今、ヘレスの町から車で約1時間の、小さな村に来ている。
べへール デ ラ フロンテーラという村だ。
友達の犬と猫、そして庭の植物たちの面倒をみる代わりに、
彼女の家で、のんびりさせてもらうという条件。
ヘレスよりももっと田舎に住んでみたいなあ、
なんて漠然と思ったりしていたので
このオファーには即OKの返事をし
今、念願の田舎暮らしをかじっているというわけ。
毎朝、犬を連れて海辺の散歩から始まって
たっぷりあるこの田舎時間で
読書、自家採種の作業、ゆったりと料理、たっぷりの睡眠、家庭菜園の世話、庭の花に水やり。
家の周辺には、牛、馬、ヤギ、鶏、など
典型的な田舎にいる動物たちがうろうろしていて
この家の癒しムードを盛り上げる。
テラスからは地平線に沈む夕日が見え
ハンモックに寝そべってワインを片手に時間を忘れる。
う~ん、なんて平穏な日々。
ハンモックから見える夕日
毎日の水やり仕事
種取りの作業中
と、こ、ろ、が、
こういうパーフェクトなリラックス環境にいてさえも
「何か生産的なとことをしなければ」
「社会から離脱している」
といった不安を捨てきれない日本人的な性格が現れた!
リラックスすることに
ゆっくりすることに
楽しむことに
罪悪感を感じてしまうのだ。
アンダルシアに住み始めたころに思った。
「アンダルシア人は"蟻とキリギリス"のキリギリスだ!」
ってね。
楽しみが優先。
遊べるときにはしっかり遊ぶ。
明日の貯蓄のために今日を犠牲にするような考えはほとんど持たない。
のん気にも見えるこの性質が
"フラメンコ"にもしっかり根付いていると私は思う。
自分を"全開"、そして"全快"状態にすることを簡単に許せる彼ら。
一抹の不安を感じるとか、そういう繊細さは(日本人の私から見えれば)あまりない。
(まあ、彼らにしてみればそれなりに繊細だと思っているだろうけれどね)
アンダルシア人でも
プロ中のプロの技術はもちろん繊細だし完璧だが、
私が言っているのは主に普通の人たちのこと。
普通の人たちの歌や踊りさえかなり魅力的なのは
この点にあると考えている。
今現在、自分が持ちうる表現技術を使って
自分自身を100パーセント出し切れるならば
それ相当の上等なアルテ(芸術)や他者に伝わる表現になる。
全開、全快できるという長所が
普通のレベルの人たちを輝かせるの!
スペイン在住15年になる私でさえ
まだまだ彼らのレベルには及ばない。。。
スローフラメンコ的な観点からも
フラメンコのエッセンスを学ぶための課題(?)は多く残されいる。
そう、
私は日々、鍛錬(?)しているのですよ。
日々、戦っているのでうよ。
そして日々、レベルアップしているのですよ。
ただ、普通のフラメンコとの練習方法の違いは、
レッスンスタジオ内ではなく
自分の生活という空間で学んでいるっていうことかな。
アンダルシアの猫に学ぶ全開と全快の様子