるような形だけです。「フラメンコを聴く」という楽しみ方が日本でももっと広まるといいですね。
さて、公演の模様ですが、まずはマカニータが貫禄たっぷりに登場。ギターは、注目のマヌエル・バレンシア(Manuel Valencia)です。きちっとしたスーツ姿で、マカニータが客席に向かってお辞儀をするのに合わせて頭を下げるところなど、とても好感がもてます。一曲目はティエントス(Tientos:曲種名。ゆっくりめの4拍子の曲)。キラリと光るギター伴奏に、マカニータの歌も気持ち良く始まります。続くソレア(Solea:曲種名)もトラディショナルは歌詞を丁寧に歌い、見ていた地元の年配の男性たちが「とてもクラシックだな」とつぶやいていました。続くブレリアス(Bulerias:曲種名)は、ヘレスの十八番。ブレリア・デ・ヘレスの歌詞の中に、往年のヘレスのアーティストたちの名前を盛り込んで歌い上げ、超ストレートなカンテコンサートの最後を締めくくりました。
続いてはエル・グイトのパート。1942年生まれの今年73歳。14歳のとき、ピラール・ロペス(Pilar Lopez)舞踊団でデビュー。アントニオ・ガデス(Antonio Gadez)、マリオ・マジャ(Mario Maya)、クーロ・ベレス(Curro Velez)ら、現代フラメンコバイレの礎を築いたアーティスト達と活躍。1971年からは、カルメン・モラ(Carmen Mora)、マリオ・マジャ(Mario Maya.ちなみに二人は、バイラオーラ、ベレン・マジャ(Belen Maya)の両親)とともに"トリオ・マドリード(Trio Madrid)"を結成し、各地で公演し人気を博しました。その後はスペイン国立バレエやマヌエラ・バルガス(Manuela Vargas)の舞踊団のゲストアーティストとして迎えられています。と、ここまで書いたところで登場したアーティスト達はエル・グイトを除いて、残念ながら全て既にこの世を去っています。映像は残っているので、彼らから今でも学べることは多く、そしてそのバイレも楽しむことができるのですが、実際に舞台でその姿を目にすることのできる70年代?80年代にかけてのバイレ黄金時代のアーティストは少なくなってきました。
フラメンコの中でも、特に踊りは肉体的、体力的にきつい面があります。フィエスタ(宴会)での踊りなどはいくつになってもできますし、歳をとれば取るほど出る味もあります。しかし、舞台での一曲10分前後のバイレソロとなると、30代の頃と同じようには踊れません。エル・グイトのバイレはワイルドな中に荘厳さがあり、男性バイレの見本となるもの。時に、定番のソレア(映像はこちら)は、歴史に残る名バイレのひとつでしょう。数年前のヘレスのフェスティバルでエル・グイトがソレアのクラスを開催したときには、身の程を十分知りながらも、どうしても生で見たくて参加させていただきました。クラスではまさにこれと同じ振り付けをきっちり教えてくれました。シンプルなように見える振り付けでも、エル・グイトのように踊るのがいかに難しいかというのを身をもって体験することができました。
さて、話を戻しますが、73歳のエル・グイトのその日のバイレについては、賛否両論。小刻みに震える手や時々バランスを崩しそうになる姿は、若かりし日の凛々しい姿とは違っていました。しかし、立ち姿や舞台での振る舞いは昔のまま。得意の歌を交えてのブレリアも健在でした。人それそれ美学があるので、以前とコンデイションが変わってしまった時に、舞台に立つべきか、立たざるべきかは意見の分かれるところです。個人的には、海外から来た一観客として、大舞台でもう一度、踊り、歌う姿を見れたことはありがたいなという気持ちです。
続くポティートは、しばらく舞台から遠ざかっていたので、久しぶりに地元セビージャ、しかも大きな舞台でのソロを楽しんでいたようでした。幼い頃から実力を発揮し、故パコ・デ・ルシアとも繋がりの深かったポティート。最後のブレリアでは、伝説のカンタオール、カマロン・デ・ラ・イスラを偲んでパコ・デ・ルシアがアルバム「LUZIA」に自らの歌で収録した歌詞を歌っていました。(パコの歌声はこちら)
翌日のコンサート「ヘレス」は、その名の通り、セビージャと並んでフラメンコのメッカと言われる、へレス・デ・ラ・フロンテーラ(Jerez de la Frontera)のアーティストが勢ぞろいし、聴かせるフラメンコ。ギターに、ディエゴ・デル・モラオ(Diego del Morao)、マヌエル・パリージャ(Mauel Parrilla)、カンテにヘスス・メンデス(Jesus Mendez)、ドローレス・アグヘタ(Dolores Agujeta)、フアナ・ラ・デル・ピパ(Juana la del Pipa)。冒頭から、二人のギターがヘレスのスィングをセビージャに運んできてくれました。
そして、三人の歌手が次々と無伴奏でマルティネーテ(Martinete:曲種名)を歌唱。カンテのゆりかごと言われるヘレス。ドローレス、フアナと現代のコマーシャリズムとは無縁の天然のカンテを聴くことができました。最後はもちろん、ブレリア・デ・ヘレス(Buleria de Jerez)。全員がフィエスタ(宴会)のように歌っていき、フェルナンド・ヒメネス(Fernando Jimenez)のバイレも入り、賑やかに幕を閉じました。
Fotos:Antonio Acedo,La Bienal