11月2日、3日、大沼由紀舞踊公演"EspontaneaⅣ-フラメンコ、自然発生的な-"が無事幕を閉じた。全国各地から駆けつけてくださったフラメンコファンの皆様、ありがとうございました。5月にトマス・ルビチのCDを聞いて招聘を決意、6月に渡西して出演交渉、ビザ取得、チラシ作り、ソニア・ジョーンズさんとの衣装製作とLatido撮影、バタバタと半年が過ぎ、あっという間に4人のヒターノ達は機中の人となった。
10月28日成田着。練習は翌日から3日間、1日2時間ほど。振付を覚えてもらうわけではないので、過去の公演もこのくらいで呼吸を合わせて来た。練習後は、彼らの食事をサポートメンバーにお任せして、一人スタジオに籠り、録音を聞く。が、録音を聞きながら寝てしまうことしばしば。短い練習時間で、大汗をかいて体力消耗しているわけではない。集中力総動員の疲労が身体全体に広がり、一人になると脱力してしまうのだ。
練習初日。シギリージャから始める。まずは彼らの方を向いて、聞いて動いてみる。練習でもトマスは全力で歌って来る。自分の中のフラメンコの水脈を掘り当てるように、深くどんどん潜っていく。トマスがカンテソロの歌い方なので、ドミンゴのギターも必然的にカンテ伴奏の弾き方になり、歌に対して足でレマタールする方法は選択肢から外れてくる。ソレアもパルマを叩くのをドミンゴが嫌う。私が少し焦れて、ホセにもう少しパルマが欲しいと言うも、お兄さんはカンテヒターノの方法でやりたいんだよ、深いものをやりたいんだよ、と私をさとす。
ディエゴ・ルビチの時には、エンサージョ一発目から、まるで前世から一緒だったんじゃないかってくらいすべてがスムーズに運んだ。しかし今回は、一瞬でそうはいかないことを察知する。ディエゴは私にとっては宇宙だった。その中でどう泳ごうと、私が嘘をつかない限り許容する。トマスは今、自身のカンテの深みを探しているからか、深く入れば入るほど、間口は狭くなる。ディエゴを彷彿させる歌ではあるが、感触はまるで違う。さあ、どうする。どうしたらこのカンテを踊ることが出来るのか。集中力を超える集中力で、感覚で、経験で、探っていく。対トマス問題だけではない。この一癖も二癖もあるヒターノ4人と日本人1人、このグループを一体にするにはどうしたらいいのか。探り合いではなく、予定調和ではなく、あくまで自然発生的に吸引し合うには? 遠くヘレスからこの4人のヒターノを呼んだ重圧が、私の肩にのしかかる。
練習3日間があっという間に過ぎ、本番前日は劇場にコンパネと音響を仕込み、サウンドチェック。予想通りの大荒れだ。彼らとの舞台でサウンドチェックがスムーズに行くことは、まず無いに等しい。これは想定内だ。それぞれの要求を同時に主張してくる。この「同時」というのが、彼らの習性だと分かっていても未だ慣れない。「来たな!」と身構え、「せめて別々に言ってくれ!」と心の中で毒づく。しかし毒づいても彼らを変えることは出来ない。ぐっと我慢。音響スタッフに伝える役目が私であるため、Yuki、Yukiと何度も呼ばれる。気持ちを切り替えるために、「はーい!」と日本語で返事をすると、何故か突然テレビドラマの「寺内貫太郎一家」を思い出した。何故こんな時に? 全くバカバカしい。Yuk! と来たら、バカバカしく呑気な声の「はーい!」作戦だ。
彼らの要求と音響スタッフとの間をどうにかこうにかまとめあげて、リハーサルに入る頃にはすでに疲労困憊。するとドミンゴが一言、
「おい、すごく疲れてるように見えるぞ。」
「あったりまえだろー、このごちゃごちゃをまとめるのにどんだけエネルギー使ってると思ってるんだよ!」
と、言いたいところだが、出て来た言葉は、
「ちょっと疲れてるけど、、、でも大丈夫!」頑張れ、自分。
私は体力もそうないので、本番1日完全燃焼型なのだが、今回は2日間やれたことが本当にいい経験だった。両日共に観てくださった方から、初日、2日目とまるで違う風景だったという言葉も聞かれた。もし1週間続けたら、また違った風景が生まれただろう。知り合いでも仲間でもなんでもなく、「初めまして、さあやりましょう」でも、最高のフラメンコが生まれる可能性はあるし、またそれがフラメンコの良さだと思って来たが、今回のメンバーに関しては、舞台上で一緒に戦う時間が増えれば増えるほどに、いや、もしかしたら舞台上だけではなく、一緒に過ごす時間そのものが増えるごとに、このメンバーだからこその何かが生まれるような気もした。それは私にとっては全く新しい感触だった。
これがどこに、どのような線を描いて続いていくのかは分からないが、まだ形を見ない「次なるもの」へと繋がっていることを確信している。
ヘレサノ達よ、来てくれてありがとう。