イジワル先生とは穏やかじゃないが、
その正体はミラグロス メンヒバルである。
フラメンコを習い始めて、ほとんどの時間を


影山先生の教室で過ごしてきた私にとっては、ミラグロは正真正銘の異国人。(当たり前だけど)
それで、ミラグロにしてみたら、
私が火星人くらいに見えていたんだろうと思う。
私はミラグロのやっていることが一個もわからないし、
彼女にしてみたら、あんた何しにここに来たの?って感じだったと思います。
セビージャに着いた直後、
たまたま話をした見ず知らずの日本人女性から得たミラグロ意地悪情報。
その予備知識のせいか、ミラグロは3割増に怖く見え、
加えて周りは美男美女ばっかりで、
ちんちくりんな東洋人の私は、まともに鏡も見れなくなって、「とにかくもう無理!」「学校行きたくない」と、最悪に苦痛な日々をなんとかやり過ごしていました。
ある日、マントンを操るどころか、
マントンに弄ばれてしょぼくれていた私に、
「誰があんたにはできないって言ったの?」
と、ミラグロが聞いてきました。
ありきたりの言葉なのかもしれないけれど、
私にはズシンときました。
誰も言ってない。私以外には。
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その後も出来ないことだらけの毎日で、
相変わらず必死なことに変わりはなかったけれど、
今まで知らなかったたくさんのことに触れたおかげで、
本当に自分が好きなこと、やりたいことは何なのか、自分に問うきっかけになったと思います。
影山先生が好きな人を好き。
先生がすごいっていう人がすごい。
私はずっとそう思ってきたけど、
自分で色々見まくって聞きまくっていく中で、
「私もこれが好きだ!」
って思ったんだったかな?
ちょっと甘えて言い訳するなら、
影山先生の生徒でいた時は、ずっとヒナでいられたし、そこはCUNA(ゆりかご 影山奈緒子フラメンコ教室 estudio CUNA)だったから、
お母さん鳥が運んで来てくれるエサを、口を開けて待っているだけだった。
何を食べても疑問はなかったし、きっとそれはそれで間違っていなかった、とも思います。
そんなゆりかごの中からふら~っと飛んで行って、
とりあえず私はあんまりおもしろくないかもしれない学校と、あんまり興味がなかったかもしれない踊りをつっついてみた。
それが私の血となり肉となったかどうかは別として、とりあえず私の胃袋に一回は入ったということが大事なんだと思いたい。
うまく消化できなくて、吐き出しちゃっただけだとしても。
そうやって、探して食べてを繰り返して、
これが好き、これがやりたい!っていうから
薄っぺらじゃなくなっていくのかなぁ。。
数年前、留学を終えた私にパセオの方がインタビューをしてくださったことがあり、
その時に私は、
「しゃべれる言葉は多い方がいいと思った」と答えた記憶があるけれど、
今は、
一個でもいいから、自分の言葉でしゃべれることの方が大事かな、と思う。
「無理って言ってるのは自分」
という、もしかしたらあの学校で得た一番大事なことを、
あーだこーだとやってみて、失敗して、凹んでる時にこそ思い出そう!
おはぎが大好きだと言ってたミラグロ。
意地悪伝説はただの噂だったのかな。
まぁどっちでもいいや。
それよりも、ありがとう!!
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