「ママ 地平線ってなぁに?>」
「日本では地平線は見られないわよ。もっと広い山のないアメリカやヨーロッパに行かなければ。いずれ大人になれば何処でも何でもやれるわよ。あなたは男の子なのだから」
それから母が私の前から姿を消すのに、さほど時間はかからなかった。まだ5歳にもならない私を残し幼い弟を連れ母は家を出た。 あれから40年、私はその事を忘れていた。そして思いもよらない場所で地平線を見ることとなる。
イタリアで仕事を終え次の仕事まで1週間オフとなりスペインへ渡ることにした。セビージャまで行けばあとはバスでも列車でもなんとかなると思い、ギターだけ持ちベネチアから約1時間フライトしセビージャへと降り立った。客室乗務員の半分はスペイン人。おかげでスペイン語が通じるので、空の旅はなかなか快適であった。ただ旅客機がビンテージのまるでプロペラ機のような代物であることを除けば。
セビージャの大きな川沿いの道があり左側にアルカザーレ、右側の川をわたればトリアーナ。私はアルカザーレの広場へ向かった。朝8時半をまわってもまだ空は暗く、トリアーナの町はヒターノ、特にリビアや東ヨーロッパの連中が多く油断できなかった。セビージャは観光地のためか路上や公園にオレンジやレモンの木が植られあたりは実った果実の香りが漂っていた。
アルカザーレへの途中に大きなタトゥスタジオがある。中には数名の若者がどんなタトゥを肌に刺れるか相談していた。そこへ全身刺青を纏ったわたしが通りかかったものだから、大変な騒ぎになった。38℃を越える暑さの中、私はタンクトップ1枚だった。彼らは店から飛び出しまるでマイケル・ジャクソンが来たかのように囃したてた。
ヨーロッパでは投げキッスをよくするようで、その形は日本やアメリカとも違っている。そして同性の場合でもリスペクト、尊敬、憧れという意味でよく行うらしい。最初私は馬鹿にされているのかと思ったがそうではないとあとで知った。とにかくスペインでは若い男の子達に熱い投げキッスを貰った。恐るべし情熱のスペイン人。
アルカザーレに着くと美しいギターの旋律が耳をかすめた。この古びたアルカザーレの古城とタランタの旋律がまるで映画のワンシーンのようにシンクロしていた。ギターにピックアップをつけスピーカーにつないでいる。スピーカーの電源はなんとオートバイ用のバッテリーだ。恐るべしスペイン人。
私はそのギタリストと友達になり、今からヘレスに行くと告げた。彼は私に言った。「その方がいいよセビージャにフラメンコなどないのだから」
バスで1時間半程だろうか、ヘレスに着いた。そして情報を仕入れるため一軒のバルに立ち寄る。ヘレス産のマンサニージャ ブレリアをオーダーした。38℃を越える暑さの中で、アモンティリヤードに似たこのマンサニージャは正直きつかった。日本でスペインバルへ行くと私はマンサニージャ、ラ・ヒターナとイワシ(サルディーナ)のガーリックオイル漬けをオーダーする。ふっくらとしたイワシがオリーブオイルとガーリックとで程良い塩味となりビーノヘレスと良く合うからだ。サルディーナがメニューにあったのでオーダーした。
「何やこれ! ただのアンチョビやんけ。こんな暑い昼間からこんな塩辛いもんとワインなんか飲んでたらわし死ぬわ! もうええ、ビールくれ! ビール!!」
すっかり熱くなりまして...、ISSEYだす。いや~スペインではアンチョビ<塩漬け>の方が一般的らしくえらいめにあいましたわ。
ほんで店のオッサンにどっかでペーニャやってる場所教えてくれって言うたんですわ。そしたら目の色変わりましてな。ペーニャ・アントニオ・ャコンへ行けいうて地図まで書いてくれましたわ。タブラオとかも興味ありまへんでしたさかい、まー探しに行きましたわ。せやけど歩いてるといかがわしい東ヨーロッパの連中は金くれ言うし、サングラスで歩いてるのにサングラス売りつけるバカはいるし、歩くのも油断できまへんわ。
しばらく歩いてるとええ~感じのフラメンコのギターとカンテが聞こえてきましてな~。一軒のバルからなんすわ。
どこみてもプレイヤーの姿が見当たらんのでCDかな思ったんですけど、何と汚いオッサンが酔っ払って地ベタに座ってギター弾いて歌っとるんすわ。またそれがうまいんですわ。あんまりおもろいからオッサンに気付かれへんようにしてチラ見しとったら、オッサンに気付かれまして、そのギター渡されて弾け言いますねん。
シカトしとったんすがあんまりしつこいからギター受け取ったら、6弦のペグが壊れててチューニング出来まへんねん。こんなギターどないして弾きまんねん言うてギター返したら、オッサンケラケラして見たことない指で弾いてましたわ。恐るべしヘレス! この話は次回に続きます。
いや~フラメンコって本当にいいもんですね。